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最新更新日:2024/06/21 |
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学校風景
有田合戦は1517年戦国時代の安芸国で起こった戦いです。尼子氏の支援を受けて安芸国守護の勢威回復を目指す武田元繁が、吉川氏の有田城を攻めました。毛利元就の初陣の戦いとしても有名です。前哨戦で武田元繁は己斐城を攻めますが、この時は数ヶ月の包囲にもかかわらず己斐城は落ちなかったとされます。守りの堅い要害にあり堅城だったことがわかります。大内軍の布陣は毛利氏・吉川氏・宮庄氏など約1000騎で、尼子軍は銀山城主武田元繁が、伴城主伴繁清、三入高松城主熊谷元直、八木城主香川行景、己斐城主己斐宗瑞ら約5000騎を率いていましたが、毛利元就の活躍もあって毛利・吉川連合軍の勝利となりました。この戦いは後に、織田信長が今川義元の大軍を破った桶狭間の戦いになぞらえて、「西の桶狭間」と呼ばれ、安芸武田氏の衰退と毛利氏の台頭の分水嶺となった戦いとされています。この合戦の舞台となった山県郡北広島町有田の有田城(又打川や冠川沿い)にこの時戦死した武田元繁、熊谷元直、己斐宗瑞らの石碑が建てられています。己斐直之は己斐宗瑞の子で安芸国守護武田氏家臣であり己斐城主でした。祖は厳島神領衆で銀山城落城後に香川光景らとともに武田家を離反し、毛利家に属しました。厳島の戦いでは宮尾城に入り、奮戦し見事勝利しました。その後直之の弟、己斐利右衛門興員が己斐城主になりました。関ヶ原の戦い後、毛利氏が防長に転封されると、己斐城は廃城となりました。まるで大河ドラマのような壮大な歴史ロマンが安芸国や己斐の街を舞台に繰り広げられていたことに感動します。一日も早くみんなが幸福に暮らせる平和な国際社会が実現することを祈っています。
卒業式の予行はスムーズにできています。当日は感動的な卒業証書授与式にすることができそうです。引き続き本番に向けて準備を進めていきます。3年生の皆さんは当日まで体調を整えて、万全の態勢で卒業式の日を迎えましょう。保護者の方々に感謝の気持ちを伝えましょう。基本的な感染予防対策を徹底して、全員元気に卒業証書授与式に参加しましょう。健康的で安心安全な生活を心掛けましょう。 ![]() ![]() |
広島市立己斐上中学校
住所:広島県広島市西区己斐上六丁目452-4 TEL:082-271-1137 |