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ちょっと箸休め

 折々のことば(朝日新聞より) 

「私は、今ずっと後のことだけを考えている。だから、明日のことは約束できないが、百年後の約束ならできる」
   アマゾンの先住民

 文化の接触をもたないアマゾンの先住民「イゾラド」(隔絶の民)の記録を制作してきたNKHディレクター・国分拓は、かつて先住民の一人がそう語ったという。明日のことより遠い未来をはるかに雄弁に語る民。夜空にいつも見える星のように、彼らは遠い未来への希望を支えに苛烈なその生を生き抜いてきたのか。
   近著『ノモレ』から

  鷹田清一(朝日新聞)2018/9/21

 ※以前読んだ「神去なあなあ日常」(三浦しおん)
  三重県美杉町を舞台とした作品です。
 18歳のフリーターがどういう訳か「林業」の世界(神去村)に放り込まれ、自然の神秘性や雄大さに引き込まれていく話です。
 たしか、映画化もされたのでは・・・・・
 「100年後のことを思いながら木を育てる・・・」
 忙しくしている時、ふと物語を思い出す、しばしの時間です。
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詩の紹介です

 今日も夕焼け小焼け♪♪の時刻です。
 子どもたちは家路についたでしょうか?
 今日はこの詩です。

  ま
    中東ゆうき

 間がない まぬけ
 うまい間 はまる
 間がながい まのび
 ちょうどいい 間合い
 下手な間 まちがい
 よかったよかった 間に合う
 困った困った 間が悪い
 そんあなときにはちょっと
 間をおこう
 間は制止
 間は沈黙
 間は脱皮
 人は間を生きている
 仲間
 時間
 空間
 この三間のなかで泳いでいるのが人間
 クロール 背泳ぎ 平泳ぎ
 時には立ち泳ぎや潜水も

 人は間の中で生きている
 賞味期限は
 生きている間

 ※古い話でなんですが、20年近く前「今の子どもは三つの『間』が奪われている」との言葉を聞いたことを思い出しました。
その三つの『間』が「時間」「空間」「仲間」でした。
さ〜て、今を生きる子や親は三つの間を大切にできているかな?

 ※写真はバトンを渡す「間」をはかりながら、「仲間」と気持ちを通じ合わせている、今日の6年楠那っ子です。
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詩の紹介

  今週もまた、学校終末金曜日夕焼け小焼け♪♪の時刻となりました。
 
   月のように
      立原 えりか

  満月はもちろん月
  半月も 三日月もそして
  糸のように細くなってしまっても
  月は確かに 月
  ほかのものにはなれっこない
  わたしは わたし

  つらくても かなしくても
  しあわせで うれしくても
  さびしくて 泣いていても
  わたしは わたし
  月になれないし 天にものぼれない
  だからせめて月のように
  どんな姿になったときも
  きっぱりとさわやかに
  光っていたいわ

 ※中秋の名月は一月前でしたが、一昨晩の月も名月でした。今日は姿が見えないでしょうが、明日土曜日には満月が見えるかもしれません。
 ※写真は月から来たウサギと戯れている1年楠那っ子?
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詩の紹介

   未という字
        秋葉てる代
 
 「否定の意味をもつ字は四つあります。
 非・不・無、そして未。」
 国語の時間にならったこと
 非常識、不可能、無意味
 否定されるのは かなしい言葉が多い
 でも 四つの中で「未」だけは
 どこかちがっている
 未来―まだ来ない。でも、いつかきっと
   来るかもしれない。(来るだろう。)
 未知―まだ知らない。でも、いつかきっと
   知るかもしれない。(知るだろう。)
 今はないけど でもいつか
 否定しながら どこかに希望を残している
 パンドラの箱のような「未」という字
 私は今 何ももたないけれど
 「未」という字にかけてみよう
 未完成な 私の未来に
 私は非でも不でも無でもなく
 まだ「未」なのだと

 ※野外活動も無事終わり、ふと、この詩です。
「未完成」な子らが、「未知」なる「未来」へ歩みます。
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詩の紹介

 野外活動で過ごしている5年生に贈ります。

  じっと見ていると
      高田 敏子
 
 流れる雲を見ていたら
 雲がいったのよ
 「いなかのおばあちゃんが
  ほしがきをたくさん作っていますよ」

 消しゴムを じっと見ていたら
 消しゴムがいった
 「なくさずに だいじに 使ってね」

 金色のイチョウの葉
 きれいねと見とれていたら
 「さようなら さようなら また来年ね」
 風にふかれて 散っていった

 なんでも じっと見ていると
 聞こえてくる いろんなことば
 いろんな おはなし

 ※3日間、たくさんの「言葉」「お話」聴いてきてください。
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詩の紹介

 今日は落ち着いた秋の詩です。  

   ある日ある時
        黒田三郎

  秋の空が青く美しいという
  ただそれだけで
  何かしらいいことがありそうな気のする
  そんなときはないか
  空高く噴き上げては
  むなしく地に落ちる噴水の水も
  わびしく梢をはなれる一枚の落葉さえ
  何かしら喜びに踊っているように見える
  そんなときが

 ※学校の桜紅葉はあと暫くで見頃です。
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ちょっと箸休め

 折々のことば(朝日新聞より) 

 北村 薫
 「思い出の中で最後まで消えないのは、特にこれといったこともないような一場面、突き詰めれば、一瞬のしぐさや何気ない一言なのかも」
 高校を舞台とした推理小説『秋の花』から。
 
 誰かのことを思う時、さりげない仕草や口ぶりが「くじ引きの器械を回してたまたまコロリと出てきた玉みたいに」現れると、登場人物の一人が言う。肩の線なんかもそう。
 記憶の淵に淀むのは、一度限りの決定的な場面ではなく、緩やかな抑揚としてその体をくり返しよぎるものなのだろう。

※「あなたの思い出とは」と問われると、貴方には私にはどんな一瞬でしょうか?

  鷹田清一(朝日新聞)2018/10/18

※写真は5年生、6年生の最近の一瞬です。
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一秒の言葉

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 私にはとっても嬉しい話です。
 昼休憩に校長室の前から可愛い声が聞こえてきます。
 先日紹介した「一秒の言葉」を入り口に掲示しているのですが、2年楠那っ子2名が声を揃えて読んでます。漢字もしっかり読めてます。

  一秒の言葉
      小泉 吉宏

 「はじめまして」
  この一秒ほどのみじかい言葉に、
  一生のときめきを感じることがある。
  
  「ありがとう」
  この一秒ほどのみじかい言葉に、
  人のやさしさを知ることがある。
 
 「がんばって」
  この一秒ほどのみじかい言葉で、
  勇気がよみがえってくることがある。

 「おめでとう」
  この一秒ほどのみじかい言葉で
  幸せにあふれることがある。

 「ごめんなさい」
  この一秒ほどのみじかい言葉に
  人の強さを見ることがある。

 「さようなら」
  この一秒ほどのみじかい言葉が、
  一生の別れになることがある。

  一秒に喜び、一秒に泣く。
  一生けん命、一秒。

 ※「ありがとう」「さようなら」と言って別れました。
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詩の紹介

 昨日夕刻に詩の紹介ができませんでしたので、この時刻に紹介です。

  朝の歌
     小泉 周二

 おはよう まつ毛
 おはよう あくび
 おはよう 手のひら
 おはよう からだ
 きょう また ぼくは 生まれた

 おはよう タオル
 おはよう じゃぐち
 おはよう水おと
 おはよう こころ
 きょう また ぼくは 生まれた

 おはよう 光
 おはよう 小鳥
 おはよう 緑
 おはよう みんな
 きょう また ぼくは 生まれた

 ※明日の朝のお子さんの姿を思い浮かべながらお読み下さい。
  写真は今朝の楠那小と黄金山
  そして、今日また生まれた新しい5年楠那っ子です。
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詩の紹介

 今日は夕焼け小焼け♪♪の時刻は過ぎましたが、この時刻に紹介です。
 今日は、ほっこりの詩です。

   かあさんとわたし
     西条 八十

  はなのなかには
  はちがいる

  かわのなかには
  うおがいる

  もりのなかには
  とりがいる

  うちのおへやには
  かあさんが

  そしてかあさんの
  おひざには

  いつもわたしが
  だかれてる

 ※6月11日に紹介した、金子みすゞ「蜂と神さま」に通じます。
  写真はちょっと前までお膝にいた6年生の昨日です。
  どうですか、ちょっとお子さんをお膝に誘ってみませんか?
  ご無理のないように・・・・・
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詩の紹介です

 今日も訳あり、この時刻に紹介です。

   ダイヤモンド
     寺山 修司

 木という字を一つ書きました
 一本じゃかわいそうだから
 と思ってもう一本ならべると
 林という字になりました
 淋しいという字をじっと見ていると
 二本の木が
 なぜ涙ぐんでいるのか
 よくわかる
 ほんとに愛しはじめたときだけ
 淋しさが訪れるのです

 ※様々に思いが巡る詩です。「淋」の字が愛おしくなります。
  ところで、ダイヤモンドの題はどうしてでしょう?

 写真は今日の6年生です。詩とのつながりは不明です。
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今日の詩の紹介

 学校終末の金曜日、今日はこの詩で鋭気復活です。

   あいたくて
        工藤直子

 だれかに あいたくて  
 なにかに あいたくて
 生まれてきた―
 そんな気がするのだけれど

 それが だれなのか なにのか
 あえるのは いつなのか―

 おつかいの とちゅうで
 迷ってしまった子どもみたい
 とほうに くれている

 それでも 手のなかに
 みえないことづけを
 にぎりしめているような気がするから
 それをわたさなくちゃ
 だから

 あたくて

 ※工藤直子さんは「のはらうた」等の作者です。
 まさに生きているって気がしてきます。
 平原綾香のアルバム[DOKI]には平原綾香作曲の歌があります。
 ついつい口ずさんでしまいます。

 ※写真は出会えて良かった楠那っ子です。
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詩の紹介

 今日の午後には楠那の街(黄金山麓)をドローンが飛びました。
 7月の豪雨で被害のあった、楠那黄金山山際の様子を把握するための調査です。
 また、調査結果を知ることができましたらお知らせします。
 楠那中学校HPに画像がアップされています。ご覧下さい。

 今日も夕焼け小焼け♪♪の時刻です。今日はこの詩です。
 昨日と「命」つながりです。

  生きているって・・・
     葉 祥明

 空を見上げると
 白い雲が浮かんでいる
 お日さまが輝いている
 この世は素晴らしい!
 生きているって不思議
 泣いても、笑っても
 歌っても、倒れても
 何か起ころうと、起こるまいと
 全て、うれしいこと
 ネコがいる、犬がいる
 小鳥がいる、虫がいる
 大好きな家族がいて
 仲の良い友だちがいる
 皆がいるからうれしい
 それもこれも
 ぼくがこうして生きているから
 生きているって、すごい!

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ちょっと箸休め

 箸休めにはならない、ちょっと難しい「折々のことば」です。

 折々のことば(朝日新聞より) 
 
 野矢茂樹
「考えることは雨乞いのようなものである。」
          
 考えることは論理的な営みだと思われがちだが、論理は「考えるための下ごしらえ」に役立つだけ。考えるとは、今の考えではうまく解けない「もやもや」を晴らすことだから、あらかじめ従うべきどんなマニュアルもないと哲学者は言う。
 問題をじっくり育て、あちこちにアンテナを張って、これまでにはない発想が舞い降りてくるのを待つしかないと。
  エッセー集『哲学の日々』から
 ※なるほど「考えるとは雨乞い」だとは。『念ずれば花開く』ですね。

  鷹田清一(朝日新聞)2018/9/21

 ※写真3枚は、しっかり考え、舞い降りてくる自分の思いを一気呵成に書き込んでいる2年生です。
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詩の紹介です

 今日もちょっと訳あり、この時刻に詩の紹介です。
 
  いのち
      小海永二

 花です 虫です からだです
 鳥です 草です こころです
 
 それらはみんないのちです

 いのちは どれも ひとつです

 いのちのふるさと 地球もひとつ

 風が吹き
 雲の流れる地球のうえに
 要らないものなどありません

 互いに支えているんです
 見えない手を出し 声を出し
 互いに支えているんです

 どれもひとつで どれにもひとつ
 全部が大事な命です
   
 ※あえてコメントは書きません「命」です。
 ※今後紹介する詩は既に本HPで紹介した詩が多いことをご理解下さい。
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詩の紹介

 後期始まりの日も、夕焼け小焼け♪♪の時刻です。
 今日はこの詩です。
 ひょっとすると最近紹介したかもしれませんが、その場合はご容赦を!

  いま!
    まど みちお

 空いちめん 星だらけの星の中の
 あちらの あの一つの 星にでもなく
 そちらの あの一つの 星にでもなく
 どちらの どの一つの 星にでもなく

 ここの この地球の 星に
 ぼくたちは 生きている

 イヌや
 チョウチョや
 夕やけや
 友だちや
 森や
 やまびこなどど いっしょに

 どんなに遠い近い 昔にでもなく
 どんなに遠い近い 未来にでもなく

 落ちつづける たきのように
 ごうごう ごうごうの
 いま!

 ※ごうごう ごうごうの笑顔です。
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詩の紹介

 ちょっと訳あり、今日もこの時刻に詩の紹介です。
 前期最後の今日はこの詩です。

  よかったなあ
     まど・みちお

 よかったなあ 草や木が
 ぼくらの まわりに いてくれて
 目のさめる みどりの葉っぱ
 美しいものの代表 花
 かぐわしい実

 よかったなあ 草や木が
 何おく 何ちょう
 もっと数かぎりなく いてくれて
 どの ひとつひとつも
 みんな めいめいに違ってくれて
 
 よかったなあ 草や木が
 どんなところにも いてくれて
 鳥や けものや 虫や 人
 何が訪ねるのをでも
 そこに動かないで 待っていてくれて

 ああ よかったな 草や木がいつも
 雨に洗われ
 風にみがかれ
 太陽にかがやいて きらきらと

 ※改めて私も「よかったなあ」を思います。「木や草」を「楠那っ子」に読み替えて、「よかったなあ、楠那で働けて」です。

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詩の紹介

 今日はこの詩です。

  今日からはじまる
      高丸もと子

 あなたに会えてよかった
 空が青く
 大きいことも
 あなたがいて気づいた
 この光もいま届いたばかり
 一億五千万キロのかなたから
 今日からはじまる
 何かいいこと

 みんなに会えてよかった
 すてきなものが
 そばにあること
 みんながいて気づいた
 いまどこかで命が生まれる
 子犬も小鳥も草の芽も
 今日からはじまる
 何かいいこと

 わたしに会えてよかった
 胸の鼓動も
 ときめきも
 わたしがいて気づいた
 だれも知らない音だけど
 わたしの殻をやぶる音
 今日からはじまる
 何かいいこと

 ※幾つになっても今日がスタート。
 まだ私にも「殻」が破れるでしょうか?
 写真は日々様々に殻を破り、進化する子どもたちです。
 回転もしています。
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ちょっと箸休め

 昨日、今日と教育相談にお越し下さりありがとうございます。
 「楠那学区青少年健全育成とふれあい活動を推進する標語・ポスター」の審査結果が出ました。また「クリーンマイタウン楠那」の感想作文も紹介したい作品がたくさんあります。子どもまつりのポスターの力作もあります・・・
 ということで、HPで紹介したいことがありすぎて困っています。
 とはいうものの、この「折々のことば」も紹介したくこの時刻に箸休めです。

 折々のことば 

「母ちゃんは、信じられないところから褒め言葉を持ってくる。」
   山里亮太『天才はあきらめた』

 学校で先生に叱られた時は「反省している感じ出すのうまいねぇ」と、この子はすぐ嘘をつくと言われた時は「聞かれてすぐに何か言えるって、しかも作って言えるってすごいねぇ」と、お笑い芸人の母は言う。
 そんな信頼の過剰に、息子はふつう、そこまで言ってくれなくても、と引いてしまう。“親馬鹿”は子に、時にクールに自己認識をもたらす。
  
  鷹田清一(朝日新聞)2018/9/267
 
 ※山里亮太・・お笑いコンビ南海キャンディーズのツッコミ担当
 ※子ども(大人も含む)に自己認識(自己内省)をもたらす言葉掛け、その極意は親馬鹿なのでしょうか?
 9月14日に紹介した「折々のことば」
 大人がつくと「虚言」子どもがつくと「空言」に通じます。
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詩の紹介

 夕焼け小焼け♪♪の時刻にはなっていませんが、ちょっと訳あり、この時刻に紹介します。
 今日、明日と教育相談日です。
 子どもたちへの愛しい思いを込めてこの詩の紹介です。
 すでに紹介したことのある詩ですが、今一度・・・

  あなたはひかり
     みつはし ちかこ

 そのままのあなたが好きよ
 自分の弱さと 戦いながら
 転んだり 傷ついたりして
 不器用に生きている あなた
 がんばって
 がんばって
 あなたの中に あたしをみつける

 人はみっともないから
 可愛いと思う
 恥をかくから
 あったかいと思う

 好きなものをだいじにして
 あきらめないで 捨てないで

 あなたはひかり
 輝く地球の
 一粒のひかり

 ※写真は地球で光り輝く一粒ずつの子どもたちです。
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広島市立楠那小学校
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