最新更新日:2024/07/02
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楠那小学校の電話対応は、平日7:30〜18:00となっております。ご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。

金子みすゞコーナー

 いよいよ、金子みすゞコーナーで紹介できる詩も最後となりました。
 今日はこの詩です。とっておきのこの詩です。
 最後はこの詩と決めていました。

   わらい

 それはきれいな薔薇いろで、
 芥子つぶよりかちいさくて、
 こぼれて土に落ちたとき、
 ぱっと花火がはじけるように、
 大きな花がひらくのよ。

 もしも泪がこぼれるように、
 こんな笑いがこぼれたら、
 どんなに、どんなに、きれいでしょう。

 出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より

 ※芥子(けし)・・種が小さいことから微少のことにも例える。
          微少な微笑がまたいいですね!!

 ※今日から暫く、この詩にぴったりの楠那小の「わらい」の絶景を見つけます。そして、紹介します。
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金子みすゞコーナー

 いよいよ、金子みすゞコーナーで紹介できる詩も後2編となりました。
 今日はこの詩です。
 金子みすゞの最もよく知られている詩の一つ


   私と小鳥と鈴と

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面は速く走れない。

  私がからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄はしらないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

   出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より

 ※地面は「じべた」と読みます。
 ※できることでそれぞれの存在意味を確認するのでなく、できないことでそれぞれの存在意味を問いかける。まさに金子みすゞの世界です。
 また、最後は「みんなちがって、みんないい。」です。
 「みんなちがって、それでいい。」ではないんです。そこにはお互いのつながりがあります。学校も様々な個性をもった子どもたちが「それでいい」でなく、「みんないい」の世界にしなくてはなりません。

 ※写真は「みんないい」子どもたちです。
 明日紹介する「詩」にもつながります。
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金子みすゞコーナーです

 いよいよ、金子みすゞコーナーで紹介できる詩も後3編となりました。
 今日はこの詩です。申し訳ありません。冬まで待てず、この詩です。
 私の記憶が正しければ平成27年度冬に紹介していると思います。

   積もった雪

  上の雪
  寒かろな。
  つめたい月がさしていて。

  下の雪
  重かろな。
  何百人ものせていて。

  中の雪
  さみしかろな。
  空も地面もみえないで。

  出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より
  
※雪を縦に断ち、上、下、中と雪のがんばりを伝えます。6月22日に紹介した「星とたんぽぽ」の「見えないけれどもあるんだよ」が甦ります。本当に圧倒される金子みすゞの視線です。雪のそれぞれにも存在意味があるのです。

 写真は2017年1月15日の学校です。
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朝のあいさつ定期便

 また今週も水曜日となりました。朝のあいさつ定期便(小中一貫あいさつ運動)の朝となりました。
 今日も児童会運営委員を中心に、楠那っ子有志が集まり、元気なあいさつを響かせました。
 今日は地区民生委員・主任児童委員さん、楠那中PTA・教職員、ほぼ毎日の仁保交番三浦巡査とともに見守り、あいさつです。
 毎週水曜日はことさら爽やかなスタートです。
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金子みすゞコーナー

 いよいよ、金子みすゞコーナーで紹介できる詩も後4編となりました。
 今日はこの詩です。
 漁師町「仙崎」で生まれた金子みすゞは、故郷漁師村の詩を沢山書いています。この詩は1923年みすゞ20歳の時、詩人西條八十を選者とする『童話』に載った初期の作品となります。

   おさかな

  海の魚はかわいそう。

  お米は人につくられる、
  牛は牧場で飼われてる、
  鯉もお池で麩をもらう。

  けれども海のお魚は、
  なんにも世話にならないし、
  いたずら一つしないのに、
  こうして私に食べられる。

  ほんとに魚はかわいそう。

  出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より

 ※6月7日に紹介した「大漁」とともにお読み下さい。
 ※写真は仙崎と同じ山口県ですが瀬戸内周防大島です。
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金子みすゞコーナー

 今日明日と梅雨の晴れ間となりそうです。
 ちょっと気が早いのですが梅雨明けを願って、今日はこの詩です。

    雲

   私は雲に
   なりたいな。

   ふわりふわりと
   青空の
   果から果を
   みんなみて、
   夜はお月さんと
   鬼ごっこ。

   それも飽きたら
   雨になり
   雷さんを
   供につれ、
   おうちの池へ
   とびおりる。

  出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より
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金子みすゞコーナー

 学校週末金曜日を迎えました。
 今日は3年生以上の参観懇談日、たくさんの保護者にご来校いただきありがとうございました。
 引き続き、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

 今日の詩は「星とたんぽぽ」です。
 以前にも紹介しましたが、再び三度の紹介です。

   星とたんぽぽ
        金子みすゞ
  青いお空の底深く、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまで沈んでる、
  昼のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ

  散ってすがれたたんぽぽの、
  瓦のすきに、だァまって、
  春がくるまでかくれてる、
  つよいその根は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ

 ※見えるものをきちんと見る力と意志がなければ、見えないものが見える眼と心はうまれません。金子みすゞの詩(世界)はこの世の中に存在意味のないものはない!!との心が貫かれていることに感銘します。
 是非とも皆さん金子みすゞの本を1冊買ってお読み下さい。
 校長室の本ならお貸しします。

 ※写真中は今日の楠那小タンポポです。
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朝のあいさつ定期便

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 早朝激しく降った雨も止み、今日も「朝のあいさつ定期便(小中一貫あいさつ運動)」です。
 今日は5・6年児童会運営委員が参加です。
 あいさつ運動が終わると、恒例の「生徒会へのインタビュータイム」です。
 インタビューの内容は、またお知らせします。

 今日もぐずついた1日となりそうですが、爽やかな朝のスタートです。

今日の詩です

 今日は金子みすゞコーナーはお休みです。
 許可を得た作品も後残り5編となりましたので。
 今日は「坂村真民」です。


   何かをしよう
     坂村真民

  何かをしよう
  みんなの人のためになる
  何かをしよう
  よく考えたら自分の体に合った
  何かがあるはずだ
  弱い人は弱いなりに
  老いた人は老いた人なりに
  何かがあるはずだ
  生かされて生きているご恩返しに
  小さいことでもいい
  自分にできるものをさがして
  何かをしよう
  一年草でも
  あんなに美しい花をつけて
  終わっていくではないか

   出典 『坂村真民 ねがい』(サンマーク出版)
 
 永六輔さんの著書にこんな言葉があったのをメモしています。
 「生きているということは、だれかに借りを作ること。
  生きていくということは、その借りを返していくこと」と・・・

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金子みすゞコーナー

 金子みすゞ(本名テル)が生まれた仙崎(現在長門市仙崎)は、天然の港と豊かな漁場に恵まれた漁師町です。特に大羽イワシのシーズンには、港は全国からの漁船で溢れかえりました。
 また、江戸時代初めより日本有数の捕鯨の基地でもありました。張りめぐらせた網にクジラを追い込み、モリで仕留める「網捕り式」という勇壮な捕鯨で、「クジラ一頭捕れば、七浦がにぎわう」といわれた時代、クジラ捕りの町は豊かでした。しかし、明治時代の中頃になるとクジラは少なくなり、時代は移り変わります。

   鯨法会

  鯨法会は春のくれ、
  海に飛魚採れるころ。

  浜のお寺で鳴る鐘が、
  ゆれて水面をわたるとき、

  村の漁夫が羽織着て、
  浜のお寺へいそぐとき、

  沖で鯨の子がひとり、
  その鳴る鐘をききながら、

  死んだ父さま、母さまを、
  こいし、こいしと泣いてます。

  海のおもてを、鐘の音は、
  海のどこまで、ひびくやら。

 出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局より)

 ※「鯨法会」・・鯨を法要する会

 この詩もまた金子みすゞの「命感」「自然感」が伝わります。
 6月7日の「大漁」とともに読んでみてください。

 写真上は長門駅内の「大漁」の詩
 写真下は捕鯨の様子

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金子みすゞコーナー

 今週は午後からの出張が多く、「金子みすゞコーナー」がとぎれていました。
 ちょっとお休みした理由はもう一つありました。
 少々長くなりますがお読み下さい。
 5月末に「金子みすゞ記念館」で購入した「金子みすゞの110年」矢崎節夫監修(JULA出版局発行)を読み進めていますと、「金子みすゞ著作保存会」について書かれていました。
「金子みすゞ全集」発行時、みすゞは没後54年たっていました。現行の著作権法で守られる期間が過ぎており、だれもがコピーライトできるという扱いを受けるのです。そこで、金子みすゞの作品が間違った形で流布したり、部分だけが一人歩きして作品本来の意味が損なわれたりすることのないよう、後世に作品を正しく伝えていくことを目的に、みすゞを甦らせた関係者が「金子みすゞ著作保存会」を立ち上げられたのです。
 本HPで様々な詩の紹介を始める際に、著作権がある「詩」でも、詩を紹介して自分の思いをHP等で発信することは法的には問題がないことは確認していました。
※ただし、楽曲となっている歌詞は違反であることも知りました。
 法的には問題はないのだろうとは思いましたが、金子みすゞの世界を愛する私としては、確認しなくてはならないと考えました。小さな学校のHPでも世界のどこからでもアクセスできる情報源であるからです。
 金子みすゞ著作保存会事務局に問い合わせましたら、それは丁寧にこの会の趣旨と、HP掲載への許可手続き、詩を掲載する際の確認事項を教えていただきました。金子みすゞの作品を大切にされていることがひしひしと伝わってきました。
 是非ともみなさんも金子みすゞの本をお買い求めの上、お読み下さい。
というここで、このコーナーでは許可を受けた作品のみを紹介いたします。
 既に紹介した詩についても事後承認となりましたが許可いただきました。
  
 今日の詩です。
 
    お日さん、雨さん

   ほこりのついた
   芝草を
   雨さん洗って
   くれました。

   洗ってぬれた
   芝草を
   お日さんほして
   くれました。

   こうして私が
   ねころんで
   空をみるのに
   よいように。

   出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より
 
 ※明日か明後日子どもがいないときに芝生に寝転がります。
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遊ぶの大好き高学年

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 今日午前中は1年生・3年生は校外学習でした。
 広いグラウンドには遊ぶの大好き5・6年生が楽しく遊んでいます。
 よく学び、よく遊びの率先垂範です。
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朝のあいさつ定期便

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 そうです、今日は水曜日、朝のあいさつ定期便(小中一貫あいさつ運動)の日です。
 今日は1・2年楠那っ子が多く参加しました。
 今日も爽やかな朝のスタートです。はりきっていきましょう!!

金子みすゞコーナー

 1993年(平成5年)に「童謡詩人金子みすゞの生涯」(JULA出版局)が発行され、金子みすゞの幻の生涯が明らかにされます。天声人語でこの本の紹介とともに「大漁」「土」「私と小鳥と鈴と」が紹介されて、みすゞの詩が注目され、書店の棚にみすゞ詩集が並ぶようになります。

  土

 こッつん こッつん
 打たれる土は、
 よい畠になって、
 よい麦生むよ。

 朝から晩まで、
 踏まれる土は、
 よい路になって、
 車をとおすよ。

 打たれぬ土は、
 踏まれぬ土は、
 いらない土か。

 いえいえそれは、
 名のない草の、
 お宿をするよ。


  土と草

 母さん知らぬ
 草の子を、
 なん千万の
 草の子を、
 土はひとりで
 育てます。

 草があおあお
 茂ったら
 土はかくれて
 しまうのに

  出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より

 この世にあるもの、自然界にあるもの全てに命があり、存在意味がある。金子みすゞの世界です。

 ※写真は今日の楠那小風景です。
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学校風景

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 写真上・プール準備OK
 昨日雨で延期となっていた「プール清掃」今日はOKです。
 6年楠那っ子の皆さん、6校時は張り切っていきましょう。

 写真中・2校時グラウンド、花壇
 1年生は鉄棒の練習
 2年生は育てている「ミニトマト」「ピーマン」の観察です。

 写真下・業務員さん共同作業
 学校周りの植え込みを刈り込んでいただきました。
 作業中の様子を撮ることはできませんでした。
 申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

金子みすゞコーナー みすゞ甦る

 金子みすゞが甦ります。
 矢崎節夫その尽力により、1984年(昭和59年)に「金子みすゞ全集」が世に出ると、542編の詩を読んだ読者の反応は驚くばかりでした。
 金子みすゞが甦りました。生誕1903年から81年後のことです。
 今日は詩2編を紹介します。

  不思議

 私は不思議でたまらない、
 黒い雲からふる雨が
 銀にひかっていることが。

 私は不思議でたまらない、
 青い桑の葉たべている、
 蚕が白くなることが。

 私は不思議でたまらない、
 だれもいじらぬ夕顔が、
 ひとりでぱらりと開くのが。

 私は不思議でたまらない、
 誰にきいても笑ってて、
 あたりまえだ、ということが

  
  蜂と神さま

 蜂はお花のなかに、
 お花はお庭のなかに、
 お庭は土塀のなかに、
 土塀は町のなかに、
 町は日本のなかに、
 日本は世界のなかに、
 世界は神さまのなかに。

 そうして、そうして、神さまは、
 小ちゃな蜂のなかに。

  出展「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

 ※童謡創作の勢いが強くなった大正時代(100年近く昔)は近代化の中で、子どもや働く人、女性が人間としての姿をを表現する時代でした。そういう人々は他の誰よりも一番自然的な人間だったのでしょう。
 それが金子みすゞの世界です。
 ミクロとマクロの宇宙観と生命観です。
 ※参考・「金子みすゞの110年」矢崎節夫監修(JULA出版局)

 写真上・・仙崎の金子みすゞ通り。下・・今日の紫陽花です。
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こどもピースサミット2018

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 一昨日12日に“こどもピースサミット2018”「平和の歌声・意見発表会」が行われました。
 広島市内の小学校6年生1万人あまりの代表として、20名の6年生が発表しました。
 楠那小からも長井遥香さんが代表に選ばれ、スピーチをしました。
 堂々としたあっぱれな発表でした。
 長井さんは8月6日の子ども平和宣言文作成にも関わり、8月6日当日はピースサミット大賞に選ばれた児童の宣言を、間近で聴きます。
 楠那小6年代表として素敵なスピーチをした長井さんに拍手です。
 
 スピーチ原稿を紹介します。
   
   今の私の目と心で
        六年一組 長井 遥香
 1945年8月6日、午前8時15分、一発の原子爆弾でこの美しい空が、きのこ雲でおおわれ、街は一瞬にして焼け野原となりました。
 小さい頃から、テレビや学校で原爆のことを学んできましたが、私はよく理解できませんでした。それは、現実のことだと思えなかったからです。まるで、映画のようで、私の住んでいる広島で昔、本当に起こったことだとは思えませんでした。
 しかし、四年生の時、原子爆弾の怖さ、恐ろしさを知りました。私にとって大きなしょうげきになったのは、校外学習で行った原爆資料館です。大きな地獄絵を見て私は、言葉を失いました。人々が苦しみながら死んでいく様子や、きのこ雲の絵などを見て、原子爆弾がとてもにくくて、くやしい思いでいっぱいになりました。
 6年生になってピースサミットの作文を書くことになり、おばあちゃんに原爆の話を聞きました。初めて聞きました。
 私のおばあちゃんは、2才の時に長束の家で被爆しました。おばあちゃんはその時のことをあまり覚えていないので、ひいおばあちゃんから聞いたことを話してくれました。
 おばあちゃんの家の前を通りかかった人から、ひいおばあちゃんは
「骨をもいでください」
と言われたそうです。その人は、ひふが垂れ下がって、腕の肉がない状態でした。ひいおばあちゃんは怖くてどうすることもできませんでした。
 ひいおばあちゃんは、現実にこの光景を見て恐怖を感じ、亡くなる97才まで忘れることはできず、ずっと頭に残っていたのです。
 私は、ひいおばあちゃんや、被爆した多くの人々の、辛い思いや、家族がいないさみしさを知りました。
 家族と離ればなれになり、励ましてくれる人もいないなんて・・、どんなに辛かっただろうか、どれだけ苦しかっただろうか。
 今の、当たり前の生活が、幸せなんだとおばあちゃんの話から感じました。
 原子爆弾で焼け野原になったヒロシマですが、今のヒロシマを復興した、ヒロシマの人々を私は尊敬します。
 強くて前向きな広島人が、本当にすごいと思います。
 楠那小学校六年生の学年目標は「行動しよう。学校のため、みんなのため、自分のため」
 学校生活の中では委員会活動や、係活動、たてわりグループでの下級生へのサポートなどが、今、私にできる行動です。
 平和な世界になるために、今、私にできることは何かと考えます。考えてもなかなか分かりません。
 まだ小学生の私には、大きなことはできません。
 しかし、当たり前の今の幸せを大切にし、今の生活を創ってきたヒロシマの人々のこと、原爆のこと、平和について、正しいことをたくさん知ることは私にできます。
 4年生の時に行った原爆資料館に、もう一度行き、今の自分の目と心で感じたことを、今度は、私がおばあちゃんや家族に話します。
 今の生活を未来に繋ぐために・・・

 ※応援に来てくれた楠那っ子のみなさん、ありがとうございました。長井さんもきっときっと心強かったでしょう。

金子みすゞコーナー

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 矢崎節夫氏による、金子みすゞ捜しが1996年に始まったと昨日紹介しました。
 その2年後に矢崎氏が捜しついたのが、今日の詩「つゆ」です。

   つゆ 
     金子みすゞ

  だれにも いわずに おきましょう
 
  あさの おにわの すみっこで
  はなが ほろりと ないた こと

  もしも うわさが ひろがって
  はちの おみみへ はいったら

  わるい ことでも したように
  みつを かえしに いくでしょう

 「つゆ」という題名。花のなみだ(つゆ)とその訳。何度も読み繰り返すと、自分中心でなく、「花」と「はち」の視点からの景色が見えてきます。

 こうして少しずつ、矢崎氏は金子みすゞに近づいていきます。16年に及ぶ執念の調査により、幻の童謡詩人「金子みすゞ」が甦るのは1984年(昭和59年)です。みすゞが亡くなって54年後のことです。・・・月曜日に続きます。
 ※このコーナーでの記述については「金子みすゞの110年」(JULA出版局)の内容を参考にしています。

金子みすゞコーナー

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 6月末まで金子みすゞの詩を紹介しますと宣言したものの・・
 ただ、詩を紹介するのもどうかと思い・・結構悩みます。

 今日はこの詩です。
 以前「今日の中学校コーナー」でも紹介しましたが・・

  大漁だ
    金子みすゞ

  朝焼け小焼け
  大漁だ
  大羽鰯の
  大漁だ。

  浜はまつりの
  ようだけど
  海のなかでは
  何万の
  鰯のとむらい
  するだろう。

 出展『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)より

 金子みすゞといえば、「私と小鳥と鈴と」とともに、この「大漁だ」が良く知られているでしょう。金子みすゞは漁師町「仙崎」の生まれ・・
 金子みすゞの世界である
 「小さな命、弱きものの視点、切なさへの共感」を感じます。
 1903年(明治36年)生まれです。今から115年前。2003年が生誕100年でした。その時代の人です。
 短い生涯の中で日記のように詩を書き続けたみすゞは、西條八十等との出合いはありましたが、短い生涯を終えるとその名は急速に忘れられます。「幻の童謡詩人」となるのです。
 日本は足早に戦争の道を歩み始める時代となります。
 時代が過ぎ、一人の青年、矢崎節夫氏が「日本童謡集」にたった1編だけ収められた、この詩「大漁だ」に強く心を打たれ、みすゞ捜しが始まりました。それが1966年でした。
 この続きはまた明日に・・

 写真上は仙崎の夕焼けです。今仙崎は「下関化」しており、写真右には新しい観光スポットが誕生しています。
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金子みすゞコーナー

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 今日から6月末まで、金子みすゞの詩を紹介します。
 なぜ、金子みすゞなのか? ですが・・
 私は、好きな詩人はと問われたら
 「吉野 弘」「金子みすゞ」「坂村真民」と応えます。
 当HPを以前から見ていただいている方には、
 なるほど!だと思います。
 先日、山口県長門市仙崎にある「金子みすゞ記念館」を訪れました。
 3度目の訪問です。
 小さな記念館ですが、
 みすゞの一生が目と心に伝わってくる記念館です。
 
 今日はこの詩の紹介です。

  こだまでしょうか
     金子みすゞ

  「遊ぼう」っていうと
  「遊ぼう」っていう。

  「馬鹿」っていうと
  「馬鹿」っていう。

  「もう遊ばない」っていうと
  「遊ばない」っていう。

  そうして、あとで
  さみしくなって、

  「ごめんね」っていうと
  「ごめんね」っていう。

  こだまでしょうか、
  いいえ、誰でも。
 
    出展『金子みすゞ童謡全集』(LULA出版局)

 2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、民放CMがかなりの期間自粛されました。その時CMのかわりに画面で流れたのが、この詩でした。
 その時なぜ、この詩だったのか?
 それを思いながら、読んでみてください。
 また、機会がありましたら感じたことを伝え合いましょう。
 「こだま」のように・・・  
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広島市立楠那小学校
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