最新更新日:2024/04/26 | |
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平和を創る
幟に夏がやってきました。
放課後、平和委員会では、全校生徒や市内の小・中学校から寄せられたメッセージカードの貼りつけ作業を行いました。 平和を創る
緑のクローバーの道に、平和の足跡が続いています。
一人一人の願いが集まり、まとまり、大きな力となって、世界へ広がりますように。 平和を学ぶ
2年生の総合の時間で、平和学習をしています。
グループごとにテーマを決めて、詳しくしらべます。 平和を学ぶ
7月5日と6日は、テーマごとに、本校の図書室や市立図書館の本で調べ学習をしています。学校司書の丸子先生が、「自分で本を調べたことは心に残る亅とおっしゃっていました。
学習したことを小グループで深めていきましょう。 平和を学ぶ
1-2 前半
1年生は、総合的な学習の時間に、校内のモニュメント等巡って、平和学習をしました。 平和委員が中心になって学習を進めます。 校舎西側の生け垣の中に設置されている「折り鶴の碑」からスタートです。 全国から寄せられる折り鶴と、そこに込められた平和の願いを、ヒロシマの子どもたちが受け取ったという証として建立されました。 私たちの先輩方が、生徒会活動で取り組んだ歴史がつまっています。 平和を学ぶ
1-3 後半
この「折り鶴の碑」には、多くの人に見てもらえるように、校内側と道路側の両方に、説明のプレートが設置してあります。 また、この「折り鶴の碑」は、碑の上に折り鶴を置いて初めて完成します。 ヒロシマの子どもたちが、平和を願う気持ちを忘れて折り鶴を置くことを忘れたなら、この碑は永遠に未完成のままなのです。 幟町中学校では、禎子さんの命日に平和集会を開き、和紙で折った折り鶴をおいて平和を祈ります。 平和を学ぶ
1-1 前半
この「原爆の子の像」の原型像は、平和公園の像の4分の1の大きさです。像の上に立つ少女は、佐々木禎子さんがモデルになったと言われています。 2歳の時被爆した禎子さんは、10年後に病気になりました。 闘病生活の中で、「生きたい」と強く願って折り鶴をつくりましたが、1955年、10月25日に亡くなりました。 平和を学ぶ
1-1 後半
当時原爆で亡くなった子どもたちののために「原爆の子の像」をつくろうと、禎子さんの仲間が、募金活動をはじめました。 幟町中からはじまった運動が全国に広がり、像が建立され、1958年5月5日に像の除幕式を行いました。 この像は、現在、平和公園内にあります。 平和を学ぶ
1-2 後半
続いて、図書室へ移動して、被爆エノキを見ました。 現在の幟町中の位置は、爆心地から1.4キロメートルです。 多くの木がありましたが、原爆の熱線によってほとんどが焼けて、枯れてしまいました。 そんな中で生き残ったのがこのエノキです。 平和を学ぶ
1-3 前半
「このエノキを見てください」 平和委員が、根もとから6〜7m上まで深く刻まれた深い溝について説明します。 戦争の惨禍を生き抜いた木の幹から、たくましい生命力を感じますね。 月末には、平和公園で「原爆の子の像」碑前祭とフィールドワーク(1年生)を行います。 平和についての学びを継続していきましょう。 幟町百景みんなの登校を、花と一緒に待ってるよ。 交通ルールやマナーに気をつけてね! 平和の祈り
「原爆の子の像碑前祭」に向けての平和の取り組みが本格的になってきました。
今日は、3年生の教室に、NHK広島のみなさんが取材に来られました。 平和の祈り
平和委員が中心になって学級活動を進めます。
撮影クルーのみなさんが近づくたびに、なんだか緊張してしまいます。 平和の祈り
平和アピール文作成のために、プリントをもとに意見交流をします。
平和の祈り
平和への思いを語り合います。
平和の祈り
さすが、3年生!
平和委員が積極的に動いています。 各グループで自主的に作業を進めています。 平和の祈り
平和委員が、メッセージカードを配ります。
一人一人が平和のために訴えたいことを、カードにしたためています。 平和の祈り
カードにメッセージが書けたら、次は折り鶴を作ります。
平和の祈り
平和メッセージの話し合い後は、折り鶴づくりです。
平和委員が主旨を説明して、折り紙を配ります。 平和の祈り
早速、班ごとに折り鶴の作成に取りかかります。
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広島市立幟町中学校
住所:広島県広島市中区上幟町6-29 TEL:082-221-4421 |