最新更新日:2024/05/02 | |
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早稲田小学校子ども平和宣言(6年生)
6年生は,わせだっこタイムの学習で,早稲田ピースサミットを開き,平和について深く考えていきました。クラスごとに「子ども平和宣言」を考え,8月6日(木)の「平和の集い」で全校に発信することができました。
6年1組 子ども平和宣言 1945年8月6日。 今日はとてもいい天気です。 たくさんの子どもたちがはしゃいで笑っています。 その時,ピカ・・・ドン! 1発の原子爆弾が落とされたのです。午前8時15分のことでした。 辺りの町は,一瞬で笑顔の消えた絶望だらけの町となりました。 しばらくすると雨が降ってきました。 それは放射線を含んだ黒い雨でした。 しかし,誰もそうとは知らずに,みんな水が欲しくて,その黒い雨を飲んでいました。 その人たちは倒れていきました。 水を求める人や助けを求める人。 そして子どもを探し続けるお母さんやお父さん。 広島の町は,誰もが理想としない町になったのです。 しかし,そんな苦しい中でも人々はあきらめませんでした。 その日の夕方にはもう市内に水が送られ,3日後にはもう電車が走り始めました。 そして,長い年月をかけて「広島」を取り戻したのでした。 当時の人々は何万回ありがとうと言ったって,まだたりないくらい,復興に向けてたくさん努力してくださったのです。 ケガを負い,傷ついた体。 大切な人を失い,傷ついた心。 でも,広島を明るくしたいという思いは,ちっとも傷ついていなかったのでした。 今,新型コロナウイルスが広がっていて,毎日亡くなった人の人数を聞きます。 原子爆弾で被害を受けた人は,広島でのコロナウイルスで苦しんだ人よりもとても多いです。 戦争を二度と起こしてはならない。 コロナウイルスで苦しむ人をこれ以上増やしてはならない。 原子爆弾,コロナウイルスで苦しんだ人々も同じように思っているはずです。 私たちはこの思いを,世界の人々に伝えます。 原子爆弾が落ちてから75年,黒い雨が降った区域の拡大や被爆建物を残してほしいなどの願いをもっている被爆者がおられます。 日本では,平和宣言や非核三原則などを唱えることをしています。 しかし,世界では,なくさなければいけない核兵器を作っていたり,まだ,戦争が続いていたりします。 核兵器や戦争をなくしてこそ,本当の平和だと言えるのです。 みんなが笑顔になれること,幸せな人生を送ることができること,一人一人が生きていたいと思うこと。 平和への思いは,人それぞれありますが, 全て,「誰も苦しむことのない世界」という一つの願いにつながると私たちは考えます。 この私たちが願う世界は,被爆者の方の願いとは少し違うかもしれません。 でも,平和でいてほしいという願いはどちらも同じなのです。 私たちの町は自然があふれています。 学校の裏には牛田山があり,高い場所にあるのでそこからは広島の町や,瀬戸内海を眺められます。 登校中や遊び時間など,いつも眺めていると心が和みます。 私たちはこの風景を残したいです。 75年前の広島の人々にもこのように残したい,大切にしたいものがあったと思います。 しかし,それは,原子爆弾によって一瞬で失われました。 広島の町や瀬戸内海の風景を,もう失いたくはありません。 そのために,私たちは常に相手の気持ちを考えた言動をしたり,人に対する偏見をもったりしません。 また,今ある物や人,環境などに感謝の気持ちをもつことも何かを思う大切な気持ちだと思います。 自分がされて嬉しいことを人にしたり,自分がされて嫌なことを人にしないということなどは,小さなことですが,今から取り組んで,近い将来,世界中の人が心から笑うことのできる平和な世界を創ります。 6年2組 子ども平和宣言 今,世の中を混乱させている新型コロナウイルスは学校生活の3か月を私たちから奪いました。それはおよそ65万人以上の人の命を奪い,私たちはたくさんの人を失う悲しみと怖さを実感しました。広島でも75年前,このようなことがあったのです。 1945年8月6日午前8時15分,原子爆弾が投下されました。たった一発の原子爆弾で,緑と笑顔があふれていた広島は一瞬にして焼け野原になってしまったのです。これから幸せに暮らせるはずだった人々の人生は原子爆弾によって壊されてしまったのです。親と離れ離れになってしまった子ども,家族も失い,自分の名前さえも分からなくなったしまった人,ガラスの破片が肉体に刺さってしまった人。私たちが思うより,はるかに悲惨な状況でした。 原子爆弾は,広島と長崎に落とされた後も多くの人々を苦しめました。皮膚にやけどが残り,血を吐いて苦しむ姿が町にあふれていたそうです。そのうわさが広がり,「ヒロシマ・ナガサキの人」と聞いただけで人々から差別を受けるようになりました。被爆して生き残った方々も,けがや病気,差別など苦しみを感じながら生きていました。思い出したくもない悲惨な出来事を語ってくれた被爆者のおかげで今私たちは平和について考える機会をもっています。 「平和とは何か」と私たちは考えました。 平和とは皆が笑顔で暮らせること 平和とは人も自分も幸せであること 平和とは世の中から憎しみが消えること 平和とは夢や希望をもてる未来があること 苦しみや悲しみという大きな壁を乗り越えて生きていくことは難しいことですが,人は協力をすればつらいことだって乗り越えられます。 前の元号「平成」は平和を達成させるという願いがこめられていました。しかし,世界にはまだ戦争をしているところがあります。その間にできなかった平和の達成をいつかはしないといけません。大切な平和,それを達成するためには,みんなが協力することが大切です。 平和の大切さを知り,自分たちで平和をつくらなくてはいけません。私たちにできることは,戦争のことをよく知り,後世につなげていくことです。そして身近な友達や今の生活に感謝することが大切だと思います。今,私たちはコロナによっていつもの生活ができないことで,平和がどれだけ大切なことかがわかるのではないでしょうか。 |
広島市立早稲田小学校
住所:広島県広島市東区牛田早稲田四丁目9-1 TEL:082-228-1140 |