最新更新日:2025/07/09
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五日市南小学校 学校教育目標 「一人一人の可能性を伸ばし,心豊かなたくましい子どもを育てる」

授業研究会

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児童下校の後の授業協議会の様子です。
いつものワークショップ型で行いました。
学校内の6か所をつないで、双方向リモートで行いました。

各学年ごとに協議する時間をもち、成果と課題等をホワイトボードにまとめて書いていきました。発表の時は、ホワイトボードを写して行いました。
指導上の「視覚的支援」の大切さはよくいうことですが、確かに私たち教員にとっても効果敵にでした。

この度、講師としてお迎えしたのは、牛田新町小学校初任者指導教員佐々木知子先生です。広島市立大町小学校で中四国算数科教育研究会が開催された時の校長を務められておられました。広島県算数科研究会の会長も務められていました。
この一年は継続的にご指導いただくことになっています。

講話では、授業の成果と課題等価値づけをしてくださったり、第1回として、研究の向かおうとしている方向性を確かに全教員が持つことができるお話をしてくださいました。
第2回は3年生が9月16日に全体授業を受け持ちます。

リモートでの授業研究会

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1年3組の授業会場には、講師の先生と同学年の教員という設定で、他の学年の教員はそれぞれ学年の1組の教室で、リモートでの授業観察をしました。
授業を観察しながら、気づきを交換し合えるので、この形態も中々効果的でありました。
試験的に何度も試しながら、手探りで進めてきました。
ICTにくわしい教頭と主幹がカメラ操作役を務め、ワークシートに問題を書き込んでいる時や、二人組みで問題を解き合う時には、小型カメラで教室をまわって撮影するなど、各会場に様子がうまく伝わるようにしました。 

校内研修「1年生算数」

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今年度第1回の校内全体授業研究会です。
1年3組が行いました。これまでに、事前研究として、1組、2組が同じ場面の授業を行ってきました。工夫改善を重ね、今日の公開授業です。
全校児童は4時間授業とし、1年3組だけが5時間目を行いました。
4月に入学したばかりなのに、手をまっすぐ挙げて、あてられてきちんと立って発言するとか、しっかりおへそを向けてお話を聞くとか、ブロックを使う時は準備や片づけも素早くするとか、立派に身に付いています。先生たちは大変感心して見ていました。 

今日のねらいは、たし算の「あわせるもんだい」や「ふえるもんだい」の意味を理解して、問題づくりをすることです。お友達に問題を出して、解いてもらいました。
セミやふうせんや、りんごやボール、バットやポケモン、大好きなものが登場するた楽しいたし算問題ができました。
45分の授業を最後まで、一生懸命がんばりました。

1年3組の保護者の方には下校見守りのボランティアをお願いしますと、大勢の方が応じてくださいました。続けて、学校では授業協議会に入ることができましたので、大変ありがたかったです。ご協力ありがとうございました。

3年算数「角の大きさ」

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180度より大きい角度の測定の仕方を既習の分度器を用いた角度の測定の仕方を基に考え、説明することができるということがねらいです。
自力解決の時間を多めにとり、求められたら、別の求め方はできないか考えていきました。中には3通りの考え方を展開する児童も出てきました。
班の中で自分の考えを説明し合う時間を設けることで、自分の考えがはっきりしてきました。また、友達の考えを聞き、考えが広がっていきました。

1年図工作品

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カラフルなカタツムリがいろいろな動きをして楽しそうです。

図書の寄贈

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学校に寄贈本が届きました。子どもが成長して読まなくなった本を寄贈していただいています。中には、かいけつゾロリが52冊もありまして、大変おどろきました。子ども達が喜びます。他にも、絵本や文庫、伝記、科学の本、様々な本がありました。

図書委員会の児童がとても手際よく手伝ってくれています。蔵書番号のバーコードシールと分類番号のシールを貼り、ラミネートします。後は、パソコンで登録すると、貸出することができます。配架までもう少しです。

図書室と同じフロアの4年生は特に読書が進んでいるようです。
学級文庫100冊は、図書室からの貸出にしています。
毎月入れ替えする学級もあるようです。

6/24(木)の給食

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*今日の献立*
黒糖パン
フライドチキン
温野菜
アヒアコ
牛乳

 広島県は東京オリンピック・パラリンピックに向けて,キューバ共和国のホストタウンになっています。アヒアコは,キューバの伝統料理で具沢山のシチューのような料理のことです。給食では,豚肉やじゃがいも,たまねぎ,とうもろこしなどを入れて,作りました。
 「クリーミーで美味しい」「今日は好きなものばっかり」と美味しく食べてくれていました。

1年生の教室で

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楽しそうに粘土を作っています。
平和学習の絵本が展示されています。

3年食育「バランスのよい食事について知ろう」

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学級担任が導入の部分は受け持ちました。今日は、「栄養バランスのよい食事について知り、元気に過ごすための学習です。栄養の先生から今日は教えていただけます。」
栄養教諭より、3つの色「黄・赤・緑」の食品について説明がありました。
それぞれには体の中での働きが違い、3色の食品について知りました。
 黄色の食品・・主にエネルギーのもとになる
 赤の食品・・主に体をつくるもとになる
 緑の食品・・主に体の調子を整える

5年生平和学習「ウェブ会議システムによる被爆体験伝承講話」

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昨日の4年・6年に続き、今日は5年生がウェブ会議システムによる被爆体験伝承講話をしていただきました。
被爆体験伝承者は横山まき子さんです。

川本省三さん(78)の被爆体験について講話されました。
原爆に両親ときょうだいの計6人を奪われた川本省三さん。
「諦めてはいけません」。戦後を生き抜いてきた川本さんの心の支えは、母のサツキさんが生前、よく口にしていた言葉でした。

当時は、袋町国民学校(現袋町小)の6年。
爆心地近くの塩屋町(現中区)の自宅から、県北の神杉村(現三次市)の寺に学童疎開していました。あの日、畑の開墾中、広島の方で白い雲がもくもく上がっているのを見ました。

夕方、広島が全滅したのを知りました。3日後、五つ上の姉で、広島駅に勤務していて被爆した時江さんが迎えに来てくれました。

母、弟、妹が自宅で抱き合うように亡くなっていたと聞かされました。建物疎開に出ていた父ともう一人の姉は、今も消息が分かりません。

川本さんは、姉と広島駅辺りで暮らしました。姉は、翌1946年2月に白血病で亡くなりました。その後、伴(現安佐南区)のしょうゆ店に、住み込みで働くようになりました。

23歳の時、心に決めた女性に結婚を申し込みました。しかし、生まれてくる子どものことを心配した相手の親から「被爆者とは結婚させられん」と断られました。目の前が真っ暗になりました。一人で生きていこうと決め、店を飛び出しました。

広島で運送会社を転々とし、給料は賭け事に使う日々。30代前半、交通違反の反則金2千円が払えず、免許証を没収されました。働けなくなり、生きる意味が分からなくなりました。死に場所を求めて汽車に乗り、所持金640円で行ける所まで行こうとしました。

降りた岡山駅の前にあったうどん店で、住み込み店員募集の張り紙を見つけました。
「やればできる。諦めたらだめ」。母の声が聞こえた気がして、人生をやり直す決意をしました。

50歳で弁当・総菜会社の社長に。
国民学校時代の友人が「みんな心配していたぞ」と連絡をくれたのをきっかけに、広島が恋しくなり、70歳の時に広島に戻って来ました。

今は、原爆資料館の案内や被爆証言活動をしています。母に教わった紙飛行機に折り鶴を載せ、これまでに約7万羽を配りました。

川本さんが折られた鶴と紙飛行機が子ども達全員がいただいています。

6/23(水)の給食

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*今日の献立*
ごはん
ホキの天ぷら
きゅうりのおかかあえ
けんちん汁

 けんちん汁は,根菜類やこんにゃく,豆腐などの材料をごま油で炒め,出汁を入れて煮た汁物のことです。もともとは精進料理なので,かつお節や煮干しの出汁ではなく,昆布やしいたけで出汁をとり,肉や魚は入れていなかったそうです。地域によっては,みそ味にすることもありますが,給食では,煮干しで出汁をとり,しょうゆと塩で味つけをして作りました。

4・6年生平和学習「ウェブ会議システムによる被爆体験伝承講話」

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平和記念資料館啓発課に申し込みをし、今日のウェブ会議システムによる被爆体験伝承講話が実現しました。
(財)広島平和文化センター 被爆体験証言者 國重 昌弘(くにしげ まさひろ)さんの「私の8月6日」という講話です。伝送者は小谷節子さんです。

國重さんは、昭和6年4月3日生まれ。
県立広島二中2年の14歳の時、爆心地から約2キロの東練兵場で被爆されました。
前日の8月5日は、旧広島県庁付近で建物疎開作業に従事し、「あの日」は交替の1年生322人が現在の平和記念公園で犠牲となったそうです。

戦時下の中学生は、太平洋戦争の末期、成年男子の多くが戦線や軍需工場に徴用され、 その穴埋めの形で、中学3年生以上は兵器工場などに通年動員され、1、2年生は交替で建物疎開などの勤労奉仕に従事していました。

建物疎開は、B29爆撃機による焼夷弾攻撃で全国の主要都市が次々と焼かれていくため、軍都広島でも中心部の民家16,000戸を東西4キロ、幅100メートルにわたって取り壊し、この空き地と7つの川で延焼を防ごうという狙いでした。

この作業に従事中に被爆死した中学・女学校の1、2年生は、約8000人にのぼります。 当時の建物疎開の跡が現在の平和大通りなのです。
8月6日、県立広島二中の2年生は、 8月5日に旧広島県庁(現在の加古町)周辺の建物疎開作業に従事し、6日は広島駅裏の東練兵場にいました。 この日は登校日だったのですが、急遽、練兵場の芋畠の草取りになったのです。

午前8時、先生の「集合!」の声に2年生約300人が整列を終えた時、級友のひとりが「空襲警報は解除になったのに、爆音がするのう」と言うので、上空を見ると、東から飛んで来たB29が急に北に向きを変えた、と思ったら光るものが2つ、3つ…。
私の記憶は、そこまでです。

ピカドン
気がついた時は、熱線と爆風でなぎ倒され、芋畠の中に折り重なっていました。
白い煙の中でうごめく人影と級友の顔がやっと見え始めたと思ったら、どの顔も灰色で、血の気がない。
土埃で汚れたのかと、友人の頬をさわると、顔の皮がズルッと剥むけました。 思わず手が震えました。
隣の友達が「お前の方がもっとひどいで」と言うので、そっと頬に触れたら、皮がズルリと垂れ下がりました。
これでは草取りどころではない。
急遽「作業中止。解散」ということになりましたが、顔全体と左腕に火傷していた私は、しばらく芋畠に座り込んだまま動く気力もありません。

上空を見ると、積乱雲のような雲が、赤い炎を巻き込んで、物凄い勢いで天空へと昇っていく。
市の中心部は一面火の海で、半身火傷の兵隊、下半身ボロを下げたような女学生の集団、火傷と包帯の警官に引率された囚人らしき群れ…。
いずれも幽霊の様に、両手を前に差し伸べたような姿で逃げてきます。

逃避行
昼過ぎになったころでしょうか。
吉島陸軍飛行場方面に逃げてゆく人々。
治療や救援の見込みもないので、市の西部から通学している仲間7人と、燃えている中心部を迂回して、戸坂、緑井、己斐のコースで家を目指しました。 道端には瀕死の重傷者が「水をください」とうめいていましたが、私たちも歩くのがやっとの状態で、助けるすべもありません。
そのうち私ら自身、ノドの渇きに耐えられなくなり、途中の救護所で「水を下さい」と訴えましたが、「火傷の人が水を飲んだら死ぬ」と、油のようなものを塗ってくれただけで、飲ませてくれません。
そんな時、農家の裏にある井戸を見つけ、「もう我慢できん。死んでもええ」と、釣瓶で汲んだ井戸水を、私が最初に飲みました。
あの時の冷たい水の味は生涯忘れることはできません。
もっとも、10分も歩かぬうちに火傷部分が水入りのゴム風船のように膨らみ、救護所で聞いた警告に怯えることになりましたが。
夕方近く、やっと己斐駅までたどりつき、軍の救援トラックに乗せてもらって廿日市の自宅まで帰りました。

仇かたきを討うつ
両親の顔を見た時は涙が止まりませんでしたが、その夜から新たな地獄が始まりました。 母親に頭を押さえられ、父親がピンセットで火傷の皮膚を剥はぎ、毎日4回、カサブタを剥いで白い油薬あぶらぐすりを塗りました。 それはギザギザの缶の蓋で引っ掻かかれるほどの痛みでした。
そんな時、「痛いよ、この仇はとってやる」と呻いていたそうです。

被爆証言
1日違いで生きながらえた私たち2年生は、「身代わり」となって死んだ1年生に対するうしろめたさのようなものを引きずって生きてきました。
そして被爆65年、テレビで戦後生まれの語かたり部べの存在を知り、 生き残った私たちこそ証言すべきではないかと気づかされました。
それが石に刻まれた1年生の無念の思いを代弁することになるし、地球上から核兵器を廃絶することが、私の「仇討ち」にも通じると思うからです。


6/22(火)の給食

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*今日の献立*
ごはん
含め煮
野菜炒め
牛乳

 「やさいいためがおいしい」「きょうのやさいいためさいこー」と一年生のクラスに入ると子どもたちが話しかけてくれました。
 今週は給食たべよう週間です。クラスみんなで残さず食べることを頑張っています。残さず食べることができれば,赤いリンゴの実がもらえます。赤いリンゴの実と,担任の先生の声かけで,いつもより美味しく食べられたようです。残さず食べることができました。

4年算数「角の大きさ」

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180度より大きい角度は、180度と何度かを考えたり、360度から引いたりすると、求めることができる。
算数的活動を組み入れて、論理的に思考できる力を育てていきます。
自力解決の場面では一つのやり方で解けたら、二つ目、三つ目と考えていきました。
 180度+ 30度=210度
 360度−150度=210度
 270度− 60度=210度
三通りの考え方が紹介されました。
友達の図を見て、説明役をやってみる経験もしました。

たけのこ学級「ばしょはどこかな」

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上下、左右に関わる順序や位置の表し方を理解する学習です。
マジックテープでくっつけたり、はがしたりする操作をして、答えを求める教材が用意されています。楽しみながら順序だてて考えることができます。
このように、たけのこ学級では教材工夫を大切にしています。

4年算数「角の大きさの表し方を調べよう」

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前の時間に1直角は90度、2直角は180度〜を学習しています。
それを使って、180度より大きい角度の測定の仕方を考えました。
問題を解くために見当をしてみました。
「180度より大きい。3直角にはちょっとだけ足りない。」
180度を使いたいけれど、まだ見えない。どうやったら見えてくるかなあ。
「ないところに線を引くといい」
先生は補助線という言葉を教えました。補は習っていないけど、助はたすけるです。
補助線といいます。
「180度とあと何度」という考えが生まれてきました。
個人のノートがとてもしっかりしています。
児童が自分の考えを皆の前で紹介する活動も大切にしています。
大型テレビと黒板の板書の視覚情報が整理されています。

たんぽぽ学級算数「あわせていくつふえるといくつ」

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1年生の算数の学習の様子を紹介します。
前の時間に、それぞれがたし算になる問題づくりをしています。
今日は「ぼくのたしざんもんだいをみんなにといてもらおう」というのがねらいです。
問題の出し方の説明を先生から聞いて、一人ずつ前に出て、「ぼくのたしざんもんだい」を発表しました。
自分の作った問題をお友達が答えてくれました。

歯のみがき方を指導しました。(後半)

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先週は歯の衛生週間の取組をしました。5年生の保健委員が1年生、たんぽぽ、たけのこの教室で歯のみがき方を指導しました。「箸でみがき方の練習を一緒にしてくれて、うれしかった。」と保健委員が一番うれしそうにしていました。歯みがき指導をした後、保健室当番に来て、「石けんの希釈をやりたい!やりたい!」と委員会活動に意欲が高まった姿がみられました。

校内研修に向けて

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コロナ禍の中、校内全体研修会の形も変わりました。
昨年度は低・中・高ごとの3つに分けて授業研修をしました。
今年度は、一つの授業を全員で見ますが、教室に入るのは同学年や講師の先生だけで、他の先生には、別教室で「リモート」によるライブで授業観察をしてもらいます。
「密集・密閉・密接」の3つの密を避けての研修です。
この度は1年生の授業を全教員で見て、その後協議会を行います。

この様子は、同じ1年生の先生による事前研の様子です。
同じ指導案でやってみて、工夫改善を進めていきます。
リモートで授業の様子が伝わるか、職員室にいる教頭とつなげている様子です。
また、個人思考やペアや班の話し合いの時は、小型カメラで撮影していきます。

当日は、2年生以上の全学年と特別支援学級と7会場と授業会場をつなげます。

授業の腕をあげる機会として、順次他の学年も行っていきます。

5年図工「伝えたい思い」ポスター

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4年生の時に水道局のポスターコンクールで作品づくりに挑戦したことがあります。
5年生になって、自由課題のポスター作りです。
廊下にはそれぞれの児童がテーマを決めて、ポスターづくりをしました。
伝えたい思いがしっかり伝わります。
それぞれに楽しい作品です。参観日にご覧ください。
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