最新更新日:2024/09/18 | |
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子どもの存在この撮影のわずか2年前,昭和20年8月6日,本川小学校は,原爆投下により,校舎骨格を残し,全焼しています。そして,10名の教職員と約400名の児童がその尊い命をなくしています。この写真が撮影された昭和22年は,復興が始まったとはいえ,まだまだ困難な時代であったことと思います。 こうしたことを想像しながら,この写真を見ると,子どもの存在は,いつの時代にあっても,未来の希望であり,人々の元気の源であることを感じずにはいられません。 今日も,この写真を見て「何よりも子どもを大切にする」と心に誓いました。10連休が明けて,学校生活の再スタートです。 学区の概要○天満橋から本川橋への通りは,旧山陽道で,本川河岸には,舟着場としてのがんぎがいくつもありました。「十日市」は市場町の名残で,堺町問屋街をはじめ,昔からの商業地域として栄えてきました。 ○昭和20年8月6日の原爆は,本校の東410メートル,高度約600メートルの上空でさく裂し,一瞬にして本川学区も焼土と化しました。本川小学校も爆心地にもっとも近い学校として,大きな被害を受けました。 ○戦後はいち早く復興し,市場,問屋,小店が軒を連ね,戦前以上の繁栄をもたらしました。 ○本川を隔てた平和記念公園は年々緑が深まり,原爆ドームのたたずまいと,朝夕の平和の鐘の音は,平和を願う気持ちを強くさせてくれます。 ○学校敷地内には被爆校舎の一部を保存した「本川小学校平和資料館」があり,今年度より土・日曜日及び祝日も開館することとなりました。 ※写真は,南校舎から原爆ドームを撮影したものです。手前に写っているのが,本川(旧太田川)です。 本川小学校平和資料館本川小学校平和資料館は,広島市が推進する「ピースツーリズム」のルートにもなっています。本日も17:00まで開館しています。お越しの際は,資料館へ一番近い北門よりお入りください。 昨日は,本川小学校平和資料館へ国内外から100名以上のお客様をお迎えしました。どうぞ,それぞれの地域に帰られましたら,資料館で見たもの・感じたことを周りの方々へお伝えいただけたらと思います。 校歌作曲 永井 建子 一 緑の山々 海は白帆 大広島の 真中に占めて 千余の友連れ 意気高らかに そそり立ちたる 我等が学舎 二 見上ぐる空は 鏡と澄みて 陽の輝きは 心にあふる 睦び楽しむ 我等の家と そそり立つるは 本川小学 三 見下ろす太田の 川波静か 音も朗らかに 舟歌流る 行手遥かに 思いを載せて 励む我等の 学舎ぞこれ ※本校の校歌は,昭和3年(1928年)に制定されています。同年には広島市で初めての鉄筋コンクリート校舎(現在,校舎の一部分を平和資料館として保存)が完成しています。歌詞から,この校舎を誇りに思う気持ちが伝わってきます。 パノラマ今日は,東京から来られたご家族が,このパノラマをご覧になっていました。 新しい令和の時代にも,ここ本川小学校平和資料館は平和の大切さを伝え続けていきます。 |
広島市立本川小学校
住所:広島県広島市中区本川町一丁目5-39 TEL:082-232-3431 |