最新更新日:2024/09/25 | |
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家庭学習の意義
夏休みに学ぶことは何か。
どこの学校でも,たくさんの家庭学習課題が用意されていると思います。学習内容そのものも大切だとは思いますが,家庭学習への取り組みを通して,自律した生活リズムを鍛えることこそ重要である,と私は考えています。 家庭学習の意義は,自分自身の意志の強さで自分自身を学習の場に向かう習慣をつくることにある。少なくとも私は,担任としてそのように指導してきました。 正直,誰だって家庭学習は敬遠したい。学習活動とは,大きな達成感と強い自己抑制力がないと生まれない活動です。大きな達成感と強い自己抑制力は,いずれも学校生活の中で育くむべきものですが,家庭学習の場を活用することでも効果的に身に付けることができます。 休みたい,手を抜きたい,遊びたいという欲求をコントロールし,決まった時間に学習環境に身を置く訓練をする。何でもいいから「テキトー」に済ませて家庭学習を終わらせたい,という感情を抑え,丁寧に取り組む。確かめをする。この繰り返しが,自己管理能力の育成に大きく寄与することは間違いないでしょう。 本校の子どもたちは学園での家庭学習になりますから,少し様子は違いますが,それでも自分で自分を鍛えるチャンスであるこの長い期間を,それぞれが有効に活用してほしいと思います。 責任を果たす
19日の朝,市営桟橋で普段見ない船にたくさんの高校生が乗っていました。Tシャツの背中に「HIROSHO」の文字。なるほど,高校野球広島県大会に参加する広島商業高校野球部の一行か,と合点がゆきました。調べてみると,呉二河球場の第1試合。西日本豪雨災害の影響で,復旧したばかりの国道31号線は大渋滞が予想されるので,時間の計算できる船便をチャーターして呉港から移動するのだろうと予想しました。
何としても試合開始に間に合わせるために,あらゆる手段を勘案し,万全の体制で今朝を迎えたのでしょう。広商野球部の選手,関係者の皆さんは,相当な緊張感をもって今日を迎えたはずです。彼らの健闘を祈ると同時に,「試合開始に間に合う」という結果を責任もって果たそうとする姿勢は,私たち社会人にこそ求められるものだと,改めて気もちが引き締まりました。 職業に就いている私たち社会人は,常に何らかの結果を社会に問われているのですから。最善を尽くしただけでは不十分です。結果がついてきてこそ,最善を尽くした過程が認められる。 社会人としての責任とはそういうことだと思います。 手を伸ばす
水泳記録会が行われました。
子どもたちには,「プール水を見なさい。眩しい日の光を受けて,きらきらと輝いている水に皆さんは今から挑戦します。自分のできる限りの力を出し切りなさい。そのために,大きな声を出して返事をし,身体の力を起こすこと。大きな声で応援をして支え合い,友だちの力を引き出すこと。この2つを意識しなさい。」と話しました。 すいすい泳いで自分の記録を縮める子,やっとできるようになった息継ぎを駆使して何とかゴールに辿り着く子,一人ひとりに様々な表情のあった記録会でした。 印象的だったのは,何度も止まりそうになりながら,大きな声援を背に受けて,ゴールをつかもうとして懸命に手を伸ばす子の姿でした。決して泳ぐのが得意な子ではないのですが,力を使い果たし,教員の手を借りてプールサイドに上がったその子は,照れたような満足気な笑顔を浮かべていました。 目標に向かって,精一杯手を伸ばす。これこそ,正に「一生懸命」の姿です。 子どもたちは間違いなく,友だちの応援のお蔭で普段以上の力を出しました。 子どもたちは間違いなく,自分の力を出し切りました。 素晴らしい。全員「はなまる」です。 ここで暮らすということ
五月雨,霧雨,通り雨,驟雨,氷雨,小糠雨,春雨,夕立,天気雨,雷雨に小雨,時雨に村雨,狐の嫁入り,鬼洗い……
日本には様々な雨の呼び方があります。私たちの祖先はこんなにも雨を受け入れ,あるいは愛し,美しく表現してきたのに,このたびの豪雨はあまりにも私たちに厳しい。 似島もあちこちで道路が寸断され,畑や墓も流され,一時は電話・FAX・LANが不通となるなど,元の通りの姿を取り戻すにはかなりの時間がかかりそうです。 被災地の町の電気屋さんが,店舗の土砂撤去もそっちのけで地域の家庭を回り,無償で電気点検・修理を行っている姿をテレビで拝見しました。店舗の原状回復は後回しなのですか,と記者が尋ねると,店主は次のような言葉で口にされました。 「うちの店はここで暮らしているのですから。」 この言葉には,今,この町の人が困っているのであれば,それは他人事ではない,自分の店は,町の人々と一緒にこそあるのだ,という気概があります。この店主は,小さい頃からこの町で育ててもらった思いも強いようです。「町の電気屋」としてできることがあるなら,まずそれに精一杯取り組もうという思いを感じました。地に足の着いた,本物のプロフェッショナルです。 「ボランティア」とは,「共に生きる」「共に歩む」という思いと行動なのだと改めて気づかされました。 見た目
人は見た目ではない,中身が大切なんだ。
よく言われる言葉です。先日の「星の王子さま」の件でも,「本当に大切なものは目には見えない。」という言葉を紹介しました。 しかし,見た目は非常に大切です。社会人として一般的に信頼に足る見た目というものはあります。例えば,学校長が真っ赤なシャツやスーツで校長室にいることで,訪問者の第一印象として何を感じるでしょう。 中学校3年生が職場体験に参ります。中学生に意識できて,社会人として身に付けてほしいこと,それはまず,見た目に信頼される振る舞い,格好ができる,ということです。 服装,姿勢,挨拶。 この三点に注目してまわりの大人を観察してほしい。真似るべきところを見つけて,真似てほしい。 出発式ではそういう話をしました。 鰻屋職人の気概
土用の丑の日が近づいてくると,近頃いつもニホンウナギの絶滅の話題がニュースになります。
美味しい鰻が食べられなくなるのは辛いところですが,老舗鰻屋「野田岩」主人,金本兼次郎さんにとっては死活問題です。15歳から鰻を焼き始めて70年,奇跡の名人芸と言われ各界から絶賛される腕をもつ職人です。 天然物の鰻が手に入りにくくなり,江戸時代から続く伝統ある店の味を守るために,天然物の鰻が入荷しないときは店を閉めるようになりました。しかし,天然物の鰻はどんどん入荷困難になり,とうとう養殖の鰻を出すのかどうかで苦悩する事になります。悩んだ末に彼が辿り着いたのは,「鰻がどうのこうのではなく,どのような鰻でもお客さんが満足して喜んで食べるような鰻を焼く工夫をする事が職人の仕事ではないか。」という姿勢でした。 時代は変わり,店を取り巻く状況も環境も事情も変わる。しかし,変わらないのは,「美味しい鰻を食べたい」という客の思いと,「お客さんの喜ぶ顔が見たい」という職人の思いです。自分が学んできたときの材料が,道具が,環境が手に入らないと言って嘆くことは誰でもできます。鰻職人は鰻を美味しく焼くことで客を喜ばせることができる仕事をするもの。今日以上の鰻を焼く工夫を重ねるのが仕事です。 教育も全く同じ。子どもは変わり,親は変わる。環境も変わります。しかし,「できるようになりたい」という子どもの思いと,「子どもの達成感に満ちた笑顔が見たい」という私たちの思いは不変の筈です。金本兼次郎さんは85歳にして未だ泥まみれになって前に進もうとしています。私たちにもまだまだできることが転がっています。 気もちのよい挨拶
先日,静岡県で下校中の4年生が,18歳の男に突然切りつけられて重傷を負うという痛ましい事件が起きました。「誰でもよかった」という動機には大変やるせない思いです。
このような通り魔や空き巣などの犯罪を防ぐ最も効果的な手立ては,やはり挨拶なのだそうです。日頃から明るく大きな声で互いが挨拶を交わすコミュニティを創ること,自分はこの社会の一員でなのだと自覚できるような環境を調えることが何よりの防犯につながります。犯罪を意識している後ろめたさや過敏な警戒心をもっている人間には,こうした社会参画意識が邪魔だそうです。何より,自分が周囲から意識されている,認識されていることを嫌がるからです。勿論,犯罪防止という受動的観点ではなく,互いを支え合い高め合う集団づくりという観点からも,挨拶を活動の柱に据えることは意義深いと思います。 本校の子どもたちも朝からすっきりとした声が出せる,互いにとって気もちよい声かけができる人間に育てていきたいと思います。 輪廻転生
仏教には輪廻転生(りんねてんせい)という概念があります。命のもと(霊魂のようなもの)は不滅で,生き方や業(ごう)によって,過去から未来へと六道(りくどう)を繰り返す,というものです。
その中には,ミジンコなどの小動物,虫に生まれ変わることこそ業が軽いのだ,という考え方もあるようです。なぜなら生きることに精一杯で余計な苦しみ,悩みなどないから。人間に生まれるのが一番苦しいわけです。そうした悩みや苦しみの中から悟りを得ることができれば,輪廻転生から解脱して極楽浄土に行けるのです。 これからの行く末が長い子どもたちには,輪廻転生だの極楽浄土だの言ってもぴんと来ないでしょう。今抱えている悩みや苦しみからすぐに解放されたいのですから,入滅のための世界観を語られても心穏やかにはなれないでしょう。 家庭や学校で得られる彼らにとっての極楽とは何か。 そのひとつが「達成感」です。少し背伸びをしなければ手の届かない目標を立て,取組をして成し遂げる。取組を繰り返すたびに小さな「達成感」が生まれ,喜びを感じることができる。この経験を繰り返して,小さな努力を続けることの意義を心と身体に沁みこませる。それは,子どもたちにとって心の安寧につながる方法のひとつだと考えます。 私たちがすべきことは,決して金銭や物品を与えることではなく,少し背伸びの必要な目標を日々設定し続けることです。 ひょっとしたら
明後日はセネガル戦です。
試合や情報で見る限り,前評判を覆して,セネガルはコロンビアより遙かに強そうですが,人間というのは現金なもので,ひょっとしたら,という淡い期待を抱いています。かなり多くの国民が,少しわくわくした気もちで過ごしているのではないでしょうか。 考えてみると,ワールドカップにせよ,プロ野球ペナントレースにせよ,宝くじにせよ,「ひょっとしたら」という期待をもって待つ間が一番幸せなのかもしれません。期待を抱くということが,日々の生活の何よりの意欲喚起,モチベーションアップにつながることは間違いありません。自己実現・生涯学習は私たち自身の責任で全うすべきことですが,そのためには何らかの期待を持ち続けることができるような目標設定・環境設定が必要です。 子どもたちの場合,彼らが自立するまでは,学習にせよ,生活にせよ,期待を持ち続けることができるような環境や仕組み,準備を工夫するのは私たちの仕事です。学校生活においては,系統的戦略を練って,学校経営,学級経営,学習経営に取り組まなければなりません。 子どもたちの期待に溢れる環境を調えましょう。 啄木鳥の舌
「啐啄同時」(そったくどうじ)の話をしたので,ついでに啄木鳥(きつつき)の話を少々。
名前を知らない人はいない鳥です。 啄木鳥が木を叩くことをドラミングというそうですが,餌をとる以外に縄張りを主張する音でもあるようです。彼らの餌は蟻。食べるのには長い舌を使います。カメレオンなどと同様,舌を伸ばして捕食するのですが,その舌は頭蓋骨の回りに巻き取られるようになっていて,木を突くときの衝撃から脳を守る働きもしています。実によくできた構造です。啄木鳥という種を残すため,環境に適応するために,より適した特徴をもった個体が生き残り,長い年月の間に進化を続けたのでしょう。 人間は力を合わせる,思いやるという社会性を磨き続けていますが,より豊かに,よりよく生きるためには自分だけのストロングポイントを磨くことも大切です。私たち教職員も勿論ですが,子どもたちにも「あれこれ」でなく,何かひとつストロングポイントと呼べる力をつけていきたいですね。 UFOの日
6月24日は「UFOの日」なのだそうです。アメリカ人実業家 ケネス・アーノルドが初めて未確認飛行物体を目撃・報告し,「空飛ぶ円盤」と呼んだことに因みます。
不思議なもので,アメリカ人は必ず一生に一度はUFOに連れ去られたり,その夢を見たりするそうです。私たち日本人は夢や臨死体験で,三途の川の前に立ったり,死んだおじいちゃんに追い返されたり,という話をよく聞きます。欧米人は絶対しない経験でしょう。逆に,私たちはUFOに連れ去られる夢はほとんど見ません。 これは,文化・習俗や信仰,生活環境の違いによるもので,日頃どういう教育を受け,どういう価値観の下で育っているかが大きく影響しています。当たり前のことですが,観念や感覚といったものは日頃の意識を下敷きにして身についていきます。 外国の中には,アイスクリームやチョコレート,ポテトチップスなどを食事のひとつとしてとらえているところがあるようですし,清掃活動を子どもにさせるのは,児童労働,虐待だと考えているところもあるようです。善し悪しと言うより,価値観の違いです。 日本で行われている教育の中で,価値があるとされているものは,生活や文化のどこにどのように根ざしているのか,日頃から意識し,理解しておかなければなりません。その上で,それらの教育的行為の価値をつかみ,どのように生かすのかについて戦略的に考える必要があります。 掌返し
「掌返し」という言葉が聞かれます。
サッカー日本代表の西野監督に対して,です。戦前はさんざん酷評したメディアやネットが,決勝トーナメント進出が見えてきた現在いきなり数々の美談を放り込んでくる。「西野さんごめんなさい」現象だそうです。 大会直前の試合で連敗したとき,「順調に仕上がっている」「問題はない」「着実にステップアップしている」という西野監督のコメントに対し,「危機感がない」「この監督では勝てない」と選手選考も含めて大バッシングが起きました。しかし,予選リーグで強豪相手に予想外の1勝1分けと大善戦すると,今度は「あの連敗には理由があった」という記事が踊っています。さすがに噴飯物ですが,少なからず私もその一味です。 私の軽薄で甘い認識を恥じるべきなのですが,それもこれも結果が出たからです。成果が上がらなければ,以前にも増して批判の嵐が吹き荒れているでしょう。考えてみれば,世界のフットボールの最前線で戦う国の代表監督です。私たちが抱いている危機感なぞ当然理解し,分析した上で,結果を出すため,成果を上げるための最善の取組をしていたはずで,とんだ釈迦に説法でした。 現状を分析し,目標を設定して,戦略的・計画的に行動する。勿論,成果を得るために,彼らは常人には想像できないような努力もしているのでしょう。この構造は授業づくり,教育環境づくりに必要な手立てと全く同一です。 学ぶことの多いワールドカップです。 子どもが伸びるタイミング
「啐啄同時」(そったくどうじ)
鶏が孵化するとき,雛が内側から殻を突きます(啐)。するとすかさず親鳥が外側から殻を突いて破ります(啄)。この親子同時の共同作業で,雛はこの世に出てくるのです。 これは禅宗の言葉で,弟子が悟りを開こうとするとき,師匠が適切なタイミングで教えを施し,悟りを導くことを言います。まさに教育活動そのものです。 「お母さん,見て見て。綺麗な虹だよ。」 子どもが母親の手を引っ張っているのに,母親はスマホに夢中で気にもせず通り過ぎてしまう。よく見かける光景です。虹の美しさ,自然の神秘,虹の不思議,虹についての昔話など,親子で語り合う機会をみすみす逃してしまう。ちょっとした大人の対応で,子どもは伸びたり伸びなかったりするのでしょう。 子どもたちが上昇気流に乗りそうなタイミングを見極め,高く高く羽ばたけるように,長い時間滑空して様々な世界を見ることができるように,適切に指導・支援を行うのが私たちの仕事です。 まずは飛び立とうとしているタイミングをつかむようにしたいものです。 西郷どん
「胡麻化す」の語源は,江戸時代に売られていた胡麻胴乱という小麦粉と胡麻を混ぜて膨らませた空洞の菓子,つまり「胡麻菓子」に由来すると言われています。中身が空っぽということの例えで,今の意味に使われているそうです。
中身が空っぽな人間というのはイメージがよくないですが,子どもと対するときは空っぽにしていた方がいいと思うときがあります。子どもが小さく叩けば小さく響き,大きく叩けば大きく響く鐘ように。 維新前夜,坂本龍馬が初対面の西郷隆盛を評してそのように言ったとか。相手に合わせて響くためには,こちらの懐が深くないといけませんし,いろいろな引き出しも必要です。 では,どうすれば「西郷どん」のように懐の深い人間になれるのでしょうか。 彼は,日々の事象を全て我が事として感じ,考える習慣があったようです。周囲を俯瞰し,場の雰囲気や相手の思いを感じる。つまり,常に高感度のアンテナを張り,意識を高くもって生活するということです。意識を高めることで,より多く「考える」経験を重ね,思慮を深めることができたのでしょう。 「敬天愛人」とはそういうことなのかもしれません。 真の援助
先日学校の水道管が破裂し,緊急で修繕をしていただきました。短い時間でしたが断水したため,トイレの使用もできず,水やりもできず,大変不便でした。
アフリカやアジアの貧困に喘ぐ国々では,インフラ整備が喫緊の問題ですが,一番困るのは経済力にものを言わせて,施設を整備する金や施設そのものだけを援助することなのだそうです。 水不足の地域に井戸を掘る。これは自体は立派な援助なのですが,掘りっぱなしの井戸はほどなく汚れ,枯れて使えなくなります。本当の援助は,井戸を掘ることではなく,井戸を管理・維持する技能や意識を地域の人々とつくっていく,教育することです。つまり,整備されたインフラを管理できる社会づくりが真の援助であるということです。 学校においては,教材やドリル,プリントを与えただけでは教育とは言えません。それらをどう与え,どのように活用するのか,考え得る限りの配慮と工夫をする。 当たり前のことですが,そこに私たちの仕事があります。 星の王子さま
6月29日は「星の王子さま」の日だそうです。言わずと知れた,サン・テグジュペリの名作です。
ファンタジーですが,大変に示唆に富んだ言葉に溢れています。 小説の中でも代表的な次の言葉から,何を読み取ることができるでしょう。 「本当に大切なものは目には見えない。」 「大人は誰も,はじめは子どもだった。しかし,そのことを忘れずにいる大人は,いくらもいない。」 子どもたちだけでなく,大人にも是非読んでほしい一冊です。 文月
「文月」
由来には諸説ありますが,中国では七夕の時期に書物を広げて虫干しする習慣があったそうです。「文開く月」が転じて「文月」。単に七夕の短冊を指しているとも言われます。 近年,電子書籍が増え,ネットでダウンロードすると安く買えることもあって,紙媒体の書籍は売れなくなっています。 自戒を込めて,の話ですが,私たち子どもの教育に携わる者は,広く情報を収集する習慣,多様な考え方に触れて柔軟に思考する習慣を維持しなければなりません。そうでないと先日の「小さく叩けば小さく,大きく叩けば大きく響く」人間ではいられません。 読書は,多様な仮想世界に私たちを誘い,疑似体験,独り議論をさせてくれる最も身近なツールです。紙媒体が良いのか,電子媒体が良いのかは議論を譲るとして,時折「文開く」習慣のある読書生活を送りたいものです。 サーマル
先日,似島大運動会が行われました。雨が心配されましたが一滴の雨粒も落ちることなく,寧ろ薄日が差す程度の,グラウンドに涼しい風が渡るという運動会日和でした。
競技の合間にふと山を眺めていると,鳶が上空から何かを狙って滑空していました。彼らは数度羽ばたくと,あとは長い時間翼を動かすことなくくるれくるりと滑空します。上昇気流を見つけ,長時間空に居続けることができるそうです。この上昇気流のことをグライダー用語では「サーマル」と呼ぶそうです。グライダーもそれを利用して飛翔する乗り物です。「ブルーサーマル」というグライダーにかける大学生のサークル活動を描いた漫画があります。主人公は,上昇気流を鋭敏に感じることのできるパイロットとしての大いなる才能を少しずつ開花させ,人としても成長していきます。 子どもたちの成長にも上昇気流,つまり飛翔のタイミングがあります。 骨太の方針
プロ野球の話です。
交流戦当初,カープの打線は決定打が出ず,大変苦労していました。パリーグの各チームはカープの打撃力を研究し,カープ打線が得意にしている直球(ストレート)ではなく変化球で勝負する作戦を立てているそうです。 さて,そこでカープがどのように対策をしたか。 答えは「直球を狙え。」 カープの打線は前の石井琢朗コーチのときから,速い直球を力強く打ち返すという方針の下,数多くの素振りを課し,スイングを鍛えているため,他球団と比べても打者のスイングスピードが非常に速いそうです。 これは球団の大方針です。相手の作戦に合わせることなく,打者育成の大方針を変えないということです。小手先の対応では,今まで積み重ねてきた大方針を崩すことになりかねません。変化球に惑わされて直球にも対応できなくなるのでは元も子もありません。寧ろ,走塁や守備,投手力で補うなどの対応で,打撃そのものの大方針は変えない。とても大切なことだと思います。 基本的な方針を大切にし,揺るがすことなく対応していく。そのような骨太の方針を策定する。教育活動においても大変に参考になる姿勢だと思います。 褒めることの価値 3
褒めることは創ることができます。
実は,修学旅行の意義について,子どもたちに出発式でこう話しました。 「修学旅行に行くのは,公の心,つまり,自分だけでなくいろいろな人がいるのだ,その中で行動するのだということを学ぶためです。ホームや学校では我儘を言っても理解してもらえるところがあるかもしれませんが,ここ以外の社会に出るとそれは期待できません。公を意識するというのは,回りにもたくさんの人がいるのだということを意識し,そして我慢する,自分をコントロールするということです。」 秋芳洞で挨拶をして褒められたという出来事は,この話と関連して評価し,褒めることもできます。出発式で話したことをよく聞いていた,回りを意識することができていたから挨拶ができたのだと。 このように,事前に褒めるための種を蒔く,つまり行動のめあてや物事の視点を具体的に示しておくのです。蒔いた種が実れば,つまり予め設定しためあてや視点に沿った言動を行えば,その点についても褒めることができる。褒めるという評価を生産することができるわけです。 褒めることは難しいです。叱ること,注意することは目に付きますが,褒めることはなかなか見つからない。「褒める」という評価は,座して待つのではなく,創るものでもあります。 |
広島市立似島学園小・中学校
住所:広島県広島市南区似島町長谷1487 TEL:082-259-2311 |