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最新更新日:2025/07/22 |
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足跡
週末に運動会を控え,取組も佳境に入ってきました。
本校のグラウンドは1ヵ月以上前から7トンもの砂を手作業で篩(ふるい)にかけ,裸足で滑らかに感じるほどに整えていきます。グラウンド整備に対する情熱は阪神園芸も顔負けです。 古刹の庭園のように箒の目が入ったグラウンドに足跡を付けるのはなかなか勇気の要ることです。そこに特別な時間が流れることが約束されているからであり,積み上げた取り組みの重みがあるからでしょう。同時に,降り積もった銀世界に最初の一歩を刻むような,手漉きの和紙に墨滴を垂らすような,ドキドキわくわくした感覚にも包まれます。小さな頃,期待に胸膨らませた遠足の前や修学旅行の前も同様です。 運動会の日に,子どもたちがそういったドキドキわくわくの気もちで一歩を踏み出せるような,そんな環境づくり,積み上げをしていきたいものです。 災害に強い国
インドネシアで大きな地震と津波の被害が広がっています。被害の全容をつかみ切れていないようですが,人口の多い国ですから心配が募ります。
自然災害の多さ,大きさという点では日本は世界で最も深刻な国の一つです。外国の方々は,あんなところによく住んでいるなあ,怖くないのかという思いをもっているようですが,この国に住む私たちは災害に「強い」のもまた事実です。 「強い」とはどういうことか。 日本は,防災意識,施設,避難意識・訓練などが比較的高く,整っていることは間違いありません。何より大きな犠牲や被害を乗り越えて,自然災害ですら意義や価値のあるものとして後世につないでいこうとする,またそうすることができる文化や生き方そのものが「強い」のだと考えます。 様々な人的・物的被害だけでなく,例えば運動会が中止・延期になったり,準備・練習が計画どおり進まなかったりするというような小さなことも含めて,私たち一人ひとりがどのように受け止め,如何に意義や価値のある知識・経験に高めるか,子どもたちに理解させるのか。療育・教育の現場で問われているのはそういうことだと思います。 教科書を学ぶ
京都大学の本庶先生が本年度のノーベル医学生理学賞に選ばれたニュースは,私たちを大変勇気づけてくれました。先生はあちこちのメディアにひっぱりだこで,大変お忙しそうでした。本庶という珍しい名字も一気に認識されるでしょう。
インタビューに取り上げられた本庶先生の言葉の中で気になるものがありました。メディア受けする言葉でしたので,何度も放送されていました。 曰く,教科書の内容が正しいとは限らない。信じてはいけない。いつも疑念を抱き,検証しようとする視点をもつところから科学はスタートする。 大雑把にまとめるとこのような内容でした。 これは,教科書なんか大したものではない,有難がる必要も,勉強する必要もないんだ,自分の信じた道を行けばいいんだ,ということと同義ではありません。 教科書は必ずしも正しいとは言い切れない。 確かにその通りです。物事に対して批判的な視点をもつことも大切です。しかし,これまでの科学・認識を整理し,まとめ上げ,検定に合格した教科書の内容は,現在の学識の標準です。疑念をもち,検証する,批判する姿勢というのは,あくまで誤解なく教科書の内容を理解し,咀嚼しきってこそ立てる地平です。勿論,本庶先生はそれを当然の前提として仰っているのでしょうが,言葉は切り取り方次第でどのようにでも独り歩きをしますし,時の人や有名人の言葉は大きな影響力をもちます。私たち受け取る側の人間はよくよく注意しなければなりません。 教科書の内容をきちんと読まずに批判し,拒絶することは,科学的に正しい姿勢であるとは言えません。批判も評価も相手を正しく認識するところから始まります。私たちはまず,教科書の内容に向き合い,正しく理解できる人間を育てなければなりません。検証・批判はそこから始まります。 |
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