最新更新日:2024/09/20
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【公の場で通用する人】をめざして、日々頑張っています!!

8月6日(金) 平和の集い(2)

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 後半は、湯来原爆被爆者の会、内藤紘治副会長にお話をしていただきました。
 内藤さんは、5人家族で、南区の皆実町にご両親、お姉様2人と、幸せな生活を送っていたそうです。(写真や16ミリフィルムを撮るのが趣味のおじ様が残しておられた、写真やフィルムには幸せな生活がうつっていました。)その後、お父様は出征、お姉様1人は、水内へ学童疎開され、被爆された時は、4歳。お母様、お姉様と3人で暮らしていたそうです。
 8時15分、眩いばかりに周囲が光り、お姉さんが覆い被さってくれたこと、町内会で出かけていたお母様がお昼頃、真っ黒焦げになって家に帰ってきたこと。近くの収容所でその夜もらったおむすびが美味しかったこと。次の日、お母様が39歳でなくなられた時、遺体をどうすることもできず、遺髪だけ切り取ったこと。15歳のお姉様に、背負われ、遺体が丸太のように並んでいる市内を横断し、楽々園まで行き、そこから偶然であった親戚の方のトラックで水内まで帰ってきたことなど、淡々と話してくださいました。
 戦後も、食料がなく、いじめにもあったと言っておられました。また、現在、湯来町原爆被爆者の会も会員の年齢が高くなり、活動が難しくなっていることや、核廃絶の願いを次世代につなげて行くことの使命を語ってくださいました。
 
 内藤さんは、会の中心となってお世話はしておられましたが、ご自身のお話は殆どしてこられなかったと言われていました。今回、私たちは直接そのお話を伺うことができて、貴重な学びとなりました。
 戦後76年がたち、直接戦争や原爆を体験した方々がどんどん少なくなっています。今回のお話を伺い、特に若い世代が中心となり、伝えていかなければ、立ち消えになっていく恐ろしさを感じました。

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