最新更新日:2024/09/18 | |
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運動会(体育参観日) 開会式 校長あいさつ【校長のあいさつ】 いよいよ運動会が始まります。今年は,体育参観日と言っていつもとは違う形の運動会になります。今日の運動会をよりよくするために,本川小学校の先生たちは,長い時間をかけて,何度も何度も話し合いました。そして,知恵を出し合い,今日の運動会の形を生み出しました。先生たちが嬉しかったのは,例年とは違う運動会だけど,例年と同じように,一生懸命練習する皆さんの姿でした。今日は,本川小学校の全員の先生が,皆さんの応援団です。自信をもって,練習の成果を出してください。 戦争があった頃,本川小学校では,運動場の隅に,白いコスモスの花を植えていたそうです。運動会で使うバトンがなかったので,この白いコスモスをバトンの代わりにしたそうです。もののない不自由な時代にコスモスをバトンにしたことは,優しくて幸せな気持ちになる素敵なアイディアだと思います。今日の運動会で,保護者の方を幸せな気持ちにするのは,つまり,コスモスのバトンの役を果たすのは,皆さんの一生懸命な姿,輝く笑顔です。 保護者の皆様,本日はご来校くださり,ありがとうございます。日頃より本校の教育活動にご理解とご協力をいただいていることに,感謝申し上げます。今年度は,感染症防止対策のため,今日まで授業参観を実施することができていませんでした。今日,初めて学校でのお子様の姿を見ていただくことができます。どうぞ温かい拍手をお願い申し上げます。 児童の皆さん,今年のスローガンは,「ワンチーム 希望をもって かがやこう」ですね。「ワンチーム」,今日は,児童の皆さん,本川小学校の先生たち,そして,応援してくださる保護者の皆さんがワンチームです。心を一つにして,運動会を成功させましょう。 ヒロシマの校庭から届いた絵〜本川小学校の物語〜それは,私にとって,新たな発見と深い学びのある授業でした。 福山大学の小原友行先生が本校の6年生に「ヒロシマの校庭から届いた絵〜本川小学校の物語〜」の授業をしてくださいました。 原爆が投下されて数年後,本川小学校には,アメリカから文房具が送られ,当時の子どもたちがそのお礼に絵や書写を送った歴史があります。小原先生はこのことを題材にした授業をしてくださいました。子どもたちに 「アメリカの教会やハワード・ベル博士が子どもたちの作品を永く保存したのはなぜか。」 「ハワード・ベル博士の遺族が子どもたちの作品をハワイ日本文化センターに寄贈したのはなぜか。」 と問い掛けてくださいました。さらに, 「自分が,新聞記者なら,この内容のどの部分を切り取って記事にするか。」 とも問い掛けてくださいました。子どもたちの知的好奇心が揺さぶられ,思考が深まっていくことを感じました。 小原先生は,実際にアメリカの教会やハワイ日本文化センターに足を運ばれ,入念に調べた上で授業化されています。本川小学校のこともよくご存じでした。 「題材に思い入れがなければ,つまり魂を込めなければ子どもの心に届く授業はできない。」 小原先生のお姿から学んだことです。 あいさつ運動昨日,校舎を歩いていると,たくさんの子どもたちが始業式の「チャンス・チャレンジ・チェンジ」の話に触れてくれました。子どもの心に残ったことを嬉しく思います。 今朝も地域の方が「あいさつ運動」で,子どもたちに声を掛けてくださいました。いつも温かく見守ってくださりありがとうございます。後期もどうぞよろしくお願いいたします。 始業式【校長の話】 一昨日のことです。後ろから 「校長先生!」 と呼ばれたので振り返ると,1人の男の子がいました。生き生きした表情でこちらに手を振ってくれています。この男の子は,新しい学年になってから,いろいろなことに一生懸命取り組むようになりました。その頑張りは,職員室でも話題になるほどです。私は,この男の子の変身ぶりをとても嬉しく思います。この男の子にとって,新しい学年になったことは,自分を変える一つのチャンスだったと思います。そして,このチャンスを逃さず,これまで苦手だったことや避けてきたことにもチャレンジしました。そして,見事に前の自分からチェンジすることができたのです。この日, 「校長先生!」 と呼ばれたことが嬉しくて,見事に変身した男の子に手を振り返しました。 私の話を紹介しましょう。私は子どもの頃,恥ずかしがり屋で発表することが大の苦手でした。みんなが手を挙げていても,1人だけ手を挙げていないこともありました。そんな自分を駄目な子だと思っていました。そんなとき,新しい担任の先生が 「発表できなくても大丈夫。この子は芯がしっかりしている。」 と褒めてくださいました。今から振り返ると,このときが,私が変身するチャンスだったのだと思います。褒められて自信をもった私は,いろいろなことにチャレンジするようになりました。そして,発表することもできるようになり,変身しました。自分をチェンジすることができたのです。 さあ,後期のスタートです。気持ちを切り替えるチャンスです。この節目のチャンスを逃さず,いろいろなことにチャレンジしましょう。すると,よりよい自分にチェンジできるはずです。私も,「チャンス,チャレンジ,チェンジ」を大切にして,よりよい本川小学校にしていきたいと思います。 終業式【校長の話】 校長室から出すお便りは「エール」という名前です。「エール」は,「応援する」という意味があり,読んでくださる方を元気付けようと思って名付けました。ホームページも「エール」にしています。前期も,「エール」に皆さんの学習や生活の様子を紹介しようと,教室を回ったり,先生方から皆さんの様子を聞いたりしました。すると,私の方が子どもである皆さんから反対にエールを送られることが度々ありました。 今日は,その中の二つの出来事を紹介します。 一つ目です。あるクラスが「いのちの歌」(Miyabi作詞 村松崇継作曲)を歌っていました。その歌は,新しい生活様式をしている今の私たちに重なる部分があり,思わず涙が溢れました。皆さんにとって,例えば,友達とおしゃべりをしながら笑顔で食べる給食がどんなに美味しかったか。例えば,友達と手をつないだりじゃれ合ったりして遊ぶ休憩時間がどんなに楽しかったか。例えば,マスクをせずに,大きな声で歌を歌うことがどんなに気持ちよかったか。そして,私にとって,そんな皆さんの姿を見ることがどんなに幸せだったか。こんな当たり前のことが当たり前にできなくなった前期の生活でした。これまでの生活はかけがえのないものだったと,歌を聴いて,改めて思いました。さらに,このクラスのきれいな歌声から, 「こんな状況でも,前に進んでいこうよ。」 とエールを送られた気がしました。 二つ目です。放送委員会の人たちが「本川小を放送でよりよくしようキャンペーン」を始めました。今年の運動会は,これまでの運動会とは違うので,みんなを元気付けるために,気分を盛り上げる応援ソングを給食時間に流すというアイディアです。 私は, 「こんな状況だから,できない。無理だ。」 と考えることが多くなっていましたが,放送委員会の人たちから 「こんな状況だからこそ,できることがある。」 とエールを送られた気がしました。 私の好きな絵本「星の王子さま」に 「ものごとはね,心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは,目に見えない。」 という文章があります。皆さんからのエールと同じだなと思います。これからも,心の目で,本川小学校にとって一番大切なことをしっかりと見つめ,皆さんと一緒に知恵を出し合い,工夫し,いろいろなことにチャレンジしていきたいと思います。 引用:「星の王子さま」サン=テグジュペリ 河野万里子訳 (株)新潮社 平成28年4月1日 「できない」を「できる」に!「今年は,感染拡大防止のため,できないことがあるのは仕方ない。」 と諦めることの多い日々の中, 「このような状況だからこそ,アイディアを出し,工夫すれば,できることがたくさんある。」 と子どもたちから教えられたような気がします。 「諦めない!」 と子どもたちからエールを送られました。 後期は,放送委員会の子どもたちのように,発想を転換し,「できること」に目を向け,子どもたちと一緒にいろいろなことにチャレンジしていきたいと思います。 個人懇談会さて,今日と明日は,個人懇談会を予定しています。「あゆみ」をお渡しし,お子様の前期の学習や生活の様子をお知らせいたします。後期の学校生活がよりよいものとなるよう,お子様を励ます手掛かりとして「あゆみ」をご活用ください。 なお,新学習指導要領実施に伴い,昨年度とは「あゆみ」の形式が異なります。前期・後期1枚ずつお渡しすることになります。あゆみ用ファイルもお渡ししますので,こちらに入れて保管してください。 それでは,雨模様の空ですが,この後,気を付けてお越しください。お待ちしています。 天までとどけ! 1,2,3!「天までとどけ!1,2,3!」 「もっと高く!もっと高く!」 「天までとどけ!1,2,3!」 国語科の教材文「くじらぐも」の中の台詞であることに気付き,運動場に出てみると,1年生の子どもたちが輪になって手をつなぎ,「1,2,3」の掛け声に合わせてジャンプしていました。1年生は,「くじらぐも」のお話が大好きです。今日は,くじらの形をした雲を見つけたので,みんなで,お話と同じように,ジャンプをするために,外に出たのだそうです。子どもたちは,何度も何度も台詞を繰り返し,楽しそうにジャンプしていました。 その光景の微笑ましいこと。この子どもたちにとって,「くじらぐも」のお話も,今日の経験も忘れられないものとなるでしょう。国語科の教材文と子どもたちとの出会いを大切にする担任に感謝しました。 学校協力者会議例年であれば,授業の様子を参観していただくのですが,今年度は,感染症防止対策のため,写真にて学校の様子をお伝えしました。4月の入学式の様子,臨時休業中のこと,学校再開後の教職員の取組み,子どもたちの様子など,約半年の様子を委員の皆様と一緒に写真を見ながら振り返りました。そして,今後も,「日常生活の細やかなことを大切に子どもたちに指導していくこと」,「子どもたちの命を守るために,引き続き感染症防止対策を徹底すること」,さらに,「制限の多い学校生活の中,『できない』という発想ではなく,『工夫して充実できること』を見つけ出していくこと」などの思いをお伝えしました。 委員の皆様には,それぞれのお立場からの報告や学校教育への思いをお聞かせいただきました。いつも温かく本川小学校を支えていただいていることに,心より感謝しております。 平和学習今日は,平和資料館へ宇品小学校の5年生の皆さんをお迎えしました。1枚目の写真は,本校児童によるお迎え看板です。宇品小学校の皆さんには,折り鶴をいただきました。ありがとうございました。本日の見学をもとに,平和の大切さと命の尊さを学ばれることを願っています。 いのちの歌教室を行くと,感動があります。 大切に「昔の小学校のようですね。何だか懐かしい感じがします。」 とよく言われます。 校長室や職員室のあるこの管理校舎は,昭和29年に建てられたものです。写真のように,廊下は,いつもぴかぴかです。6年生の子どもたちが,いつもきれいに掃除してくれています。古い校舎ですが,丁寧に掃除し,大切に使うと,校舎がそれに応えてくれるように思います。いつも温かみのある雰囲気で,子どもたちや教職員を迎えてくれます。 爽やかな秋「随分涼しくなりましたね。」 とご挨拶しました。 今朝も地域の方々が通学路のポイントに立ち,子どもたちの登校を見守ってくださいました。いつもありがとうございます。大事にしていただいて,子どもたちは本当に幸せです。 安全に登校実は,夏休み明けの学校朝会で,写真を示し, 「歩道にある自転車の通行区分を歩くと危険です。自転車の通行区分に入り込まないように気を付けましょう。」 と呼び掛けていました。朝夕は,通行する自転車も多く,自転車と歩行者が同じ歩道を利用するため,十分に注意する必要があります。地域の方も,子どもたちの様子を気に掛けてくださり,時折,声掛けをしてくださっていました。 今朝,子どもたちは,自転車の通行区分に入り込むことなく歩いていました。給食時間には,放送で,歩道の歩き方のよかった点を伝え, 「これからも,安全に気を付けて登下校しましょう。」 と話しました。 担任「ああ,おった。おった。先生,トンボがいたよ。」 「ねえ,先生,来てください。早く。早く。ヤゴを見付けました。」 「わあ,先生,チョウが逃げました。」 子どもたちは,新しい発見がある度,喜々としてに担任に伝えようとします。 「先生!」「先生!」 と言う子どもたちの声の響き。 「いいなあ。」 と担任を羨ましく思います。そして,そんな担任と子どもたちの姿を微笑ましく嬉しい気持ちで校長室から眺めています。 学校朝会「おはようございます。」 と挨拶をすることができていました。夏休み前と変わらない気持ちよい挨拶を嬉しく思いました。 朝会では,次のような話をしました。 【校長の話】 今日から学校生活がスタートします。気持ちを切り替えて,生活していきましょう。夏休みに入る前に,どんな小さなことでもよいので,毎日続けることを決めて,丁寧に積み重ねてくださいというお話をしました。夏休みの間,どうでしたか?今日からも,毎日続けることを決めてみましょう。 「継続は力なり」ということわざがあります。このことわざの意味は,「小さなことでも続けていればいつかは大きな力になる。何事も途中で辞めずに毎日こつこつと努力をすることが大切」ということです。私も毎日続けることを決めました。私は,毎日本を読んで,本の内容や文章から,言葉の勉強をします。そして,物事をもっと深く考えたり,上手に話したりできるようになりたいと思います。皆さんも毎日続けることが決まったら,私に教えてくださいね。 さて,今日は,昔,本川小学校の先生だった尾形静子先生について紹介します。尾形静子先生は,75年前,本川小学校の隣の学校,広瀬小学校に務めておられ,そこで被爆されました。そのとき,とても辛くて,苦しく,そして悲しい経験をされました。尾形先生ご自身も顔にやけどを負い,また周りの多くの人が傷付き亡くなっていくのを見たそうです。このときの経験を被爆体験記に書かれていました。原稿用紙27枚もの長い体験記です。この体験記を本川小学校にいただくことになったのです。尾形先生は,被爆された次の年から本川小学校の先生になられました。やけどを負った顔を鏡に映して,涙を流し,死んでしまいたいと思うこともあったそうです。でも,本川小学校の子どもたちといると,その苦しみを忘れ,幸せだと感じたそうです。そして,最後には,子どもたちにこの戦争の苦しい体験をさせてはならないと書いておられます。尾形先生は,既に亡くなられていますが,尾形先生の思いは,この作文の中でずっと生き続けていきます。戦争の悲惨さや平和の大切さを勉強している本川小学校のみんなで,この体験記を大切にしていきたいと思います。 尾形先生から学ぶことの一つに「命の大切さ」があります。皆さんにも,自分の命を大切にしてほしいと思います。今日はもう一つことわざを紹介します。「命に過ぎたる宝なし」これは,「命より大切な宝はない」ということです。自分の命を大切にするために引き続いて感染症や熱中症を予防していきましょう。 被爆体験記本日,この被爆体験記にかかわる皆様にお集まりいただき,今後,この体験記をどのように活用していくか話し合いました。体験記を後世につないでいきたいという思いを共有することができました。これまで点であったそれぞれの思いがつながって,線になったように思います。 この様子をテレビ局や新聞社の方々が取材されました。この後のニュースや明日の新聞等で報道されることと思います。 8月6日 誓い謹んで原爆の犠牲となられた御霊のご冥福をお祈り申し上げます。 本川小学校は,原爆投下地点から最も近い学校として,これからも平和学習を大切に積み上げ,平和の大切さを発信してまいります。 写真は,今朝の本川地区原爆慰霊碑の様子です。この慰霊碑は,本川小学校平和資料館の前にあります。平成7年(1995年)に,本川地区原爆死没者慰霊碑建立委員会によって建立されたものです。碑には「あまねくとどけ 平和の祈り」と刻んであります。慰霊碑の横に説明版がありますが,この台座には,本川小学校校庭の被爆石が使用されています。 本川小学校に赴任して以来,毎年8月6日8時15分に,この慰霊碑の前に立ち,黙祷を捧げ,本川小学校及び本川地区で犠牲となられた全ての皆様のご冥福をお祈りするとともに,平和教育への誓いを新たにしています。 8月5日 本川地区原爆死没者慰霊祭 追悼の辞緊急事態宣言を受けた学校の臨時休業,新しい生活様式に基づいた学校再開,夏季休業日の短縮等,今,学校は非常の事態に迫られています。先の見えない局面に接するとき,本校の昭和20年当時に思いを致します。8月6日,約400人もの子どもたちとともに無念の死を遂げられた当時の川崎政信校長先生を想い,校長室の写真を見上げています。川崎校長先生は,今こそ,当たり前の日常の有難さを,命の尊さを子どもたちに伝えるようにと,私に平和のバトンをつないでくださっているように思えてなりません。 今年,本校の平和資料館には、多くの方のご尽力により,原爆投下の際、本校の児童で唯一生き残った居森清子さんのパネルが設置されました。6年生がこのパネルを見た後,次のような文章を書いています。 「私たちは,今までに,この本川小学校で,どこよりも平和ついてたくさんのお話を聞かせていただきました。戦争を『昔のこと』で終わらせるのではなく,私たちが実際に被爆された方々の思いを未来へつないでいかなくてはならないと思いました。」 また,別の子どもは, 「学習を通して,爆心地から一番近い学校の最高学年だということの責任を感じました。被爆者の思いを知り,『もし自分だったら』と寄り添い,平和学習に取り組んでいきたいです。」 と書いています。子どもたちも,居森清子さんから平和のバトンを確実に受け継ぎ,次につないでいこうとしています。その姿からは,広島の花,夾竹桃と同じように未来への希望を感じることができます。 本川小学校は,今後も新しい時代を担っていく子どもたちに,平和な世界を築いていくための行動力を培い,周りの人々を大切にする心を育むことを教育の基盤としてまいります。本日は感染予防のため,子どもたちの参列は叶いませんでしたが,この後,平和への願いを込めた子どもたちの折り鶴を献納し,鎮魂の祈りを捧げます。 結びに,原爆の犠牲となられた数多くの御霊が安らかなることを心からお祈り申し上げます。また,昨今の状況下にありながら,感染症対策に最大限配慮した上で,慰霊祭を挙行されました本川地区社会福祉協議会,原爆死没者慰霊祭実行委員会の皆様に心より敬意と感謝を表します。今後も地域の皆様と手を携え,平和教育の充実とその発信のため,不断の努力を重ねることをお誓いし,追悼の辞とさせていただきます。 令和2年8月5日 広島市立本川小学校長 岡田 由佳 平和のつどいまず,原爆ドームに向かい,黙祷を捧げました。そして,私から,子どもたちに校内放送にて次のような話をしました。 【校長の話】 昨日の朝,私は,本川小学校の平和資料館の窓から外を眺めました。窓からはまぶしく光る夏の空と登校してきた皆さんの姿が見えました。そして,路面電車のガタゴトという音と一緒に賑やかな蝉の鳴き声が聞こえてきました。そのとき思いました。75年前の8月6日8時15分までは,きっとこの窓の外に同じような日常の光景が広がっていただろうと。 昭和20年8月6日8時15分,本川小学校からわずか350mしか離れていない場所で原子爆弾がさく裂しました。そのとき,校舎は鉄筋の部分だけを残し全部焼けてしまいました。そして約400名の子どもたちの大切な命が一瞬のうちに奪われました。今,本川小学校に通う皆さんとほぼ同じ人数です。多くの子どもたちが,炎と熱で地獄のようになった状況の中で,全身に大けがや大やけどを負い,家族を恋しがり,泣き叫びながら,死んでいったことを想像すると,とても悲しく,胸が張り裂ける思いがします。 6年生が平和学習のとき,次のような文章を書きました。 「私たちは,今までに,この本川小学校という場所で,どこよりも平和ついてたくさんのお話を聞かせていただきました。実際に戦争にあったわけではないけど,戦争を『昔のこと』で終わらせるのではなく,私たちが実際に被爆された方々の思いを知り,もし自分だったらと寄り添い,その思いを考え,未来へつないでいかなくてはならないと思いました。」 と。 この後,皆さんは「夏服の少女たち」というビデオを見ますが,6年生の文章にもあるように,どうか「もし自分だったら」と考えながら見てほしいと思います。そして,今の自分に何ができるかをしっかりと考えてほしいと思います。 夕方には,本川小学校で,原爆投下の犠牲となられた方々の魂を慰める慰霊祭が行われます。皆さんの住む本川の地域は,今日,平和への祈りの1日となります。皆さんも戦争と平和についてしっかり考えていきましょう。明日は平和記念日で,本川小学校はお休みです。平和記念式典の様子をテレビで見たり,家族の人と戦争や平和について話し合ったりして,8月6日を大切に過ごしましょう。 |
広島市立本川小学校
住所:広島県広島市中区本川町一丁目5-39 TEL:082-232-3431 |