最新更新日:2024/09/24 | |
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学校朝会「おはようございます。」 と挨拶をすることができていました。夏休み前と変わらない気持ちよい挨拶を嬉しく思いました。 朝会では,次のような話をしました。 【校長の話】 今日から学校生活がスタートします。気持ちを切り替えて,生活していきましょう。夏休みに入る前に,どんな小さなことでもよいので,毎日続けることを決めて,丁寧に積み重ねてくださいというお話をしました。夏休みの間,どうでしたか?今日からも,毎日続けることを決めてみましょう。 「継続は力なり」ということわざがあります。このことわざの意味は,「小さなことでも続けていればいつかは大きな力になる。何事も途中で辞めずに毎日こつこつと努力をすることが大切」ということです。私も毎日続けることを決めました。私は,毎日本を読んで,本の内容や文章から,言葉の勉強をします。そして,物事をもっと深く考えたり,上手に話したりできるようになりたいと思います。皆さんも毎日続けることが決まったら,私に教えてくださいね。 さて,今日は,昔,本川小学校の先生だった尾形静子先生について紹介します。尾形静子先生は,75年前,本川小学校の隣の学校,広瀬小学校に務めておられ,そこで被爆されました。そのとき,とても辛くて,苦しく,そして悲しい経験をされました。尾形先生ご自身も顔にやけどを負い,また周りの多くの人が傷付き亡くなっていくのを見たそうです。このときの経験を被爆体験記に書かれていました。原稿用紙27枚もの長い体験記です。この体験記を本川小学校にいただくことになったのです。尾形先生は,被爆された次の年から本川小学校の先生になられました。やけどを負った顔を鏡に映して,涙を流し,死んでしまいたいと思うこともあったそうです。でも,本川小学校の子どもたちといると,その苦しみを忘れ,幸せだと感じたそうです。そして,最後には,子どもたちにこの戦争の苦しい体験をさせてはならないと書いておられます。尾形先生は,既に亡くなられていますが,尾形先生の思いは,この作文の中でずっと生き続けていきます。戦争の悲惨さや平和の大切さを勉強している本川小学校のみんなで,この体験記を大切にしていきたいと思います。 尾形先生から学ぶことの一つに「命の大切さ」があります。皆さんにも,自分の命を大切にしてほしいと思います。今日はもう一つことわざを紹介します。「命に過ぎたる宝なし」これは,「命より大切な宝はない」ということです。自分の命を大切にするために引き続いて感染症や熱中症を予防していきましょう。 被爆体験記本日,この被爆体験記にかかわる皆様にお集まりいただき,今後,この体験記をどのように活用していくか話し合いました。体験記を後世につないでいきたいという思いを共有することができました。これまで点であったそれぞれの思いがつながって,線になったように思います。 この様子をテレビ局や新聞社の方々が取材されました。この後のニュースや明日の新聞等で報道されることと思います。 8月6日 誓い謹んで原爆の犠牲となられた御霊のご冥福をお祈り申し上げます。 本川小学校は,原爆投下地点から最も近い学校として,これからも平和学習を大切に積み上げ,平和の大切さを発信してまいります。 写真は,今朝の本川地区原爆慰霊碑の様子です。この慰霊碑は,本川小学校平和資料館の前にあります。平成7年(1995年)に,本川地区原爆死没者慰霊碑建立委員会によって建立されたものです。碑には「あまねくとどけ 平和の祈り」と刻んであります。慰霊碑の横に説明版がありますが,この台座には,本川小学校校庭の被爆石が使用されています。 本川小学校に赴任して以来,毎年8月6日8時15分に,この慰霊碑の前に立ち,黙祷を捧げ,本川小学校及び本川地区で犠牲となられた全ての皆様のご冥福をお祈りするとともに,平和教育への誓いを新たにしています。 8月5日 本川地区原爆死没者慰霊祭 追悼の辞緊急事態宣言を受けた学校の臨時休業,新しい生活様式に基づいた学校再開,夏季休業日の短縮等,今,学校は非常の事態に迫られています。先の見えない局面に接するとき,本校の昭和20年当時に思いを致します。8月6日,約400人もの子どもたちとともに無念の死を遂げられた当時の川崎政信校長先生を想い,校長室の写真を見上げています。川崎校長先生は,今こそ,当たり前の日常の有難さを,命の尊さを子どもたちに伝えるようにと,私に平和のバトンをつないでくださっているように思えてなりません。 今年,本校の平和資料館には、多くの方のご尽力により,原爆投下の際、本校の児童で唯一生き残った居森清子さんのパネルが設置されました。6年生がこのパネルを見た後,次のような文章を書いています。 「私たちは,今までに,この本川小学校で,どこよりも平和ついてたくさんのお話を聞かせていただきました。戦争を『昔のこと』で終わらせるのではなく,私たちが実際に被爆された方々の思いを未来へつないでいかなくてはならないと思いました。」 また,別の子どもは, 「学習を通して,爆心地から一番近い学校の最高学年だということの責任を感じました。被爆者の思いを知り,『もし自分だったら』と寄り添い,平和学習に取り組んでいきたいです。」 と書いています。子どもたちも,居森清子さんから平和のバトンを確実に受け継ぎ,次につないでいこうとしています。その姿からは,広島の花,夾竹桃と同じように未来への希望を感じることができます。 本川小学校は,今後も新しい時代を担っていく子どもたちに,平和な世界を築いていくための行動力を培い,周りの人々を大切にする心を育むことを教育の基盤としてまいります。本日は感染予防のため,子どもたちの参列は叶いませんでしたが,この後,平和への願いを込めた子どもたちの折り鶴を献納し,鎮魂の祈りを捧げます。 結びに,原爆の犠牲となられた数多くの御霊が安らかなることを心からお祈り申し上げます。また,昨今の状況下にありながら,感染症対策に最大限配慮した上で,慰霊祭を挙行されました本川地区社会福祉協議会,原爆死没者慰霊祭実行委員会の皆様に心より敬意と感謝を表します。今後も地域の皆様と手を携え,平和教育の充実とその発信のため,不断の努力を重ねることをお誓いし,追悼の辞とさせていただきます。 令和2年8月5日 広島市立本川小学校長 岡田 由佳 平和のつどいまず,原爆ドームに向かい,黙祷を捧げました。そして,私から,子どもたちに校内放送にて次のような話をしました。 【校長の話】 昨日の朝,私は,本川小学校の平和資料館の窓から外を眺めました。窓からはまぶしく光る夏の空と登校してきた皆さんの姿が見えました。そして,路面電車のガタゴトという音と一緒に賑やかな蝉の鳴き声が聞こえてきました。そのとき思いました。75年前の8月6日8時15分までは,きっとこの窓の外に同じような日常の光景が広がっていただろうと。 昭和20年8月6日8時15分,本川小学校からわずか350mしか離れていない場所で原子爆弾がさく裂しました。そのとき,校舎は鉄筋の部分だけを残し全部焼けてしまいました。そして約400名の子どもたちの大切な命が一瞬のうちに奪われました。今,本川小学校に通う皆さんとほぼ同じ人数です。多くの子どもたちが,炎と熱で地獄のようになった状況の中で,全身に大けがや大やけどを負い,家族を恋しがり,泣き叫びながら,死んでいったことを想像すると,とても悲しく,胸が張り裂ける思いがします。 6年生が平和学習のとき,次のような文章を書きました。 「私たちは,今までに,この本川小学校という場所で,どこよりも平和ついてたくさんのお話を聞かせていただきました。実際に戦争にあったわけではないけど,戦争を『昔のこと』で終わらせるのではなく,私たちが実際に被爆された方々の思いを知り,もし自分だったらと寄り添い,その思いを考え,未来へつないでいかなくてはならないと思いました。」 と。 この後,皆さんは「夏服の少女たち」というビデオを見ますが,6年生の文章にもあるように,どうか「もし自分だったら」と考えながら見てほしいと思います。そして,今の自分に何ができるかをしっかりと考えてほしいと思います。 夕方には,本川小学校で,原爆投下の犠牲となられた方々の魂を慰める慰霊祭が行われます。皆さんの住む本川の地域は,今日,平和への祈りの1日となります。皆さんも戦争と平和についてしっかり考えていきましょう。明日は平和記念日で,本川小学校はお休みです。平和記念式典の様子をテレビで見たり,家族の人と戦争や平和について話し合ったりして,8月6日を大切に過ごしましょう。 被爆校舎からきっと,あの日の朝8時15分までは,今日と同じような光景がこの窓の外に広がっていたことでしょう。 ヒロシマはもうすぐ8月6日を迎えます。 |
広島市立本川小学校
住所:広島県広島市中区本川町一丁目5-39 TEL:082-232-3431 |