最新更新日:2024/09/20 | |
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沿革史
元宇品町は、広島の南方海上の小島で、古くは「牛寝島・牛奈島・氏名島」と
呼ばれていました。 当時島の周囲は約4kmで、記録によると、1600年ごろに人が住み着いたも のといわれ、明治の末頃までは、人家が島の東側に集結していたということ です。 明治以後、安芸郡仁保島字宇品島として、宇品港が栄えるにつれて、島の 様 相は、大きく変化しました。特に戦争による影響が大きく、日清戦争 以後は、軍港として大陸出兵の根拠地になりました。 「空も港も夜は晴れて、月に数増す舟の影。 はしけの通い賑やかに、寄せ来る波も黄金なり」と人々に愛唱されたこの歌 は、ここ宇品港の情景を歌ったものといわれています。 学校教育は、古くは明治7年に観林舎として増設されました。 明治17〜18年頃に「松坂家」の座敷を教室にしていたという記録が残っ ています。明治24年、江村岡(現在の小学校の下、アパートの所)に仁保 島村立宇品尋常小学校が設置され、30余名の4年生までの複式学級で スタートしました。 その後、昭和14年に町の中央(現在の元宇品会館の所)に、宇品小学校の 分教場(4年生まで)、後に元宇品分校(6年生まで)となりました。 現在の元宇品小学校は、昭和23年5月17日に地元の方が神さん松と崇拝 していた大山(現在地)に創立開校しました。 |
広島市立元宇品小学校
住所:広島県広島市南区元宇品町7-10 TEL:082-251-4877 |