最新更新日:2024/09/25 | |
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8月6日
昭和20年8月6日。
母は爆心地から1.4km,今の日赤病院あたりで被爆しました。 校舎の瓦礫から這い出して逃げることができた同級生は,わずか1割ほどだったと聞いています。頭と腕,足に火傷を負い,命からがら比治山に辿り着いたこと,その後収容された広島陸軍被服支廠に叔父が五日市からリヤカーを引いて探しに来てくれたこと,頭にできた大きな血膿を近所の復員兵の方が軍刀で切って出してくださったこと,久しぶりに登校の指示が出て,学校に割り箸を持って集まると,最初の授業は友人のお骨拾いだったことなど,小さな頃から寝物語のように聞かされました。 聞きながら,私には釈然としない辛い思いしか残りませんでした。 なぜ母がこんな目に遭わなければならなかったのか。 しかし,誰が悪かったとか,誰のせいだとか口にすることもなく,語気を荒げたこともなく,母はいつも淡々とその凄まじい出来事を語るだけでした。その代わり,必ず最後に付け加えた言葉があります。 「戦争に勝者も敗者もない。あるのはただ,犠牲者だけなんよ。」 女学校一年生,市井の一市民として感じた戦争を,ありったけの感情で語った言葉なのだと思います。 長く取り組んだ被爆証言活動が縁で,映画「夕凪の街 桜の国」の端役で出演が決まったとき,「この歳で女優デビューじゃ。」「生きとくもんじゃねぇ。」と喜んで見せてはいましたが,果たしてどんな思いで撮影に臨んだのか,映画のテーマにどのように関わろうとしたのか,試写会直前に他界した母から聞く機会は遂にありませんでした。 犠牲者になった先人の方々を思い,今年もこの日を迎えます。 似島学園小中学校は静かな一日になります。 合掌。 盆法要
本校では毎年8月5日に「盆法要」を行います。
似島には未だに戦時下の軍の施設の遺構が残っています。8月6日の原爆投下後,施設の一部は被爆者の収容所になりました。ここで亡くなられた被爆者の方も大勢いらっしゃいます。地下に眠ったままの遺骨も多くあると聞いています。 今日一日,似島学園・似島学園小中学校合同の行事として,清掃活動,灯籠づくり,盆法要,灯籠流しといった活動に取り組みます。 戦争で,殊に被爆によって無念の最期を遂げられた多くの先達の御霊に,心閑かに思いを馳せて過ごす一日にしたいと考えています。 |
広島市立似島学園小・中学校
住所:広島県広島市南区似島町長谷1487 TEL:082-259-2311 |