最新更新日:2024/06/26 | |
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学校のきまりその場で子どもたちに尋ねました。なぜ規則が必要なのでしょう。規則は本当に必要なのですか。 そもそも規則というのは,社会的常識や観念,感覚に個人差があり,認識のずれがあることで必要になるものです。しかし,これらの個人差は自他の違いを認め合い,受け入れ,意思を交流して,お互いが譲り合って共生する,理性的な,人間として成熟した姿勢や態度があれば問題は起きないはずです。ところが,民族的,地域的,言語的,宗教的,政治的,年齢的,性的,家庭的立場などの違いからそれが理想的な共生が難しい場合があります。そこで,その時代や地域等の一般的な常識を基に,あるいは妥協点を示したものが規則であると言えます。つまり,規則が必要な社会というのは,端的に言ってしまえば未成熟な社会ということになります。時に,考えられないような非常識なことをする人間がいるから,ヘンテコな規則をつくる必要が生まれます。 〇博物館や映画館等,公共の施設に,ライオンやトラ等の猛獣を連れて入ってはならない。 〇キリンを電柱につないではならない。 〇魚を泥酔させてはならない。 〇核爆弾を爆発させたら罰金500ドル。 〇目隠しをして運転をしてはならない。 どれも外国に現存する法律です。なぜこんな法律があるのか。簡単です。そういう行為を実行する人間がいるからです。常識で考えられないことをするから,常識で考えられないような法律ができる。規則ができるのはそういうことです。社会全体が理性的な判断のできる人間ばかりなら,ほとんどの規則は必要なくなるのでしょう。 子どもたちにきまりや目標をつくらせると,似たような感覚のものをつくります。 〇廊下を走らないようにしましょう。 〇授業中におしゃべりをしないようにしましょう。 〇忘れ物をしないようにしましょう。 いわゆる,禁止型のきまりや目標です。「してはならない」ことを並べるというのは,未分化な社会や集団でよく見られるものです。 最初の質問に戻ります。規則はなぜ必要なのか。 少なくとも私たちの住んでいる地域であれば,価値観や常識,思考・判断・感覚,出自や生活等の違いがある大勢の人間が,ひとつの社会の中でお互いを尊重しつつ,人間らしく生活するための約束事として守るべきもの,といったところが一般的な回答でしょう。しかし,これでは「学校のきまり」の必要性や意義を説明するには不十分です。 「学校のきまり」は何のためにあるのかを十分に説明するために,先程のヘンテコ法律や禁止型のきまりがヒントになります。逆の発想をすればよいのです。「学校のきまり」には,禁止したいこと,制御したいことではなく,この学校は何を目指しているのか,どんな子ども(人間)を育てようとしているのか,が表れているはずなのです。「学校のきまり」は,目標実現のための効果的なツールでなければならない。学校教育目標や研究目標,学年・学級目標を達成するために,「学校のきまり」が如何に必要であるかということを考えてみることが肝要なのです。学校の目標に向かって,子どもたちが落ち着いて生活すること,支え合って主体的・対話的に学習や生活に取り組むことができるようにするために,「学校のきまり」を徹底する指導を通して,子どもたちの生活環境を調えるということです。 つまり,子どもたちを取り巻く環境を調えることが,主体的に学習や生活に取り組む子どもを育てること,ひいては,彼らに思考力・判断力・表現力を育てることにつながるのだと考えます。子どもたちにとって,それは,学習道具を調えること,服装を調えること,あいさつを調えること,ではないでしょうか。これが,本校において「学校のきまり」を指導する必要性と意義だと言って間違いないと確信しています。 その延長線上には,「学校のきまり」がなくても,規則がなくても,理想的な社会を構成していくことのできる社会人を育てるのだという方向性をもちながら。写真のように,靴を美しく揃えることのできる感覚が日常的・恒常的に発揮できるのであれば,「学校のきまり」は不要になるでしょう。 それこそが日本人が世界に誇ることのできる,美を求める感性だと思っています。 |
広島市立似島学園小・中学校
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