最新更新日:2024/09/20 | |
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ロング昼休憩ある1年生が転んでしまい、わ〜わ〜大きな声で泣いており、みながどうしたどうしたと集まってきました。私もかけつけ、いいよいいよ、保健室に連れて行ってあげるから、続きの遊びをしていいよと、手をつないで保健室の方に行きかけました。 すると、後から、追いかけてきました。6年生は責任を感じたのでしょう、 じゃあ、お願いねと任せました。 なんていい子なんだろうと感心しました。 このエピソードを振り返り、仕合せな気分になっています。(BY校長) 「レンガのすきままでキレイに」子どもがここまで考えたかと思うと、おどろきと感動です。 すばらしいなあ〜!(BY 校長) 3年生国語「ゆうすげ村の小さな旅館」今日は、しかけを見つける話し合いをしました。 まず、自分で見つけてみた後、班で話し合いをしました。 なぜこれがしかけになるのか、とても楽しそうに話し合っていました。 とても子どもらしくて楽しくてなかなかよく考えているのにおどろきました。 アゲハの成長よ〜く見ると、今にも羽化が始まりそうなサナギや これからサナギになろうとしている幼虫もいます。 児童のおじいさんが持たせてくださいます。 しあわせなことです。ありがとうございます。 OJT研修会今回講師を務めたのは、なかよし学級担任であり、特別支援教育コーディネーターでもある川本美佐子教諭です。テーマは学校における合理的配慮について。約30分間の研修でしたが、大変充実した中身の濃いものでした。特別支援教育は、学校教育の根底を流れるものであると認識を強くもちました。 5年家庭科〜初めてのソーイング今日から、家庭科支援ボランティアの方にも支援に入っていただきました。 基礎的な裁縫について、習った後、フェルトの小物づくりに入ります。 算数3年生(1)402−175= (2)1000−521= (1)は、一の位が引けないので、十の0なので、百の位まで十を借りにいかなければなりません。百では多いので、十のくらいに九おいてくる必要があります。 (2)は、千の位まで借りにいかなければなりません。 つくづくむずかしいところだと思いました。 習熟のためにドリルの宿題が出ていると思います。 今の時期に、きっちり確実に宿題をやり遂げておく必要があります。 特に、この単元は学校ではやり方を教えますが、それを十分に習熟させるためには、宿題にたよるようになります。 算数は、3年生で週の時間数が増え、内容がぐっとむずかしくなります。 算数は積み上げ教科です。今つまづくと次に困ります。 先日の校内研の講師の先生が言われていました。 小さい頃に、どれだけ数を数えさせるかの経験がものすごく影響すると。 だから、低学年は低学年の大事なことがあります。 家庭との連携作戦でしっかり、学力向上を進めていきましょう。 2年生アオギリの観察平和公園の被爆アオギリを移植したものです。 2年生が一生懸命観察して絵に描いていました。 緑化ボランティア土づくりから、玄関前の花壇や池の周りのプランターが写真の通りです。 本当にありがたいことです。 やったあ〜!夏野菜の収穫だあ。ヒマワリも背丈が伸びてきました。 大きな栗の木の下で♪栗の花が咲き、すっかり落ちた後、これから実ができていくのでしょう。 家庭科の授業5年玉止め・玉結び・名前の縫い取り・フェルトの小物作りをします。 結構大変。できる子とできない子の差が大きいようです。 それはそうでしょうね。針を持つことも初めてという子も多数いますから。しかし、45分×2コマ。一生懸命しました。 被爆体験継承学習〜6年4組と5組に学校近くの文具店の前で被爆。建物の陰にいたために助かったが、校庭にいた友達は大やけどをして亡くなった。自宅にいた母親は、天窓から入ってきた閃光で半身を大やけどをした。疎開先で再会した母親のやけどの後にわいたウジを舌で取ってあげた。 これまで誰にも体験を語ったことはなかったが、福島原発事故による放射能被害の拡大を見て、自分の体験を語っておかないといけないと思うようになった。 かつての戦争では、2人の兄が戦死している。原爆のことだけでなく、戦争の真実を知ってほしい。戦争は二度としてはいけない。 被爆体験継承学習〜6年1・2・3組に祖父と夫が被爆者。祖父は、土橋の建物疎開作業中に被爆し全身おおやけどを負った。2日間歩き続けて家に帰り、3日目に亡くなった。夫は生後15日で被爆した。55才で原爆症による癌を発病し、8年半の闘病生活の末に亡くなった。 同じ被爆体験継承者である東野真里子さんの祖母竹岡智佐子さんのお話も。竹岡さんは17才で被爆された。昭和58年国連軍縮会議で証言をされた方である。 被爆体験継承学習〜4年1組と2組に戦後生まれの戦争を知らない世代だが、広島第一陸軍病院の看護婦長だった祖母が、広島市内で被爆して大やけどを折った体験と、外を探しに市内を歩きまわって被爆した母親(竹岡智佐子氏、当時17才)の被爆体験を語ることで、戦争の悲惨さや平和の尊さ、命の大切さを一緒に考えていきたい。2015年4月から伝承者として証言活動を行っている。 ※東野さんは広島市被爆体験継承者第一期生。ピースボートに乗り東欧で被爆証言もされている、 被爆体験継承学習〜5年3組と4組に原爆にあった時は中学3年生で、今の舟入小学校高校の近くの軍需工場に学徒動員で出ていて被爆した。顔半分と腕など火傷追って、友達と一緒に、己斐から横川をまわって、その日のうちに牛田の下宿まで帰った。腕にウジがわいた。姉が看護婦をしていて、いい薬があったのと、親が迎えに来てくれて、すぐに田舎に帰って療養できたために、ケロイドのあとも目立たなくなった。 当時は、学校に行っていても、ほとんど勉強することなく、工場や建物疎開作業に動員され、多くの学友が原爆の犠牲になって亡くなった。原爆は昔の話ではなく、今の問題だということを伝えたい。 被爆体験継承学習〜4年3組と4組小学校6年生の時に、己斐の自宅で被爆。市内中心部に建物疎開作業に出ていた父親は無事に帰ってきたが、8月20日ごろから下痢や嘔吐が始まり、髪の毛が抜け、斑点が体中にでき、9月2日に亡くなった。 近くの己斐小学校には、たくさんの被爆者が逃げてきて亡くなり、校庭が火葬場になった。その時の情景は今でも鮮明に覚えている。 父親を失った家族は、戦後大変な苦労をした。同じことが繰り返されないないように、命のある限り体験を語り伝えていきたい。 被爆体験継承学習〜5年1組と2組に小学校5年生の時に、己斐小学校の校庭で直接原爆の閃光を浴び、右腕と右足を大ヤケドした。すぐに校庭にあった防空壕に入ったが、手で触ったらずるりと皮がむけた。 己斐小学校は市内で被爆した多くの人が、運び込まれて荼毘に付されたところで、とても悲惨だった。そのことは今でもよく覚えている。戦争はしてはいけない。 ※己斐小学校での様子が「絵で読む 広島の原爆」作:那須正幹に描かれています。 高学年の「五日市小学校おすすめの本」にも選定しています。 参観懇談会の様子栄養教諭と担任で行った「食育授業」と言語数理運用科「地場産物を使って給食献立を考えよう」のコラボ授業です。 献立をつくる場面のクラス、作った献立を発表するクラスと異なっていましたが、どのクラスも栄養バランスや地場産物を工夫して使うことや、調理法、ネーミングなどよく工夫していました。 参観懇談会の様子漢字辞典の引き方を学習して、今日は漢字パズルの問題づくりをする場面でした。 明日は、いよいよ漢字パズルをするのでしょう。 |
広島市立五日市小学校
住所:広島県広島市佐伯区五日市三丁目1-1 TEL:082-921-3288 |