最新更新日:2024/09/13 | |
本日:9
昨日:85 総数:234573 |
後期始業式
10月10日(火)、体育館で後期始業式を行いました。
まず、二人の教育実習生(期間10月10日〜11月7日)の紹介をしました。 次に、後期がんばること「時を守り、場を清め、礼を正す」ことについて校長が話しました。「時を守る」とは時間や約束を守ること、「場を清め」とは、掃除や整理整とんをして心もきれいにすること、「礼を正す」とは、服装をきちんとし、あいさつや返事をしっかりすることです。 最後に全員で校歌を歌いました。全校児童の歌声がとてもいい響きでした。 運動会 全体練習2
5月24日(水)、久しぶりの雨が降り、乾ききっていたグラウンドにとっては恵みの雨になりました。
2回目の運動会の全体練習は、雨のため体育館での応援練習になりました。応援係を中心に声を出すタイミングや歌の練習、ウェーブのタイミングの確認をしました。 1年生 あさがおが芽を出しました
先週、たねまきをした1年生のあさがおが芽を出しました。双葉になっているものも多くあります。子どもたちは、毎日変化するアサガオを見て、とてもうれしそうです。
広島市立大河小学校広島市南区旭一丁目8番1号 TEL(082)253−4116 FAX(082)254−9385 校地面積:12,277平方メートル 平成29年度の児童数415名、学級数16学級 沿 革 (1)沿革の概要 学制実施(明治5年)の翌6年、当時の仁保島村大河本町に民家を借りて「一貫舎」と称し、寺子屋式の教育が始められた。これが大河小学校の前身である。 明治17年5月2日、大河山根の黄幡神社あたりに2階建ての木造校舎が完成。「大河簡易小学校」となり、日宇那・丹那・向宇品の三つの分教場をもった。これをもって本校の創立としている。 明治37年4月より昭和5年3月までの26年間、「広島県師範学校代用附属小学校」となり、教育の実践研究に多くの業績を残している。 昭和7年、現在の校地に木造新校舎が落成した。 戦況が厳しくなった昭和19年、上空を呉市への爆撃機が飛び交い始めると、運動場はサツマイモ畑と化し、校庭にはいくつかの防空壕が設けられた。 昭和20年8月6日の原爆による消失はまぬがれたものの破損甚大であった。校舎は被爆直後から被爆者の救護所となり、各教室、運動場などには多数の負傷者がつめかけ看護を受けた。それと同時に学区では町民あげて校舎の復興に力を注いだ。 昭和22年、学制改革により「広島市立大河小学校」となる。 昭和39年より49年まで、毎年校舎建設が続き、現在の鉄筋校舎が完成した。児童の増加により、昭和52年4月1日「広島市立黄金山小学校」が開校となり、一部学区が分離した。 平成16年には、創立百二十周年を迎え現在に至っている。 (2)地域の概要 本校のある南区は、市の南、広島湾に面し、自動車・造船などの臨海工業地域となっている。 古くから、海苔・牡蛎の養殖が盛んに行われてきた。また、戦時中は宇品港や多くの軍需工場があったこともあって、現代史の上で広島市に大いに影響を及ぼした地域である。 学区には北に国道2号線が東西に走り、南には校歌にも歌われている黄金山がある。 広島大学医学部・比治山女子学園・進徳学園・広島県県立工業高等学校・広島県立皆実高等学校などが隣接し、文教地域である。また、黄金山山麓から学校の周りは静かな住宅地域となっている。 昭和40年ごろより国道沿いに住宅の建設が急速に進み、現在では校地の周りには田畑は全く見られず、新開地の面影はなくなった。 本学区は、霞町・出汐町・旭町・山城町・大河町・段原南町の一部からなっている。地域の学校教育に対する期待は大きく、協力的で、育友会(PTA)活動も活発である。 |
広島市立大河小学校
住所:広島県広島市南区旭一丁目8-1 TEL:082-253-4116 |