最新更新日:2024/05/02
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子どもに自己実現力を

釈迦の掌

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 朝,学園港から小富士を見上げると,後ろに雲ひとつない空が広がっています。たまに端の方に千切れたように小さく浮かんでいる雲を見ると,西遊記の觔斗雲(きんとうん)を連想します。
 觔斗雲は孫悟空が操り,宙返りひとつで10万里余をひと飛びすることができる術です。悟空が雲に跨がり,飛ばしに飛ばして世界の果てと思われる柱に行き着き,「斉天大聖」と墨書したところ,釈迦如来の指だったという有名な件があります。お釈迦様が如何に大きなものか,その偉大さを物語ると同時に,悟空の(あるいは私たち人間の)世界観,常識,認識といったようなものが如何に独りよがりで狭いものかを暗示しているのでしょう。
 「誰もが自分自身の視野の限界を,世界の限界だと思い込んでいる。」
 ドイツの哲学者で実存主義の先駆けとなったショーペンハウアーの言葉です。確かに自分の隣人の世界観を理解することは容易ではありません。しかし,人それぞれに別々の視野,別々の世界をもっていることを認め,常に意識することはできると考えます。
 多様な人間や考え方があることを,まず認めることのできる教員でありたいと思います。

食育出前授業

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 19日(金)に広島酔心調理製菓専門学校の玉澤雅宏先生をお招きして,食育の授業をしていただきました。玉澤先生の鮮やかな調理技術と巧みな話術に,子どもたちは目を輝かせて話に聴き入っていました。
 食文化における調理の技術や心構えと,人としての生き方や在り方が如何に当たり前につながっているのか,学校生活を意識した視点でお話をしてくたぜさいました。90分以上,本校の子どもたちが集中して玉澤先生の話を聞くことができたのは,先生の指導内容が「…である」「…しなさい」「…すべき」に終始せず,「なぜ…しなければならないのか」を軸にした,筋道の通った論理的な説明になっていたからです。子どもたちにとって身近で分かりやすい,イメージしやすいことを例えにして,指導内容の価値づけ,理由づけをされていました。
 「大切なこと」はシンプルに表現すればするほど「当たり前のこと」に感じられます。そこにどのように大きな価値があるのか,それを分かりやすく目の前に見せるのが教育であり,指導だと改めて気づかされました。
「たまちゃん」先生,楽しくて心に響く授業をありがとうございました。

天高く馬肥ゆる秋

 あれだけの猛暑の記憶も,最近の過ごしやすさのせいかすっかり薄れてきてしまいました。山の稜線をくっきり浮かび上がらせる濃い色の空。日本全体の色が「インスタ映え」する季節になりました。
 夏の蒸し暑い時期と比べ,大気中の湿度が大きく下がり,光線が水蒸気の粒に当たって乱反射しなくなったことで,遠景などの色彩が鮮やかになるのだそうです。
 子どもの指導をするとき,授業のときも同様です。環境に無駄な言葉,仕草,音などがあると,伝えたいことや大切なことが乱反射してしまう恐れがあります。子どもたちが教職員の言葉や発問,指示をストレスなく受け止めることができるような環境をつくらなければなりません。
 私たちの語彙や話し方も「肥ゆる」秋にしましょう。
 

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10月12日(金) 運動会前日

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 明日は秋季大運動会。
 9月から本校子どもたちや教職員だけでなく,学園,高等養護部のみなさんに大変なご尽力をいただき,今年も素晴らしい舞台が整いました。たくさんの砂をふるいにかけるところから始まり,台風や雨にも悩まされながら,草刈りや側溝の土砂撤去に至るまで,隅々まで気もちの行き届いた準備を進めていただきました。
 勿論,各種目への取り組みにも毎日奮闘してまいりました。
 子どもたちが力を出し尽くして,満足感と達成感に溢れる一日になることを祈っています。

天気予報

 夕焼けは晴れ,朝焼けは雨。
 蟷螂(カマキリ)が高い枝に巣をはる冬は大雪。
 古人(いにしえびと)は生活の経験則から天候の変化を予想しました。優れた知恵ですが,現在の科学技術に基づいた天気予報と比べると,かなり大雑把な予想であることは言うまでもありません。
 今年は台風が多く,大雨にも見舞われましたが,天気予報の確度は格段に向上し,どれくらい先にどれくらいの時間,どれくらいの雨が降るのか,など非常に具体的に知ることができます。災害そのものを避けることはできませんが,台風の進路はほぼ確実につかめるようになりましたし,突然の雷雨も事前に知ることができるようになりました。過去の膨大なデータや優れた知恵の蓄積,様々な気象要素を分析できる科学技術のお蔭です。地震の発生や火山の噴火も,近い将来完全に予測することができるようになるのではないでしょうか。
 子どもたちの言動は時に非常に気まぐれであり,無秩序であり,理不尽であるように感じます。しかし,子ども一人ひとりの言動にも,何かのきっかけや要因があるはずです。唐突に見えても,その時々にそのように振る舞うことになった「きっかけ」をつかみ,理解する。指導・支援の方策もその上に成り立つものです。
 私たちはまだまだ様々な知識や経験,技能を獲得する必要があります。子どもたちの「心の天気予報」を確かなものにするために。

足跡

 週末に運動会を控え,取組も佳境に入ってきました。
 本校のグラウンドは1ヵ月以上前から7トンもの砂を手作業で篩(ふるい)にかけ,裸足で滑らかに感じるほどに整えていきます。グラウンド整備に対する情熱は阪神園芸も顔負けです。
 古刹の庭園のように箒の目が入ったグラウンドに足跡を付けるのはなかなか勇気の要ることです。そこに特別な時間が流れることが約束されているからであり,積み上げた取り組みの重みがあるからでしょう。同時に,降り積もった銀世界に最初の一歩を刻むような,手漉きの和紙に墨滴を垂らすような,ドキドキわくわくした感覚にも包まれます。小さな頃,期待に胸膨らませた遠足の前や修学旅行の前も同様です。
 運動会の日に,子どもたちがそういったドキドキわくわくの気もちで一歩を踏み出せるような,そんな環境づくり,積み上げをしていきたいものです。


災害に強い国

 インドネシアで大きな地震と津波の被害が広がっています。被害の全容をつかみ切れていないようですが,人口の多い国ですから心配が募ります。
 自然災害の多さ,大きさという点では日本は世界で最も深刻な国の一つです。外国の方々は,あんなところによく住んでいるなあ,怖くないのかという思いをもっているようですが,この国に住む私たちは災害に「強い」のもまた事実です。
 「強い」とはどういうことか。
 日本は,防災意識,施設,避難意識・訓練などが比較的高く,整っていることは間違いありません。何より大きな犠牲や被害を乗り越えて,自然災害ですら意義や価値のあるものとして後世につないでいこうとする,またそうすることができる文化や生き方そのものが「強い」のだと考えます。
 様々な人的・物的被害だけでなく,例えば運動会が中止・延期になったり,準備・練習が計画どおり進まなかったりするというような小さなことも含めて,私たち一人ひとりがどのように受け止め,如何に意義や価値のある知識・経験に高めるか,子どもたちに理解させるのか。療育・教育の現場で問われているのはそういうことだと思います。

教科書を学ぶ

 京都大学の本庶先生が本年度のノーベル医学生理学賞に選ばれたニュースは,私たちを大変勇気づけてくれました。先生はあちこちのメディアにひっぱりだこで,大変お忙しそうでした。本庶という珍しい名字も一気に認識されるでしょう。
 インタビューに取り上げられた本庶先生の言葉の中で気になるものがありました。メディア受けする言葉でしたので,何度も放送されていました。
 曰く,教科書の内容が正しいとは限らない。信じてはいけない。いつも疑念を抱き,検証しようとする視点をもつところから科学はスタートする。
 大雑把にまとめるとこのような内容でした。
 これは,教科書なんか大したものではない,有難がる必要も,勉強する必要もないんだ,自分の信じた道を行けばいいんだ,ということと同義ではありません。
 教科書は必ずしも正しいとは言い切れない。
 確かにその通りです。物事に対して批判的な視点をもつことも大切です。しかし,これまでの科学・認識を整理し,まとめ上げ,検定に合格した教科書の内容は,現在の学識の標準です。疑念をもち,検証する,批判する姿勢というのは,あくまで誤解なく教科書の内容を理解し,咀嚼しきってこそ立てる地平です。勿論,本庶先生はそれを当然の前提として仰っているのでしょうが,言葉は切り取り方次第でどのようにでも独り歩きをしますし,時の人や有名人の言葉は大きな影響力をもちます。私たち受け取る側の人間はよくよく注意しなければなりません。
 教科書の内容をきちんと読まずに批判し,拒絶することは,科学的に正しい姿勢であるとは言えません。批判も評価も相手を正しく認識するところから始まります。私たちはまず,教科書の内容に向き合い,正しく理解できる人間を育てなければなりません。検証・批判はそこから始まります。

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広島市立似島学園小・中学校
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