最新更新日:2019/01/18
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韋駄天

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 新たに始まったNHK大河ドラマの主人公の一人は金栗四三氏で,久々の近現代ドラマです。学生時分は陸上部の便利屋で,短距離も駅伝も走っていた身としては,少なからず思い出にも浸りながら見ています。
 駅伝は日本独自の陸上競技で,誕生からすでに100年が過ぎ,現在では海外でも“Ekiden”として認知されています。最初の駅伝は東海道を500余kmも走る過酷なもので,それこそ夜通し行われたそうです。江戸時代の伝馬制からヒントを得て命名されたといわれていますが,「駅伝」という言葉自体は日本書紀にもその記述があります。

 本校の駅伝大会ももう間近。子どもたちの練習にも熱が入っています。一部の教職員も一緒に走って声をかけ,汗を流しています。走り終わった後,同じように荒い息遣いで互いに声を掛け合う姿は,いつもよりも一層リラックスし,柔和な笑顔に溢れているように思います。一緒に体を動かす,同じ息遣いの時間を過ごす,負荷の共有をする。余計な感情や思いを削ぎ落とし,フラットな関係をつくることができるのは,スポーツの素晴らしさだと思います。
 泣いたり怒ったりしながら歩いている人間は滅多にいませんが,誰しも困っていたり,不愉快だったり,不安だったり,感情が高ぶっていたり,様々なものを抱えながら今この時を過ごしています。子どもたちも同じです。私たちにはその隠れた思いを汲み取り,支えていくことが求められていますが,教職員と児童生徒の立場は大きく違いますし,大人と子どもの隔たりも随分大きいものです。しかし,共に過ごす場があることでその隔たりを限りなく小さくすることができる。授業などの教育活動の場で必要なことは,そのような「共に過ごす場」を工夫し,保障することではないかと思います。
 教えるというより,価値のある時間を子どもたちと「共に過ごす」ための授業や活動のあり方を考えていきたい。これが今年の初心です。

謹賀新年

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 子どもたちの元気な声が学校に戻ってきました。

 明けましておめでとうございます。それにしても正月だからといって,何がそんなにおめでたいのでしょうか。皆さんは知っていますか。
 新年最初の学校朝会は,お決まりの挨拶の後,この質問から始めました。

 ご存じの通り,現在の暦が採用されたのは明治時代,西郷隆盛の働きによるものです。それ以前は日常生活で七曜が用いられることもなく,人々は毎日を同じリズムで暮らしていました。正月は,年神様をお迎えする行事であると同時に,新しい年を無事に迎えることができた感謝と慶びを休みをとって祝うものでした。誰もが自分の誕生日を祝う習慣はなく,元日にみんな一緒に一つ歳を重ねるわけです。正月に「おめでとう」を言い合うのは,そういう諸々のお祝いを全て含んでいるのです。
 一方で,一休宗純は
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
と詠み,髑髏のついた杖を振り回して「ご用心なされ。」と歩き回ったと言われています。正月を迎えるたびに一つ歳を重ねるならば,それは確実に死が近づいているとということだ,という一休禅師独特のアイロニーです。
 それならば,余計に今あることに感謝をし,このひとときを大切に生きていかなければなりません。「おめでとう」の中に「ありがとう」の思いを意識しながら,日々できることを全うする。
「ぼうっと生きてんじゃねえよ!」
 どこからかそう叱られないように,また今年も一所懸命過ごしていきましょう。

 全校朝会では,年末にこのページで述べた「一期一会」の心構えを基に,このような内容の話をしました。小学生には少し難しかったかもしれません。

 みなさま,本年もどうぞよろしくお願いいたします。

御用納め

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 平成30年度が幕を下ろそうとしています。新年を迎える準備もできました。
 日本でかつて用いられていた数え年の習慣では,元日に皆がひとつ歳を重ね,無事に新年を迎えることができたことを祝っていました。
 今年もまた新年を迎えることができる。
 若い頃には当たり前のことで,特に何の想いもなかったのですが,一年が過ぎるのが早く感じられるようになるごとに,無事に一年が終わることの有難さが身にしみるようになってきました。
 何歳であろうと,老若に関係なく,時の過ぎる早さは変わりません。時間を大切にする生き方,以前にも触れた「一期一会」の心構えは,できるだけ早いうちに身に付けることができるに越したことはないと思います。
 子どもたちの過ごす学校生活が,より価値ある時間になるような教育実践を目指し,来年も一層励みたいと思います。

子走(しはす)

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 「師走」
 語源には諸説ありますが,年の暮れの忙しさに僧侶・神職・教員などの「師」が「馳す(はす)」,つまり走るという意味です。
 本校も明日の三連休から実質的な冬季休業となります。子どもたちは集会で生徒指導主事の諸注意を姿勢良く聞いていました。このあたりにも先日の学習成果発表会までに身に付いた力が垣間見えました。

 先日も紹介したように,子どもたちの駅伝大会への練習が熱を帯びてきています。正に「子走」です。昨今は指導者主導のスパルタ式指導法に批判が集まり,子どもたちの主体性を大切にした指導のあり方が模索されています。体育的な技能だけでなく,学校教育で行われる学びのあらゆる面で,子どもの力の引き出し方には意欲付けや達成感を生み出す指導・支援の仕組みが必要とされています。とは言え,自分の限界から一歩踏み出すには,強制力や切迫感が大きな役割を果たすことは明らかです。それを自分の中から生み出すことができるようにするのか,外的圧力に頼る人間として育てるのか,それが問われているのでしょう。
 子どもたちの発達段階や実態に応じ,それぞれの主体性を引き出す指導・支援は容易に設定できるものではありません。しかし,科学技術,医療技術,各種運動競技のタイムや成績,技能など,人間は様々な面で進歩・進化を続けています。教育技術においても一層の進歩が求められるのは当然のことです。
 子どもたちが自分の足で主体的に走る「子走」を目指して,来年度も教職員一同ますます研鑽・努力を重ねていきたいと思います。

大掃除の意義

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 昨日は大掃除の日でした。
 多少賑やかな声はしていましたが,掃除道具を手に一生懸命自分の仕事に取り組む姿は,決して先日の学習成果発表会の成果と無縁ではないと思います。
 それにしても大掃除に取り組む意義とは何でしょうか。子どもたちにどのように説明すればよいのでしょうか。
 当たり前のことですが,塵や埃,ごみなどを取り除き,不要な物は廃棄する,必要な物は整理・整頓することで環境を物理的に整えることが挙げられます。誰しも美しく整った環境で過ごしたいのですから。そういった意味では清掃活動には限りがありません。どれだけやっても,塵や埃,ごみひとつ落ちていない,完全に美しく整った環境をつくることは不可能です。
 では,何のために清掃活動を行うのか。どこで折り合えばよいのか。
 ひとつの答えは「心がすっきりする」ためだと思います。そこにある道具や自分自身の能力を駆使して,みんなや自分が決めたイメージを実現するために,設定した時間集中して一生懸命清掃活動に取り組む。そうして過ごした時間はきっと清々しく,気もちのよいものでしょう。「心がすっきり」する瞬間なのはないでしょうか。勿論,身体にも心地よい疲れが感じられるはずです。私たちが年末に大掃除をするのは,「心がすっきり」した状態で新年を気もちよく迎えたいからだと思います。自分の心身を満足させ,達成感を味わう取り組み。そういう自分と向き合う仕事。それが大掃除なのだと考えています。手を抜いてサボっていたのでは,このすっきり感は生まれないでしょう。
「掃除とは心がすっきりすることと見つけたり。」
 だから私は簡単に「掃除終わったよ。」という子どもには,必ずこう問うてみることにしています。
「君の心はすっきりしましたか。」

第31回学習成果発表会

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 16日に第31回学習成果発表会を行いました。
 ご来賓の方々,地域や保護者の皆様など多数の参観者においでいただき,子どもたちは張り切って,精一杯の歌や合奏,和太鼓を披露することができました。ご参観くださった皆様,寒い中誠にありがとうございました。
 今回の行事で子どもたちの成長を感じたのは,歌や合奏,和太鼓の表現活動だけではなく,鑑賞する姿勢や入退場での姿勢・態度です。歩き方や足音に気をつけることができるようになった小学生が増えたこと,登壇する際に横の列を意識し,友だちの動きを観察しながらタイミングを揃えようとしていた中学生,出演前の整然とした待ち方・並び方など,沢山の気づきを挙げることができます。練習を重ね,発表会を迎えて子どもたちの意識が高まったことが見てとれました。
 発表会などの表現活動は,発表者の表現の質が高ければよいものになるわけではありません。表現の質に加え,発表者・参観者の姿勢や態度,鑑賞の質など,会場が一体となり素晴らしい雰囲気を創り上げてこそ,です。
 これは普段の授業や生活など学校の学びの場にも同じことが言えます。運動会や学習成果発表会でできたこと,確かめたことを日頃の学びの場にフィードバックし,更に磨いていくよう指導・支援を行いたいと思います。

一期一会

 この言葉は近年,子どもたちの間でも人気で,ノートの表紙や下敷き,クリアファイルのデザインに頻繁に用いられています。「出会いを大切に」という意味でとらえられ,友だちとの友情を描いたイラストなどが添えられることが多いようです。茶道の心得として千利休が述べたと言われていることは衆知でしょうが,本来の意味は少し違うことはあまり知られていないように思います。
 一期一会とは,茶会などの場において,これが生涯一度の,あるいは最後の出会い,ひとときだという覚悟で,主客共に誠意を尽くす心構えを言います。つまり,今のこのひとときは一生で一度の機会だという思いをもって相手に接し,精一杯物事を成し遂げましょう,という教えです。
 子どもたちにとって,今日の授業は生涯に一度限りです。例えば,「ごんぎつね」の第一次第1時は二度とやってきません。私たちはその責任と覚悟を背負って授業の準備をしているか,子どもたちと向き合っているか,常に自分に問い続けることが求められています。同時に,一期一会の姿勢で授業に臨む子ども,学級を育てていく必要もあると思います。

余裕をもつ

 中学3年生の願書提出を間近に控え,いよいよ本格的な受験シーズンを迎えます。日々の積み重ねがものを言う学力ですが,それでも最後の一瞬まで力の限りを尽くすことは,スポーツであれ受験であれ,とても大切なことです。
 人間は横着ですから,少なくとも私などはギリギリ必要最低限の努力で最大の効果や成果が手に入らないものか,と夢のようなことばかり考えていました。
「無駄な努力はしたくない。」

 無駄な努力など,この世にはありません。力いっぱい取り組んだことは,必ず自分の身につき,力になっています。例え遠回りに見えても。だからこそ,「余裕をもって行動をしましょう。」と言われます。
 余裕をもつというのは,受動的な言い方をすると,必要最低限になること,ギリギリで行動することを避けるということです。常に必要最低限,ギリギリで行動したり,取組をしたりしていると,イレギュラーに対応できず,失敗やエラーの恐れが大きくなります。うまくいけば成功する,例えば,晴れていれば洗濯できる,交通状況が良ければ間に合う,合格のギリギリラインを狙うなど,不確定要素の大きな条件に頼って行動すると,失敗するリスクが限りなく大きくなるのです。きっと,洗濯が間に合わなかったり,遅刻したり,受験に失敗したりするのでしょう。
 余裕をもつ = ある程度想定できる事態に備える。
 決して特別なことではありません。特殊な能力でもありません。一つひとつの取組のゴールを設定し,見通しをもち,具体的な活動をイメージする。授業設計と同じです。
 子どもたちは1月の駅伝大会に向け,体育科の時間に練習を始めました。ゴールの瞬間,「力いっぱい走りきった!」と言えるように,地道な取組を重ねていってほしいと思います。

 当たり前の話でした。


トム・ソーヤ理論

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 「トム・ソーヤの冒険」
 子どもの頃何度も読み返した名作です。作者のマーク・トウェイン自身や周囲の人々に起きた,あるいは経験した,ほぼ実話に近い物語だという点が,ワクワクするような想像力をかき立てるのかもしれません。

 トムはいたずらっ子で遊びたい盛りの少年です。伯母さんの言いつけなど聞かず,目を盗んでは宿題や家の手伝いもせず遊びに出かけます。ある日,伯母さんにつかまってしまい,塀のペンキ塗りを命じられました。仕方なく嫌々ペンキを塗っていたトムですが,友だちがやってくると途端に熱心に脇目も振らずペンキを塗り始めます。
「なんだトム,ペンキ塗りをさせられているのか。可哀想に。」
 一心不乱,黙々とペンキを塗るトム。友だちが話しかけても知らん顔しています。とうとう友だちが、少し代わってほしい,ペンキ塗りをさせてほしいと頼みますが,
「僕が伯母さんに頼まれた仕事なんだ。僕でないとできない仕事だからね。君にさせたら僕が怒られちゃう。」
と断ります。
 ついに,このリンゴをあげるからやらせてくれ,と友だちに頼まれたトム。仕方なさそうに友だちにペンキ塗りを譲り,彼は木陰でリンゴを食べながらのんびり様子を眺めます。
 友だちが通りかかるたびにトムは何回も繰り返し,木陰でおやつやら読書やら昼寝やらしている間に,あっという間に塀は美しく仕上がりました。伯母さんは驚き,喜び,
「トム,お前はやればできる子だと思っていたよ!何て素晴らしい仕事ぶりだろう!さあ,たくさん遊んでおいで。」
 そう言って,トムにおやつをくれました。

 この話,肝心なのは誰も不幸になっていないことです。いわゆる,WIN−WINの関係が成立しています。そこがトムの知恵のすごいところでしょう(悪知恵には違いありませんが)。
 特に学ぶべきことは,トムがペンキ塗りという面白くない仕事に巧みに価値付けをしたことです。ただのペンキ塗りは,トムの価値付けによって,通りがかった友人たちにとって羨望の仕事になったのですから。
 私たちの役割はそこにあると思います。学校生活で子どもたちが取り組む活動に,いかに素敵な価値を与えるか。国語科学習,給食,清掃活動,教室移動,体育科学習,健康観察,挨拶,整列,身だしなみ,社会科学習,連絡帳,係活動,運動会,式の椅子並べ…。それぞれの活動が子どもたちにとって光り輝く魅力的なものに見えれば,多少他のことを我慢しても喜んで取り組むでしょう。そういう準備,仕掛け,言葉かけを工夫すること,つまり「価値付け」ることこそが私たちが磨くべき教職員としての「基礎的・基本的な力」です。

似島小学校との交流学習

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 朝からの雨も上がり、暖かな好天の下で似島小学校との交流学習を行いました。
 今回は,本校が似島小学校に訪問する番でした。毎年取り組んでいるみかん狩り体験は,7月の豪雨被害の影響で実施できず,今年度はグラウンドゴルフ大会を計画していただきました。
 低学年と高学年でペアになり,一緒にラウンドしたチーム全体のスコアを競う形でしたが,感心したのは励ましや支えあいの言葉が大変多かったことです。
 「すごい,すごい。」「ナイスショット!」「惜しい〜」「大丈夫だよ。」ペアや友だちの失敗を責めるような言動は見られず,短い時間でしたが子どもたちみんなが笑顔で過ごすことができました。
 勝ち負けにこだわりすぎないようなゲーム形態,子どもたちの実態に合ったホール設定,支えあいの生まれるペアづくり,教職員の声かけや指示。このような場づくりが適切に配慮されていた結果だろうと思います。この日の天候と同じように終始穏やかな,子どもたち全員がいい顔で終わることのできる会でした。
 会を計画し,お世話してくださった似島小学校の皆さん,先生方,本当にありがとうございました。
 

ノーベル賞制定記念日

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 ノーベル賞。
 アルフレッド・ノーベルが莫大な財産を基に制定したこの賞は,世界中で最も有名な賞のひとつです。
 各賞はスウェーデンのストックホルムで授与されますが,平和賞だけはノルウェーのオスロで授与式が行われます。これは,長く戦争を続けた両国の和解と平和を祈念しているもので,スウェーデンにとって「敵国」だったノルウェーの首都オスロで,というのはアイデアだなと思います。
 「仲良くしましょう。」
 「相手の立場に立って考えましょう。」
 「お互いを尊重(尊敬)して。」
 口で言うのは簡単ですし,至極当たり前のことですが,感情的にはなかなか難しいことです。特に,国同士・地域同士というのは,個人の感情を超えた愛国心や地元贔屓が間に挟まって,容易に歩み寄ることはできません。それを「ノーベル賞授賞式」の分散開催という場を設け,融和させることによって,両国の平和のシンボルとしたのだそうです。
 具体物のやりとりで犬猿の仲を取りもった有名な事例としては,薩長同盟があります。飢饉に苦しんでいた薩摩は長州から米を,幕府の追討令で窮地にあった長州は薩摩を通して最新式銃や軍艦を融通してもらい,互いの敵対心を乗り越えようとしました。理屈で正論を並べ立てるよりも,相手を思う一粒の米が気もちを動かすものなのでしょう。
 教育活動の中にも正論が沢山あります。学ばなければならない知識・理屈も山のようです。それが身につくかどうかは,具体的な活動の工夫に因るものです。子どもたちの意欲が湧く学びの場を創り上げていきたいと思います。

ストーブ再び

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 今朝,バンカーサプライ便にストーブが設置されていました。
 今年の3月末,本校に赴任の挨拶と引継に来たときに,「そろそろこのストーブは片付けないとねえ。」という声を聞いて以来の再登場ということになります。
 季節の移り変わりはいつの間にか,過ぎてしまえば早いものです。今夏,あの酷暑は永遠に続くかのように思えましたが,今となっては「そう言えば暑かったよねえ。」という思い出話です。
 忘れるということは,人間の長所のひとつです。細かいこと,辛いことをいちいち全部覚えていては,心身共に保ちません。しかし,事象は忘れても経験を忘れてはいけない。その時々に学び得たこと,感じたことを積み重ね,新たな見識として身に付けることができるところも私たち人間の長所です。
 経験を力に,常に適度な緊張感をもち,「アンテナ」をそばだてて教育活動に取り組みたいと思います。

元気の源

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 私には小さな楽しみがあります。
 毎朝の職員朝会が終わった頃,似島学園から幼稚園に通う子どもたちが事務室・校長室の前を通るとき,大きな声で,
「校長先生!行ってきます!」
と手を振ってくれることです。
 私も負けないように,一人ひとりの顔を見て,
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
と応えています。
 たったそれだけのことなのですが,先日休園日で子どもたちが通らないときは,一日のスタートがとても寂しく感じられました。ああ,彼等の挨拶は私の元気の源になっているのだな,と思いました。
 挨拶というのは不思議なもので,気もちのよい挨拶をされて不愉快になる人間はいません。逆にこちらの挨拶に何の反応もないと,寂しい気もちになるものです。心構えひとつ,相手に届く声ひとつで相手を元気にすることができるなんて,こんな効果の優れた魔法はなかなかありません。
 「まず隗より始めよ。」
 私たちから気もちのよい挨拶を届けましょう。

目の前の現象

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 先日,体育館前をイノシシが荒らし,かなりの範囲を掘り返していました。
「ああ,なんてことだ。」
「これは驚いた。」
「いや,なに。これは君,つまりはイノシシはミミズを食べるんだ。きっと腹を空かせたイノシシたちが大勢で掘り返し,ミミズを食べたのに違いあるまい。ミミズは貴重なタンパク源なのだからね。」 
「なるほど,きっとそうだ。いやはやイノシシの食欲は相当なものだ。ミミズまで食べるんだから。」
「そうなんだ。何と言ってもイノシシの肉は臭みがあるからね。僕はもう,ぼたん鍋は食べる気がしなくなった。」
 『注文の多い料理店』風に言えば,こんな会話が繰り広げられたところです。

 とんでもない誤解でした。イノシシはミミズをそれほど好んで食べているわけではないそうです。ミミズがタンパク源として栄養価が高い生物であることは間違いないのですが,イノシシの掘り返し行為は,空腹を満たしたイノシシが遊んだ跡なのだそうです。お腹がいっぱいになって,瓜坊も一緒に家族で土を掘り返して遊んでいる姿は可愛らしくイメージしてしまいます。実際,彼等はもっと文化的で,食後の遊びとして地面を掘り返し,適度な運動としていたわけです。いずれにせよ,人間にとって迷惑であることには変わりないのですが……。
 現象だけを見て,最近の島の状況から勝手に飢えてうろうろ食べ物を探し回っているイノシシの姿を想像し,浅ましくミミズを食らっているに違いない彼等の姿をイメージした自分を少し恥ずかしく思いました。
 私たちは目の前に現れた現象だけを見て,先入観や既成概念から物事を決めつけて判断してしまうことがあります。目に見えることは確かに印象強く感じます。イノシシの心が傷つくことはないでしょうが,これは気をつけなければなりません。
 目の前の現象は,それ以上のことを表現しているわけではありません。即断即決が必要である場合を除き,物事を判断するときは,じっくりじっくり観察し,判断の器から溢れるほどの情報を集め,精査した上で行わなければなりません。
 

似島保育園 生活発表会

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 似島保育園の生活発表会を参観させていただきました。
 園児はわずか8人。それでもたくさんの劇や歌,合奏など,ひとりでいくつもの活動に取り組み,力いっぱい表現している様子に少なからず感動しました。指導された園の先生方の陰の努力や支援の温かさが感じられる,実に清々しい会でした。
 人数が少なくて,表現の方法には物理的に大きな制約があったと思います。その中で,子どもができる「精一杯」をきちんと見極め,子どもたちがそれに応えて「精一杯」チャレンジしてきた取組の過程が,観ている私たちによく伝わってきました。
・子どもの実態を把握し,持続可能な意欲をもって取り組むことができる適切な刺激(教育的な課題)を与える(つまり,常に少し背伸びしなければ手が届かないところに「ねらい」を設定する)。
・適切に指導・支援,評価を行うことで「やる気」と「達成感」「満足感」を生み出す。
・一緒に同じ目線で活動することで,子どもが「安心」して表現することができる場を創り出す。
 こうした手立てのもとで力を出し切った似島保育園の子どもたちは,さぞ心地よい疲れに包まれていることでしょう。
 できたか,できなかったか,ではなく,本気で取り組んだことがわかる姿勢が,子どもたちに「達成感」「満足感」をもたらし,参観者に感動を生むのだと改めて感じました。本校も学習成果発表会に向けて,子どもたち一人ひとりが「精一杯」取り組むことができるような場を設定しなければなりません。

レントゲンとCT

 今日はレントゲンの日です。レントゲン博士がX線を発見した日を記念したのだそうです。
 レントゲンを使うことで身体の中を透視し,より一層詳しく状態をつかむことができます。医療面では画期的な発見だったことでしょう。CTスキャンも原理的には同じ医療機器ですから,放射線を当てて画像を得るという点は同じです。レントゲンと違う点は,CTは多角的に放射線を当てることで三次元的立体的な画像をつくることができるということです。より詳しく正確に身体の様子を把握できることが高度な診察や医療に寄与しているわけです。
 外観よりも透視,平面よりも立体。
 対象の様子や状態をより詳細に正確につかむことが適切な対応を生む。
 児童・生徒理解の場では,性急な主観的な指導・支援が誤解や不適切な結果を生むことにつながりかねません。子どもたちをより多くの視点から多角的に観察し,情報を得て,本来の意味で「寄り添う」ことができるように心がけたいと思います。

立冬

 昨日は立冬でした。
 ということは秋も終わりということですが,それにしては暖かい。昼間は暑いくらいです。
 二十四節気でいう暦は,今の暦とはズレがあります。昔は太陰暦,いまは太陽暦という差,二十四節気は中国の季節を表現した暦であること,要因はいろいろ考えられますが,そもそも立冬とは「そろそろ冬の気配がしてきたよ」という日です。つまり,秋たけなわの時期に来たるべき冬の備えを促す意味があるのでしょう。寒くなり,雪が降ったり凍ったりしてから慌てるのではなく,冬の気配を感じ取り,少しずつ備えておく。古人はそうやって豊かな生活を築いてきたのでしょう。
 暖房機器のスイッチを入れればたちまち暖かくなる昨今とは事情が違うかもしれませんが,私たちの生活の中には今でも科学技術だけでは何ともならないことが多くあります。教育活動はまさしくそうでしょう。学校行事も授業も,目的を明確に見通しをもち,計画を立てて見直しながら実践していくべきものです。
 何より,「気配を感じて備える」という姿勢・態度,習慣そのものを,豊かに生きる力として子どもたちの身につけたいと思います。
  

人権の花

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 10月31日(水),「人権の花」贈呈式が行われました。
 人権擁護委員の方々に紙芝居を読んでいただきました。「まもる君」が登場すると,児童は大興奮でした。握手をしたり,ハグしたり,調子に乗って体当たりをしたりする児童もいましたが,「まもる君」は全てしっかり受け止めてくれました。

 児童代表が受け取ったヒヤシンスの球根は一人ひとりの手で,相手を思いやる気もちとともに大切に育てていきたいと思います。
 人権擁護委員のみなさま,ありがとうございました。

愛着障害

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 似島学園と本校合同の研修会を行いました。今回は,和歌山大学大学院教育学部教授 米澤好史先生をお招きし,「愛着障害の理解と支援」について一日半たっぷりとお話をうかがうことができました。先生の情熱溢れる講義は,新しく魅力的で情報量がふんだん,大サービスといった内容でした。久しぶりに大学の集中講義を受講させていただいたような感覚になりました。
 「愛着障害」という言葉はまだあまり一般的ではないかもしれません。いわゆる「発達障害」と区別がつきにくく,対応や指導・支援の考え方,あり方も違うため,米澤先生は両者を明確に峻別して理解することが必要であることを,全国を飛び回って説いていらっしゃいます。詳しいことは御著書の中で明確に述べられています。
 今回の講演では,ベテランの教職員ほど,
「ああ,そういうことか。」
「なるほど,そうだったのか。」
といった声や頷きに溢れていました。私たちが今まで経験的に積み重ねてきた実践の裏付けになること,逆にとんでもない勘違いをしていたこと,どうしたらよいか分からず長く悩んでいたことなど,児童・生徒とのかかわり方,指導・支援の考え方を見直したり,確かめたりする具体的な手がかりに富んだ内容だったからです。むしろ,児童・生徒だけでなく,人と人とのかかわりについて,「目から鱗」の思いでした。
 「学ぶ」ということは,何歳になってもこれでよい,これで終わりはない,ということを改めて気づかされた2日間でした。

釈迦の掌

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 朝,学園港から小富士を見上げると,後ろに雲ひとつない空が広がっています。たまに端の方に千切れたように小さく浮かんでいる雲を見ると,西遊記の觔斗雲(きんとうん)を連想します。
 觔斗雲は孫悟空が操り,宙返りひとつで10万里余をひと飛びすることができる術です。悟空が雲に跨がり,飛ばしに飛ばして世界の果てと思われる柱に行き着き,「斉天大聖」と墨書したところ,釈迦如来の指だったという有名な件があります。お釈迦様が如何に大きなものか,その偉大さを物語ると同時に,悟空の(あるいは私たち人間の)世界観,常識,認識といったようなものが如何に独りよがりで狭いものかを暗示しているのでしょう。
 「誰もが自分自身の視野の限界を,世界の限界だと思い込んでいる。」
 ドイツの哲学者で実存主義の先駆けとなったショーペンハウアーの言葉です。確かに自分の隣人の世界観を理解することは容易ではありません。しかし,人それぞれに別々の視野,別々の世界をもっていることを認め,常に意識することはできると考えます。
 多様な人間や考え方があることを,まず認めることのできる教員でありたいと思います。

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広島市立似島学園小・中学校
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