最新更新日:2024/04/26
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子どもに自己実現力を

トム・ソーヤ理論

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 「トム・ソーヤの冒険」
 子どもの頃何度も読み返した名作です。作者のマーク・トウェイン自身や周囲の人々に起きた,あるいは経験した,ほぼ実話に近い物語だという点が,ワクワクするような想像力をかき立てるのかもしれません。

 トムはいたずらっ子で遊びたい盛りの少年です。伯母さんの言いつけなど聞かず,目を盗んでは宿題や家の手伝いもせず遊びに出かけます。ある日,伯母さんにつかまってしまい,塀のペンキ塗りを命じられました。仕方なく嫌々ペンキを塗っていたトムですが,友だちがやってくると途端に熱心に脇目も振らずペンキを塗り始めます。
「なんだトム,ペンキ塗りをさせられているのか。可哀想に。」
 一心不乱,黙々とペンキを塗るトム。友だちが話しかけても知らん顔しています。とうとう友だちが、少し代わってほしい,ペンキ塗りをさせてほしいと頼みますが,
「僕が伯母さんに頼まれた仕事なんだ。僕でないとできない仕事だからね。君にさせたら僕が怒られちゃう。」
と断ります。
 ついに,このリンゴをあげるからやらせてくれ,と友だちに頼まれたトム。仕方なさそうに友だちにペンキ塗りを譲り,彼は木陰でリンゴを食べながらのんびり様子を眺めます。
 友だちが通りかかるたびにトムは何回も繰り返し,木陰でおやつやら読書やら昼寝やらしている間に,あっという間に塀は美しく仕上がりました。伯母さんは驚き,喜び,
「トム,お前はやればできる子だと思っていたよ!何て素晴らしい仕事ぶりだろう!さあ,たくさん遊んでおいで。」
 そう言って,トムにおやつをくれました。

 この話,肝心なのは誰も不幸になっていないことです。いわゆる,WIN−WINの関係が成立しています。そこがトムの知恵のすごいところでしょう(悪知恵には違いありませんが)。
 特に学ぶべきことは,トムがペンキ塗りという面白くない仕事に巧みに価値付けをしたことです。ただのペンキ塗りは,トムの価値付けによって,通りがかった友人たちにとって羨望の仕事になったのですから。
 私たちの役割はそこにあると思います。学校生活で子どもたちが取り組む活動に,いかに素敵な価値を与えるか。国語科学習,給食,清掃活動,教室移動,体育科学習,健康観察,挨拶,整列,身だしなみ,社会科学習,連絡帳,係活動,運動会,式の椅子並べ…。それぞれの活動が子どもたちにとって光り輝く魅力的なものに見えれば,多少他のことを我慢しても喜んで取り組むでしょう。そういう準備,仕掛け,言葉かけを工夫すること,つまり「価値付け」ることこそが私たちが磨くべき教職員としての「基礎的・基本的な力」です。

似島小学校との交流学習

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 朝からの雨も上がり、暖かな好天の下で似島小学校との交流学習を行いました。
 今回は,本校が似島小学校に訪問する番でした。毎年取り組んでいるみかん狩り体験は,7月の豪雨被害の影響で実施できず,今年度はグラウンドゴルフ大会を計画していただきました。
 低学年と高学年でペアになり,一緒にラウンドしたチーム全体のスコアを競う形でしたが,感心したのは励ましや支えあいの言葉が大変多かったことです。
 「すごい,すごい。」「ナイスショット!」「惜しい〜」「大丈夫だよ。」ペアや友だちの失敗を責めるような言動は見られず,短い時間でしたが子どもたちみんなが笑顔で過ごすことができました。
 勝ち負けにこだわりすぎないようなゲーム形態,子どもたちの実態に合ったホール設定,支えあいの生まれるペアづくり,教職員の声かけや指示。このような場づくりが適切に配慮されていた結果だろうと思います。この日の天候と同じように終始穏やかな,子どもたち全員がいい顔で終わることのできる会でした。
 会を計画し,お世話してくださった似島小学校の皆さん,先生方,本当にありがとうございました。
 

ノーベル賞制定記念日

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 ノーベル賞。
 アルフレッド・ノーベルが莫大な財産を基に制定したこの賞は,世界中で最も有名な賞のひとつです。
 各賞はスウェーデンのストックホルムで授与されますが,平和賞だけはノルウェーのオスロで授与式が行われます。これは,長く戦争を続けた両国の和解と平和を祈念しているもので,スウェーデンにとって「敵国」だったノルウェーの首都オスロで,というのはアイデアだなと思います。
 「仲良くしましょう。」
 「相手の立場に立って考えましょう。」
 「お互いを尊重(尊敬)して。」
 口で言うのは簡単ですし,至極当たり前のことですが,感情的にはなかなか難しいことです。特に,国同士・地域同士というのは,個人の感情を超えた愛国心や地元贔屓が間に挟まって,容易に歩み寄ることはできません。それを「ノーベル賞授賞式」の分散開催という場を設け,融和させることによって,両国の平和のシンボルとしたのだそうです。
 具体物のやりとりで犬猿の仲を取りもった有名な事例としては,薩長同盟があります。飢饉に苦しんでいた薩摩は長州から米を,幕府の追討令で窮地にあった長州は薩摩を通して最新式銃や軍艦を融通してもらい,互いの敵対心を乗り越えようとしました。理屈で正論を並べ立てるよりも,相手を思う一粒の米が気もちを動かすものなのでしょう。
 教育活動の中にも正論が沢山あります。学ばなければならない知識・理屈も山のようです。それが身につくかどうかは,具体的な活動の工夫に因るものです。子どもたちの意欲が湧く学びの場を創り上げていきたいと思います。

ストーブ再び

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 今朝,バンカーサプライ便にストーブが設置されていました。
 今年の3月末,本校に赴任の挨拶と引継に来たときに,「そろそろこのストーブは片付けないとねえ。」という声を聞いて以来の再登場ということになります。
 季節の移り変わりはいつの間にか,過ぎてしまえば早いものです。今夏,あの酷暑は永遠に続くかのように思えましたが,今となっては「そう言えば暑かったよねえ。」という思い出話です。
 忘れるということは,人間の長所のひとつです。細かいこと,辛いことをいちいち全部覚えていては,心身共に保ちません。しかし,事象は忘れても経験を忘れてはいけない。その時々に学び得たこと,感じたことを積み重ね,新たな見識として身に付けることができるところも私たち人間の長所です。
 経験を力に,常に適度な緊張感をもち,「アンテナ」をそばだてて教育活動に取り組みたいと思います。

元気の源

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 私には小さな楽しみがあります。
 毎朝の職員朝会が終わった頃,似島学園から幼稚園に通う子どもたちが事務室・校長室の前を通るとき,大きな声で,
「校長先生!行ってきます!」
と手を振ってくれることです。
 私も負けないように,一人ひとりの顔を見て,
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
と応えています。
 たったそれだけのことなのですが,先日休園日で子どもたちが通らないときは,一日のスタートがとても寂しく感じられました。ああ,彼等の挨拶は私の元気の源になっているのだな,と思いました。
 挨拶というのは不思議なもので,気もちのよい挨拶をされて不愉快になる人間はいません。逆にこちらの挨拶に何の反応もないと,寂しい気もちになるものです。心構えひとつ,相手に届く声ひとつで相手を元気にすることができるなんて,こんな効果の優れた魔法はなかなかありません。
 「まず隗より始めよ。」
 私たちから気もちのよい挨拶を届けましょう。

目の前の現象

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 先日,体育館前をイノシシが荒らし,かなりの範囲を掘り返していました。
「ああ,なんてことだ。」
「これは驚いた。」
「いや,なに。これは君,つまりはイノシシはミミズを食べるんだ。きっと腹を空かせたイノシシたちが大勢で掘り返し,ミミズを食べたのに違いあるまい。ミミズは貴重なタンパク源なのだからね。」 
「なるほど,きっとそうだ。いやはやイノシシの食欲は相当なものだ。ミミズまで食べるんだから。」
「そうなんだ。何と言ってもイノシシの肉は臭みがあるからね。僕はもう,ぼたん鍋は食べる気がしなくなった。」
 『注文の多い料理店』風に言えば,こんな会話が繰り広げられたところです。

 とんでもない誤解でした。イノシシはミミズをそれほど好んで食べているわけではないそうです。ミミズがタンパク源として栄養価が高い生物であることは間違いないのですが,イノシシの掘り返し行為は,空腹を満たしたイノシシが遊んだ跡なのだそうです。お腹がいっぱいになって,瓜坊も一緒に家族で土を掘り返して遊んでいる姿は可愛らしくイメージしてしまいます。実際,彼等はもっと文化的で,食後の遊びとして地面を掘り返し,適度な運動としていたわけです。いずれにせよ,人間にとって迷惑であることには変わりないのですが……。
 現象だけを見て,最近の島の状況から勝手に飢えてうろうろ食べ物を探し回っているイノシシの姿を想像し,浅ましくミミズを食らっているに違いない彼等の姿をイメージした自分を少し恥ずかしく思いました。
 私たちは目の前に現れた現象だけを見て,先入観や既成概念から物事を決めつけて判断してしまうことがあります。目に見えることは確かに印象強く感じます。イノシシの心が傷つくことはないでしょうが,これは気をつけなければなりません。
 目の前の現象は,それ以上のことを表現しているわけではありません。即断即決が必要である場合を除き,物事を判断するときは,じっくりじっくり観察し,判断の器から溢れるほどの情報を集め,精査した上で行わなければなりません。
 

似島保育園 生活発表会

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 似島保育園の生活発表会を参観させていただきました。
 園児はわずか8人。それでもたくさんの劇や歌,合奏など,ひとりでいくつもの活動に取り組み,力いっぱい表現している様子に少なからず感動しました。指導された園の先生方の陰の努力や支援の温かさが感じられる,実に清々しい会でした。
 人数が少なくて,表現の方法には物理的に大きな制約があったと思います。その中で,子どもができる「精一杯」をきちんと見極め,子どもたちがそれに応えて「精一杯」チャレンジしてきた取組の過程が,観ている私たちによく伝わってきました。
・子どもの実態を把握し,持続可能な意欲をもって取り組むことができる適切な刺激(教育的な課題)を与える(つまり,常に少し背伸びしなければ手が届かないところに「ねらい」を設定する)。
・適切に指導・支援,評価を行うことで「やる気」と「達成感」「満足感」を生み出す。
・一緒に同じ目線で活動することで,子どもが「安心」して表現することができる場を創り出す。
 こうした手立てのもとで力を出し切った似島保育園の子どもたちは,さぞ心地よい疲れに包まれていることでしょう。
 できたか,できなかったか,ではなく,本気で取り組んだことがわかる姿勢が,子どもたちに「達成感」「満足感」をもたらし,参観者に感動を生むのだと改めて感じました。本校も学習成果発表会に向けて,子どもたち一人ひとりが「精一杯」取り組むことができるような場を設定しなければなりません。

レントゲンとCT

 今日はレントゲンの日です。レントゲン博士がX線を発見した日を記念したのだそうです。
 レントゲンを使うことで身体の中を透視し,より一層詳しく状態をつかむことができます。医療面では画期的な発見だったことでしょう。CTスキャンも原理的には同じ医療機器ですから,放射線を当てて画像を得るという点は同じです。レントゲンと違う点は,CTは多角的に放射線を当てることで三次元的立体的な画像をつくることができるということです。より詳しく正確に身体の様子を把握できることが高度な診察や医療に寄与しているわけです。
 外観よりも透視,平面よりも立体。
 対象の様子や状態をより詳細に正確につかむことが適切な対応を生む。
 児童・生徒理解の場では,性急な主観的な指導・支援が誤解や不適切な結果を生むことにつながりかねません。子どもたちをより多くの視点から多角的に観察し,情報を得て,本来の意味で「寄り添う」ことができるように心がけたいと思います。

立冬

 昨日は立冬でした。
 ということは秋も終わりということですが,それにしては暖かい。昼間は暑いくらいです。
 二十四節気でいう暦は,今の暦とはズレがあります。昔は太陰暦,いまは太陽暦という差,二十四節気は中国の季節を表現した暦であること,要因はいろいろ考えられますが,そもそも立冬とは「そろそろ冬の気配がしてきたよ」という日です。つまり,秋たけなわの時期に来たるべき冬の備えを促す意味があるのでしょう。寒くなり,雪が降ったり凍ったりしてから慌てるのではなく,冬の気配を感じ取り,少しずつ備えておく。古人はそうやって豊かな生活を築いてきたのでしょう。
 暖房機器のスイッチを入れればたちまち暖かくなる昨今とは事情が違うかもしれませんが,私たちの生活の中には今でも科学技術だけでは何ともならないことが多くあります。教育活動はまさしくそうでしょう。学校行事も授業も,目的を明確に見通しをもち,計画を立てて見直しながら実践していくべきものです。
 何より,「気配を感じて備える」という姿勢・態度,習慣そのものを,豊かに生きる力として子どもたちの身につけたいと思います。
  

人権の花

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 10月31日(水),「人権の花」贈呈式が行われました。
 人権擁護委員の方々に紙芝居を読んでいただきました。「まもる君」が登場すると,児童は大興奮でした。握手をしたり,ハグしたり,調子に乗って体当たりをしたりする児童もいましたが,「まもる君」は全てしっかり受け止めてくれました。

 児童代表が受け取ったヒヤシンスの球根は一人ひとりの手で,相手を思いやる気もちとともに大切に育てていきたいと思います。
 人権擁護委員のみなさま,ありがとうございました。

愛着障害

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 似島学園と本校合同の研修会を行いました。今回は,和歌山大学大学院教育学部教授 米澤好史先生をお招きし,「愛着障害の理解と支援」について一日半たっぷりとお話をうかがうことができました。先生の情熱溢れる講義は,新しく魅力的で情報量がふんだん,大サービスといった内容でした。久しぶりに大学の集中講義を受講させていただいたような感覚になりました。
 「愛着障害」という言葉はまだあまり一般的ではないかもしれません。いわゆる「発達障害」と区別がつきにくく,対応や指導・支援の考え方,あり方も違うため,米澤先生は両者を明確に峻別して理解することが必要であることを,全国を飛び回って説いていらっしゃいます。詳しいことは御著書の中で明確に述べられています。
 今回の講演では,ベテランの教職員ほど,
「ああ,そういうことか。」
「なるほど,そうだったのか。」
といった声や頷きに溢れていました。私たちが今まで経験的に積み重ねてきた実践の裏付けになること,逆にとんでもない勘違いをしていたこと,どうしたらよいか分からず長く悩んでいたことなど,児童・生徒とのかかわり方,指導・支援の考え方を見直したり,確かめたりする具体的な手がかりに富んだ内容だったからです。むしろ,児童・生徒だけでなく,人と人とのかかわりについて,「目から鱗」の思いでした。
 「学ぶ」ということは,何歳になってもこれでよい,これで終わりはない,ということを改めて気づかされた2日間でした。

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広島市立似島学園小・中学校
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