最新更新日:2024/04/26
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子どもに自己実現力を

天高く馬肥ゆる秋

 あれだけの猛暑の記憶も,最近の過ごしやすさのせいかすっかり薄れてきてしまいました。山の稜線をくっきり浮かび上がらせる濃い色の空。日本全体の色が「インスタ映え」する季節になりました。
 夏の蒸し暑い時期と比べ,大気中の湿度が大きく下がり,光線が水蒸気の粒に当たって乱反射しなくなったことで,遠景などの色彩が鮮やかになるのだそうです。
 子どもの指導をするとき,授業のときも同様です。環境に無駄な言葉,仕草,音などがあると,伝えたいことや大切なことが乱反射してしまう恐れがあります。子どもたちが教職員の言葉や発問,指示をストレスなく受け止めることができるような環境をつくらなければなりません。
 私たちの語彙や話し方も「肥ゆる」秋にしましょう。
 

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10月12日(金) 運動会前日

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 明日は秋季大運動会。
 9月から本校子どもたちや教職員だけでなく,学園,高等養護部のみなさんに大変なご尽力をいただき,今年も素晴らしい舞台が整いました。たくさんの砂をふるいにかけるところから始まり,台風や雨にも悩まされながら,草刈りや側溝の土砂撤去に至るまで,隅々まで気もちの行き届いた準備を進めていただきました。
 勿論,各種目への取り組みにも毎日奮闘してまいりました。
 子どもたちが力を出し尽くして,満足感と達成感に溢れる一日になることを祈っています。

天気予報

 夕焼けは晴れ,朝焼けは雨。
 蟷螂(カマキリ)が高い枝に巣をはる冬は大雪。
 古人(いにしえびと)は生活の経験則から天候の変化を予想しました。優れた知恵ですが,現在の科学技術に基づいた天気予報と比べると,かなり大雑把な予想であることは言うまでもありません。
 今年は台風が多く,大雨にも見舞われましたが,天気予報の確度は格段に向上し,どれくらい先にどれくらいの時間,どれくらいの雨が降るのか,など非常に具体的に知ることができます。災害そのものを避けることはできませんが,台風の進路はほぼ確実につかめるようになりましたし,突然の雷雨も事前に知ることができるようになりました。過去の膨大なデータや優れた知恵の蓄積,様々な気象要素を分析できる科学技術のお蔭です。地震の発生や火山の噴火も,近い将来完全に予測することができるようになるのではないでしょうか。
 子どもたちの言動は時に非常に気まぐれであり,無秩序であり,理不尽であるように感じます。しかし,子ども一人ひとりの言動にも,何かのきっかけや要因があるはずです。唐突に見えても,その時々にそのように振る舞うことになった「きっかけ」をつかみ,理解する。指導・支援の方策もその上に成り立つものです。
 私たちはまだまだ様々な知識や経験,技能を獲得する必要があります。子どもたちの「心の天気予報」を確かなものにするために。

足跡

 週末に運動会を控え,取組も佳境に入ってきました。
 本校のグラウンドは1ヵ月以上前から7トンもの砂を手作業で篩(ふるい)にかけ,裸足で滑らかに感じるほどに整えていきます。グラウンド整備に対する情熱は阪神園芸も顔負けです。
 古刹の庭園のように箒の目が入ったグラウンドに足跡を付けるのはなかなか勇気の要ることです。そこに特別な時間が流れることが約束されているからであり,積み上げた取り組みの重みがあるからでしょう。同時に,降り積もった銀世界に最初の一歩を刻むような,手漉きの和紙に墨滴を垂らすような,ドキドキわくわくした感覚にも包まれます。小さな頃,期待に胸膨らませた遠足の前や修学旅行の前も同様です。
 運動会の日に,子どもたちがそういったドキドキわくわくの気もちで一歩を踏み出せるような,そんな環境づくり,積み上げをしていきたいものです。


災害に強い国

 インドネシアで大きな地震と津波の被害が広がっています。被害の全容をつかみ切れていないようですが,人口の多い国ですから心配が募ります。
 自然災害の多さ,大きさという点では日本は世界で最も深刻な国の一つです。外国の方々は,あんなところによく住んでいるなあ,怖くないのかという思いをもっているようですが,この国に住む私たちは災害に「強い」のもまた事実です。
 「強い」とはどういうことか。
 日本は,防災意識,施設,避難意識・訓練などが比較的高く,整っていることは間違いありません。何より大きな犠牲や被害を乗り越えて,自然災害ですら意義や価値のあるものとして後世につないでいこうとする,またそうすることができる文化や生き方そのものが「強い」のだと考えます。
 様々な人的・物的被害だけでなく,例えば運動会が中止・延期になったり,準備・練習が計画どおり進まなかったりするというような小さなことも含めて,私たち一人ひとりがどのように受け止め,如何に意義や価値のある知識・経験に高めるか,子どもたちに理解させるのか。療育・教育の現場で問われているのはそういうことだと思います。

教科書を学ぶ

 京都大学の本庶先生が本年度のノーベル医学生理学賞に選ばれたニュースは,私たちを大変勇気づけてくれました。先生はあちこちのメディアにひっぱりだこで,大変お忙しそうでした。本庶という珍しい名字も一気に認識されるでしょう。
 インタビューに取り上げられた本庶先生の言葉の中で気になるものがありました。メディア受けする言葉でしたので,何度も放送されていました。
 曰く,教科書の内容が正しいとは限らない。信じてはいけない。いつも疑念を抱き,検証しようとする視点をもつところから科学はスタートする。
 大雑把にまとめるとこのような内容でした。
 これは,教科書なんか大したものではない,有難がる必要も,勉強する必要もないんだ,自分の信じた道を行けばいいんだ,ということと同義ではありません。
 教科書は必ずしも正しいとは言い切れない。
 確かにその通りです。物事に対して批判的な視点をもつことも大切です。しかし,これまでの科学・認識を整理し,まとめ上げ,検定に合格した教科書の内容は,現在の学識の標準です。疑念をもち,検証する,批判する姿勢というのは,あくまで誤解なく教科書の内容を理解し,咀嚼しきってこそ立てる地平です。勿論,本庶先生はそれを当然の前提として仰っているのでしょうが,言葉は切り取り方次第でどのようにでも独り歩きをしますし,時の人や有名人の言葉は大きな影響力をもちます。私たち受け取る側の人間はよくよく注意しなければなりません。
 教科書の内容をきちんと読まずに批判し,拒絶することは,科学的に正しい姿勢であるとは言えません。批判も評価も相手を正しく認識するところから始まります。私たちはまず,教科書の内容に向き合い,正しく理解できる人間を育てなければなりません。検証・批判はそこから始まります。

手伝おうか

 一昨日,無事に引っ越しが終わりました。子どもたちは実にきびきびとよく働いたと思います。小学校の荷物を最後まで運んでくれた中学生。快く力を貸す態度に,頼もしさを感じました。
 その中で輝いた言葉が,「手伝おうか」です。この言葉が沢山飛び交っていました。通り過ぎる友だち同士が挨拶のように声をかけていました。相手を思いやると同時に,自分の出来ることに進んで取り組もうとするいい言葉なのですが,相手の言葉を引き出す疑問型なのが味噌です。本校の子どもたちにとってとても大切なことです。
 「手伝おうか」と声をかけられたら,必ず何らかの返答をすることになります。私たちはそのとき,返答の最初に「ありがとう」を添えています。意識することなく,内面から自然に引き出される「ありがとう」と,相手を思いやる「手伝おうか」。素敵な会話があちこちで聞こえました。
 黙って友だちの荷物の一部を引き取り,一緒に運ぶ姿も多く見かけました。ここには物言わぬ「手伝おうか」と「ありがとう」が弾んでいました。
 少し涼しい風が廊下を渡った午後。
 心温かくなる引っ越しのひとときでした。

花壇

「一億一心」
 第二次大戦前に当時の近衛文麿首相が使った言葉です。この石碑は開校前から敷地内にあり,旧陸軍施設の名残と言えるものです。碑の裏側の銘文は削り取ってあります。大戦前から戦後にかけてのこの国の姿,変遷を映す貴重な資料だと思います。
 この言葉は国民を戦争に駆り立てるために使われた経緯もあり,強い負のイメージがあります。しかし,言葉自体に罪があるわけではありません。言葉を遣うのは人間です。
 心をひとつにする,共通の価値観や目的意識をもって物事に取り組む,そのこと自体はとても大切なことです。

 この石碑を取り囲む花壇は,石碑同様かなり長い間放置されていましたが,業務員のみなさんが綺麗に整えてくれました。大きな石や煉瓦も数多く埋まっており,なかなかの重労働でした。
 石碑の変遷や言葉の意味を考えることが出来るよう,沢山の花で回りを飾りたいものです。

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引越

 土砂災害などの影響で,予定より1ヵ月以上遅れてやっとプレハブ校舎が完成しました。工事関係者のみなさんは,土・日・祝日に作業してくださったこともありました。ありがとうございました。
 今日は児童・生徒と教職員で引っ越しです。プレハブ建設にご尽力いただいた関係者の働きや思いを噛みしめながら,出来るだけ現状を維持できるよう,大切に大切に使いたいと思います。

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「まだ駄目だ」

「もう駄目だ。」
「まだ駄目だ。」
 同じように駄目なんですが,ふたつの言葉には大きな違いがあります。
 前者は可能性を断ち切ってしまう言葉です。その先はありません。後者には続きがあります。少なくとも可能性に向かって進もうとする意欲や姿勢を感じます。
 これは,今季限りで引退することを決めたカープの新井貴浩選手を評した言葉です。衆知のとおり,彼はどんなに叱られても,どんなに失敗しても,常に「まだ駄目だ。」という姿勢で野球に取り組んでいます。
「不可能を可能にする。」
 誰しもが憧れるスーパーマンのような人間に,才能や能力によることなく「できるまでやり抜く姿勢」によって,誰しもがなれるかもしれない。生き方でそう示してくれた選手だと思います。きっと,「無理です。」「できません。」という言葉を使うことはほとんどないのでしょう。
 まさしく生きた教材です。子どもたちに学んでほしい,手本にしてほしい姿勢です。

蝉の声

 猛暑のせいか,今夏は蝉の声が耳に残らなかったように感じます。
 周知の通り,彼等は長い時間を地中で過ごします。成虫として自由に飛び回り命を謳歌できる時間は数日しかないと言われ,命のはかなさ,懸命に生きる姿勢などのシンボルとして取り上げられることが多いようです(実際は1ヵ月くらい生きるそうですが)。
 彼等が自由に飛び回る時間は,実は試練なのではないかと考えることがあります。蝉は特別に素早く飛べる生き物でも,硬い甲殻をもっているわけでも,武器をもっているわけでもありません。実際に何度か見たことがありますが,鳥にとっては格好の餌です。彼等にとって,空は敵だらけで非常に危なっかしい空間です。交尾して子孫を残すために,懸命に歌い,飛び回るのが彼等に与えられた「自由」なのです。
 そうした意味で,地中はある程度安全と生命の保障された空間なのではないでしょうか。勿論,土竜などはいるにせよ,鳥類ほどの危険はないでしょう。大きな温度変化も豪雨などの気象変化も受けにくく,むしろ暮らしやすい空間なのかもしれません。彼等は地中で変態を繰り返し,敵だらけの空を生き抜くための力をじっくりと身に付けていくのです。
 子どもたちにとって生き抜くための力を磨く場所は学園であり,学校です。「自分は大勢の人に守られている」という安心感を子どもたち一人ひとりが自覚できるような教育環境を創るために,研鑽を重ねたいと思います。

似島学園創立記念日

 授業再開。久しぶりに全員が似島学園小中学校に揃いました。
 同時に今日は似島学園創立記念日。原爆投下一年後,被爆孤児のために奔走した森芳麿初代園長がこの地に学園を創設して72年が経ちます。日数にして26297日。秒だと22億7206万800秒。その瞬間瞬間に,学園指導員,関係者,本校教職員,そして何より子どもたちと保護者の方々,どれだけの人のどのような思いがこめられ,注がれ,流され,切り取られて来たのでしょう。その蓄積に思いを巡らすことが,これからの進むべき道を少しでも明るくすることにつながると思います。
 記念日というのはそういうことだと考えています。

8月6日

 昭和20年8月6日。
 母は爆心地から1.4km,今の日赤病院あたりで被爆しました。
 校舎の瓦礫から這い出して逃げることができた同級生は,わずか1割ほどだったと聞いています。頭と腕,足に火傷を負い,命からがら比治山に辿り着いたこと,その後収容された広島陸軍被服支廠に叔父が五日市からリヤカーを引いて探しに来てくれたこと,頭にできた大きな血膿を近所の復員兵の方が軍刀で切って出してくださったこと,久しぶりに登校の指示が出て,学校に割り箸を持って集まると,最初の授業は友人のお骨拾いだったことなど,小さな頃から寝物語のように聞かされました。

 聞きながら,私には釈然としない辛い思いしか残りませんでした。
 なぜ母がこんな目に遭わなければならなかったのか。
 しかし,誰が悪かったとか,誰のせいだとか口にすることもなく,語気を荒げたこともなく,母はいつも淡々とその凄まじい出来事を語るだけでした。その代わり,必ず最後に付け加えた言葉があります。
「戦争に勝者も敗者もない。あるのはただ,犠牲者だけなんよ。」
 女学校一年生,市井の一市民として感じた戦争を,ありったけの感情で語った言葉なのだと思います。
 
 長く取り組んだ被爆証言活動が縁で,映画「夕凪の街 桜の国」の端役で出演が決まったとき,「この歳で女優デビューじゃ。」「生きとくもんじゃねぇ。」と喜んで見せてはいましたが,果たしてどんな思いで撮影に臨んだのか,映画のテーマにどのように関わろうとしたのか,試写会直前に他界した母から聞く機会は遂にありませんでした。
 
 犠牲者になった先人の方々を思い,今年もこの日を迎えます。
 似島学園小中学校は静かな一日になります。

 合掌。

盆法要

 本校では毎年8月5日に「盆法要」を行います。
 似島には未だに戦時下の軍の施設の遺構が残っています。8月6日の原爆投下後,施設の一部は被爆者の収容所になりました。ここで亡くなられた被爆者の方も大勢いらっしゃいます。地下に眠ったままの遺骨も多くあると聞いています。
 今日一日,似島学園・似島学園小中学校合同の行事として,清掃活動,灯籠づくり,盆法要,灯籠流しといった活動に取り組みます。
 戦争で,殊に被爆によって無念の最期を遂げられた多くの先達の御霊に,心閑かに思いを馳せて過ごす一日にしたいと考えています。

プレハブ建設中

 経験のない豪雨の後は,経験のない猛暑が続きます。広島市内の公立学校で唯一教室にエアコンが設置されていない本校では,子どもたちも教職員も大汗ふきふき,暑さに負けそうになりながら夏休みを迎えました。
 同時に,職員室棟の裏で,豪雨被害の影響で遅れていたプレハブ校舎の建設が始まり,待望の耐震工事,エアコン設置への見通しが立ちそうです。
 全国各地で熱中症による事故の情報が飛び交う中,工事関係者の方々はプレハブ建設作業に熱心に取り組んでいます。島には陽射しを遮るものがないせいか転勤してきたばかりの私には特に暑く感じるのですが,彼らは黙々と,長時間ヘルメット姿で汗にまみれています。
 工事関係者のみなさんは,この酷暑の中,どうして過酷な作業を続けることができるのでしょうか。災害ボランティアは熱中症防止のため,10〜15分交替で作業に取り組むことになっています。午後の1時間足らずの職員作業で汗だくになり,疲労困憊になる我が身を情けなく思います。その横で工事関係者のみなさんは延々と作業を続けています。
 建設会社を経営する知人に聞いたところ,休憩の回数は少ないですが,休むときは日陰で充分長く休みますよ,最近は作業着に簡易クーラーのようなものが付いているものもあるのですよ,と返答をいただきました。しかし,何よりも「慣れ」なのだそうです。工事関係者のみなさんは,毎日屋外や熱のこもる屋内で過酷な肉体労働に勤しんでいらっしゃいます。自然に,発汗による体温調節などの身体機能や精神的な耐性が常人よりも鍛えられています。同時に大切なのは,無理をしないことだそうです。この意識が高いこと,実行できることは,作業に見通しをもった上で,自分の体を完全に把握できているということです。
 学校教育活動の中には,体育科の学習や健康診断,運動会の取組,クラブ活動など,自分の体を鍛え,自分の体を知る機会がたくさんあります。子どもの安全について万全を期すのは当然のことですが,教育活動の中で「知・徳・体」の面から子どもたちの力を鍛えていかなければならないと思いました。
 

家庭学習の意義

 夏休みに学ぶことは何か。
 どこの学校でも,たくさんの家庭学習課題が用意されていると思います。学習内容そのものも大切だとは思いますが,家庭学習への取り組みを通して,自律した生活リズムを鍛えることこそ重要である,と私は考えています。
 家庭学習の意義は,自分自身の意志の強さで自分自身を学習の場に向かう習慣をつくることにある。少なくとも私は,担任としてそのように指導してきました。
 正直,誰だって家庭学習は敬遠したい。学習活動とは,大きな達成感と強い自己抑制力がないと生まれない活動です。大きな達成感と強い自己抑制力は,いずれも学校生活の中で育くむべきものですが,家庭学習の場を活用することでも効果的に身に付けることができます。
 休みたい,手を抜きたい,遊びたいという欲求をコントロールし,決まった時間に学習環境に身を置く訓練をする。何でもいいから「テキトー」に済ませて家庭学習を終わらせたい,という感情を抑え,丁寧に取り組む。確かめをする。この繰り返しが,自己管理能力の育成に大きく寄与することは間違いないでしょう。
 本校の子どもたちは学園での家庭学習になりますから,少し様子は違いますが,それでも自分で自分を鍛えるチャンスであるこの長い期間を,それぞれが有効に活用してほしいと思います。

責任を果たす

 19日の朝,市営桟橋で普段見ない船にたくさんの高校生が乗っていました。Tシャツの背中に「HIROSHO」の文字。なるほど,高校野球広島県大会に参加する広島商業高校野球部の一行か,と合点がゆきました。調べてみると,呉二河球場の第1試合。西日本豪雨災害の影響で,復旧したばかりの国道31号線は大渋滞が予想されるので,時間の計算できる船便をチャーターして呉港から移動するのだろうと予想しました。
 何としても試合開始に間に合わせるために,あらゆる手段を勘案し,万全の体制で今朝を迎えたのでしょう。広商野球部の選手,関係者の皆さんは,相当な緊張感をもって今日を迎えたはずです。彼らの健闘を祈ると同時に,「試合開始に間に合う」という結果を責任もって果たそうとする姿勢は,私たち社会人にこそ求められるものだと,改めて気もちが引き締まりました。
 職業に就いている私たち社会人は,常に何らかの結果を社会に問われているのですから。最善を尽くしただけでは不十分です。結果がついてきてこそ,最善を尽くした過程が認められる。
 社会人としての責任とはそういうことだと思います。

手を伸ばす

 水泳記録会が行われました。
 子どもたちには,「プール水を見なさい。眩しい日の光を受けて,きらきらと輝いている水に皆さんは今から挑戦します。自分のできる限りの力を出し切りなさい。そのために,大きな声を出して返事をし,身体の力を起こすこと。大きな声で応援をして支え合い,友だちの力を引き出すこと。この2つを意識しなさい。」と話しました。
 すいすい泳いで自分の記録を縮める子,やっとできるようになった息継ぎを駆使して何とかゴールに辿り着く子,一人ひとりに様々な表情のあった記録会でした。
 印象的だったのは,何度も止まりそうになりながら,大きな声援を背に受けて,ゴールをつかもうとして懸命に手を伸ばす子の姿でした。決して泳ぐのが得意な子ではないのですが,力を使い果たし,教員の手を借りてプールサイドに上がったその子は,照れたような満足気な笑顔を浮かべていました。
 目標に向かって,精一杯手を伸ばす。これこそ,正に「一生懸命」の姿です。

 子どもたちは間違いなく,友だちの応援のお蔭で普段以上の力を出しました。
 子どもたちは間違いなく,自分の力を出し切りました。

 素晴らしい。全員「はなまる」です。
 

ここで暮らすということ

 五月雨,霧雨,通り雨,驟雨,氷雨,小糠雨,春雨,夕立,天気雨,雷雨に小雨,時雨に村雨,狐の嫁入り,鬼洗い……
 日本には様々な雨の呼び方があります。私たちの祖先はこんなにも雨を受け入れ,あるいは愛し,美しく表現してきたのに,このたびの豪雨はあまりにも私たちに厳しい。
 似島もあちこちで道路が寸断され,畑や墓も流され,一時は電話・FAX・LANが不通となるなど,元の通りの姿を取り戻すにはかなりの時間がかかりそうです。

 被災地の町の電気屋さんが,店舗の土砂撤去もそっちのけで地域の家庭を回り,無償で電気点検・修理を行っている姿をテレビで拝見しました。店舗の原状回復は後回しなのですか,と記者が尋ねると,店主は次のような言葉で口にされました。
「うちの店はここで暮らしているのですから。」
 この言葉には,今,この町の人が困っているのであれば,それは他人事ではない,自分の店は,町の人々と一緒にこそあるのだ,という気概があります。この店主は,小さい頃からこの町で育ててもらった思いも強いようです。「町の電気屋」としてできることがあるなら,まずそれに精一杯取り組もうという思いを感じました。地に足の着いた,本物のプロフェッショナルです。

 「ボランティア」とは,「共に生きる」「共に歩む」という思いと行動なのだと改めて気づかされました。

見た目

 人は見た目ではない,中身が大切なんだ。
 よく言われる言葉です。先日の「星の王子さま」の件でも,「本当に大切なものは目には見えない。」という言葉を紹介しました。
 しかし,見た目は非常に大切です。社会人として一般的に信頼に足る見た目というものはあります。例えば,学校長が真っ赤なシャツやスーツで校長室にいることで,訪問者の第一印象として何を感じるでしょう。
 中学校3年生が職場体験に参ります。中学生に意識できて,社会人として身に付けてほしいこと,それはまず,見た目に信頼される振る舞い,格好ができる,ということです。
 服装,姿勢,挨拶。
 この三点に注目してまわりの大人を観察してほしい。真似るべきところを見つけて,真似てほしい。
 出発式ではそういう話をしました。
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広島市立似島学園小・中学校
住所:広島県広島市南区似島町長谷1487
TEL:082-259-2311