最新更新日:2024/04/18
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広島市立幼稚園19園の各HPは、右側のリンク「広島市立幼稚園の紹介」から御覧になれます。

平和公園へ( 基町幼稚園)

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 「中央公園は、くすのきばっかり!」
 「グリーンアリーナがある!みんな行ったところだね!」
 「ホテルとかいっぱいあるとこにでるよ!」
 「そうよねー!ぼく、わかっとるよ!」 
 2月の終わり、卒園・進級を前にして、幼稚園近くの中央公園から地下道を通って、皆で折った折り鶴を供えに、平和公園へ行きました。
 年長・年中組は、お話をしながら余裕で歩きました。年少組も、歩けば体がほかほかとしてジャンパーを脱ぎました。無事、平和公園に着き、先ず原爆慰霊碑にお参りし、原爆慰霊碑から見える原爆ドームの先に基町幼稚園があることを話しました。一直線上に配置されている広島平和記念資料館と原爆慰霊碑、原爆ドーム。それを「平和の軸線」と呼ぶことを子どもたちに覚えてもらいたいと思います。そして、折り鶴を「原爆の子の像」にお供えしました。全国から寄せられるたくさんの折り鶴に、子どもたちは目を閉じて手を合わせることが出来ました。
 ここで、年長組は年中・年少組とお別れし、広島平和記念資料館へ向かいました。絵本「伸ちゃんのさんりんしゃ」の三輪車にあうためです。
 資料館には、平日でもたくさんの人が見学に訪れています。「伸ちゃんのさんりんしゃ」をめざして館内を進み、子どもたちはケースに入れられた三輪車の前で自然に立ち止まり、絵本の話が現実であることに向き合いました。三輪車が大好きだった伸一ちゃんは、今の年少組と同じ年齢で3歳11か月だったこと。爆心地から1500メートル離れた東白島町の家の前で遊んでいた時に、ピカッと光り、伸一ちゃんと三輪車は焼かれてしまい、伸一ちゃんはその夜に亡くなったことを話しました。
 子どもたちが三輪車の前に座っていると、ガイドのボランティアの方が「どこから来たの?」と声をかけてくださいました。「小学校6年生くらいになるとよくわかるようになるから、また来てね」と言われた後、原爆は熱線と爆風と放射線の被害をもたらし、爆風は早くて強くて逃げることは出来ないと、そのすさまじさを映像で見せてくださいました。小さな子どもたちにも話しておこうと思ってもらったのでしょうか。家がなぎ倒されていく様子を見て「津波みたい」とつぶやく声が聞こえ、東日本大震災の映像が子どもたちの心に残っていることに驚きました。そして、ボランティアさんが「折り鶴が折れる?」と子どもたちにたずねられ、2歳で原爆に遭い12歳で白血病でなくなった佐々木禎子さんが残した折り鶴を見せてくださいました。鶴を千羽折れば病気が治ると信じて、生きたいという願いが1300以上の折り鶴となりました。針の先で折ったという小さな小さな鶴をじっと見る子どもたち。折り紙で折った経験があるからそのたいへんさ、難しさがわかるのでしょうか。禎子さんを間近に感じたのでしょうか。悲しそうな目をして、黙って見ていました。感じた重苦しさは、子どもたちも大人も同じであったと思います。
資料館を出ると、川土手の桜の並木がぼんやりと桜色に見えました。Rちゃんは「桜のピンクみたい。桜がついとるみたい。」と言いました。この平和が世界中のものでありますように。永遠でありますように。
 年長組は、基町幼稚園で三年間、平和学習を重ねてきました。原爆は昔の出来事ではなく東日本大震災を経て現実の問題となりました。大きくなり、平和について考える時、♪アオギリのうた♪が子どもたちの心に響くと信じております。

写真 上  「平和の軸線」について話を聞いています。原爆慰霊碑の奥に、
      原爆ドームが見えています。

写真 中  原爆慰霊碑の前で、黙祷をしました。

写真 下  原爆の子の像に折鶴を捧げました。  


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広島市立基町幼稚園
住所:広島県広島市中区基町20-3
TEL:082-228-3888