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最新更新日:2025/10/24 |
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R07.08.06 被ばくピアノ紹介
被爆ピアノが傷ついてもなお頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうと思えたのかもしれません。 被爆ピアノは平和を伝えるだけでなく、命の尊さも伝えていることがわかりました。 R07.08.06 被ばくピアノ紹介
ですが心を動かす力があります。 それによりなにを考え、なにをうけとるかは一人一人ちがいます。 被爆ピアノは自分が思う平和を見つけるきっかけになります。 それぞれが平和への思いを持った時、私たちで平和を作ることができます。 今、私たちに何ができるでしょうか。 戦争の過去を知り事実を受け止めること、平和とは何か考えること、身近な人に平和の大切さを伝えることなど、たくさんあります。 R07.08.06 被ばくピアノ紹介
私たち執行部は被爆ピアノの演奏会に参加しました。 演奏会終了後, 被爆ピアノの修復を行われている調律師の矢川さん、 広島市観光ボランティアガイド協会事務局の立川さんにお話を伺いました。 そもそも、被爆ピアノとは、1945年8月6日広島、8月9日長崎で爆心地より約3キロ以内で原爆の爆風、熱線、放射能等の被害を受けたピアノのことを言います。 今回演奏を聞いたピアノは、広島市中区千田町、爆心地から1.8キロの位置で被爆したピアノです。 爆風によるガラス片の傷がたくさんついていましたが、弦などは被爆当時のものだそうです。 今から,被爆ピアノの演奏「点描の唄」を聴いてください。 R07.08.06 考える一日
R07.08.06 考える一日
R07.08.06 考える一日
R07.08.06 考える一日
R07.08.06 考える一日
R07.08.06 考える一日
観て聴いていました R07.08.06 考える一日
こども代表の「平和への誓い」を 視聴しました R07.08.06 考える一日
R07.08.06 黙祷
「黙祷」 R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
今から80年前。いつもと変わらないよく晴れた朝でした。 1945年8月6日。午前8時15分。 「ピカ・ドーン」。大きな音と爆風が広島の街を襲いました。 瞬きする間もなく人々の幸せが奪われ、一発の爆弾が賑やかな広島を地獄へと変えてしまったのです。 皆さんはこの時の広島の街を想像できますか? 建物は倒壊し、水を求める人々、人間かどうかもわからない姿、これだけではありません。 原爆が投下されて何年もたった今でも、放射能によって苦しむ人々がたくさんいます。 この時の広島を今を生きる私たちが語り継いでいかなければいけないのです。 今年度、吉島中学校は平和教育推進研究校に指定され、今まで以上に平和学習に力を入れています。 今年、被爆80年を迎えます。 年々被爆者の数は減っており、被爆者の方から直接お話を聴ける機会が少なくなっています。 したがって、私たちが伝承者となり、平和への思いを繋げていきたいのです。 7月に行われた平和の取り組み。吉島中学校生徒の多くに共通していた願い。それは・・・ 争い・核兵器・差別がなくなること。世界中の人々が幸せを分かち合え当たり前を過ごせること。 毎日友達が隣にいること。ご飯を食べられること。明日の約束ができること。 こんな小さな幸せこそ平和なのではないでしょうか。 この小さな平和を大切にしていくことが、大きな平和につながる第一歩だと思います。 私達は、誓います。小さな平和を大切にしていくことを。 あの日の事実をしっかりと受け止め後世に残していくことを。 令和7年8月6日 吉島中学校生徒会 R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
R07.08.06 吉島中学校 平和宣言
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広島市立吉島中学校
住所:広島県広島市中区吉島東三丁目1-1 TEL:082-241-3278 |