最新更新日:2025/06/24
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学校教育目標「お互いの幸福のため、見通しを立てて自律的に行動できる生徒の育成」

R06.08.07 ひまわり

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部活動を終えて下校中の

  1年生に

 モデルになってもらいました

    ありがとう

R06.08.07 ひまわり

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校内のひまわりが

 暑い中

  咲いてくれました

水の事故に気を付けましょう

夏休みに入り、広島でも水による悲しい事故が起きてしましました。
本日全校生徒へ、川や海へは中学生だけでは遊ばないように注意を行いました。ご家庭でも、注意喚起をよろしくお願いいたします。
また、下記のリンクは広島市が出されている「水の事故にきをつけましょう」を掲載していますので、参考にしてください。

https://www.google.com/url?client=internal-elem...

R06.08.06 「平和・希望」

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吉島中学校 

 今日の

 被ばく樹木2世

  被ばくアオギリ


   〜平和・希望〜

 

R06.08.06 「平和を考えた一日」

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〜生徒の声〜

戦争は何も生まない。

ただ、誰かの幸せをうばうだけ。

戦争に「協力」するということは、

誰かの命や幸せ、

明日を「うばう」こと、

という考えを

忘れないようにしたい。


R06.08.06 「平和とは・・・」

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今日は

79回目の広島原爆の日

朝から

 平和について

   考える一日となりました

R06.08.06 「知ろう」

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令和6年度8月6日 

平和学習

  「知ろう」


今日は平和について考える日です。
このセクションのテーマは「知ろう」
「知ること」の大切さ、それが平和につながることについて考えていきましょう。

ところで、この写真の木、みなさん見たことがあると思います。
どこにあるか、何の木か知っていますか。

南校舎南側、つまり学校と吉島病院の間に植えられています。
木の種類は、アオギリです。
この木は、普通の木とはちょっと違うことを皆さん知っていますか?
話が変わりますが、皆さんこのスライドの2本の木には共通点があります。
共通点は何でしょうか?
木の種類は違います。
右側の木は、プラタナスといい、天満小学校にあります。
左側の木は、クスノキといい、平和大通りの白神社前にあります。
共通点は、どちらも被爆樹木ということです。
みなさん「被爆樹木」とはどのような木のことを示すのか知っていますか?
被爆樹木とは、爆心地からおおむね2km以内で被爆し、原子爆弾の放射線や爆風、熱線を耐え抜き、今も生き続ける樹木のことです。
現在、広島市は約160本の木々たちを被爆樹木として登録しています。
被爆樹木を紹介する広島市のサイトもあります。
スライドに示しているように、平和公園を中心に2km以内にこのように約160本生息しています。

なぜ、被爆樹木は注目されているのでしょうか?
広島市では、多くの樹木が原爆で焼き尽くされました。
75年間は草木も育たないと考えられた状況下で、原爆投下からわずか数か月後に見られた、焼け焦げたり折れてしまったりした樹木からの新しい芽吹きは人びとを強く勇気づけました。

ところで、吉島中学校区の被爆樹木はどこにあるのか知っていますか。
平和公園外でも、多くの被爆樹木が学区にあります。
写真は、被爆樹木の「くすのき」です。どこにあるか知っていますか。
ヒントは、クスノキと一緒にうつっている建物です。
この場所を違う角度から撮った写真です。
どこかわかりましたか?
中島小学校区の「吉島稲生神社」です。
この吉島稲生神社には、実は4種類4本の被爆樹木が登録されています。
まず、入り口に「やぶつばき」
階段を上がって、すぐ右側に「くろまつ」
そして社の後方に「くすのき」
一番奥側に「えのき」
広くない境内ですが、歴史を感じる被爆樹木が境内を見守っているという感じがしました。

つぎは、この場所です。
どこかわかりましたか?
住吉神社の境内にお社の後方、川側に「くろまつ」があります。
そして最後は、この場所です。
浄西寺の入り口付近にある「いちょう」です。
機会があれば、是非直接確認してみてください。

しかし、この大切な被爆樹木が切り倒されました。
昨年、広島県が発注した工事で被爆樹木1本を誤って伐採したことがわかりました。
伐採されたのは東区牛田本町にあるシダレヤナギです。爆心地から約2キロ離れたこの場所で被爆しました。

昨年の、3月3日、県が発注した工事を行う際他の樹木と一緒に誤って伐採したということです。
その後、広島市民から情報提供があり判明しました。
1年間、再生するか様子を見ていましたが、樹木医がこの木を「枯死」と診断し、被爆樹木の登録から抹消されることが分かりました。
被爆樹木、大切な木であると知っていれば、伐採されることはなかったと思われます。

「知らない」ということは、大切なものを失うことにつながります。
つまり、知ることは、大切なものを守ることにつながります。

被爆樹木を広める活動もあります。
平和のシンボルとしても知られる平和公園のアオギリは被爆樹木の中で一番有名な樹木です。
アオギリは生命力がとても強く、被爆した翌年の1946年には新しい芽をふきかえしています。
このアオギリの被爆二世の苗木が平和のシンボルとして、1992年に広島市内の小学校へ植樹されました。
吉島中学校のあおぎりもこの時期に植樹されました。
写真を通して、被爆樹木を世界に伝える活動をされておられる写真家の藤原隆雄さん。
今年、本校に被爆樹木の写真集「to Live」を寄贈してくださいました。
藤原さんは、被爆樹木を自分の足で巡り、2年半かけて一万枚撮影されました。
何度も通い、その木の前に立つと一本一本の木々に刻まれている記憶が伝わってくるそうです。
吉島稲荷神社の被爆樹木のヤブツバキです。
普通ツバキの葉は、緑色ですが、ここのツバキの葉は、なぜか緋色が混ざっています。
放射線が関係しているのではないだろうか地域の方から教えていただきました。
写真を撮影していると、木を守り続けている人との出会いがあり、79年の歴史やドラマを遭遇することもあるそうです。
あの日から79年の月日が流れました。
被爆樹木も命あるもの、木の声を聴くことができる時間は限られています。
今の被爆樹木のことを知ってもらい、あと10年でどう変わるのか多くの人に見届けてほしいとおっしゃっていました。

藤原さんが撮影された、吉島稲荷神社の被爆樹木です。
生命力に満ち溢れており、かつ神秘的な写真です。
「平和とは何か」「平和のためにすることは何か」そう問いかけているのでしょうか。
藤原さんのメッセージです。
被爆樹木に会いに行ってみましょう。

被爆樹木が世界に伝える未来へのメッセージ

「平和・希望」

わたしたちは、被爆樹木のメッセージを感じ、受け止めていきましょう。

「知ろう」

知らないことは失うことにつながります。

平和のために、私たちは「知ること」を拒まないようにしましょう。


R06.08.06 「知ろう」

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今年度

吉島中学校に

1冊の本

「to Live」を

 寄贈していただきました

被ばく樹木が

吉島中学校区の中にも

 こんなにたくさんあるのだと

知ることができました

 きっかけづくりをいただき

ありがとうございました

 

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「知っていますか?」 

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生徒会執行部より

 「知ろう」

被ばく樹木の紹介

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黒板には

担任の先生より

 メッセージ

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こども代表

 「平和への誓い」

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平和記念式典を

 テレビで視聴しました

「平和宣言」

R06.08.06 「平和記念式典」

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8時15分

  黙祷

どんな気持ちで黙祷しましたか

〜核兵器のない

  平和な世界になりますように〜

 〜みんなが笑顔でいられますように〜

 
平和公園を学区に持つ吉中生として

 何ができるか・・・

特に今日は

 平和について考えた

  一日となりましたね

R06.08.06 「平和の誓い」

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吉島中学校 生徒会

 「平和の誓い」
 
今から79年前

 1945年8月6日

 よく晴れたいつもと変わらない朝でした。午前8月時15分、一発の原子爆弾により、強烈な光と同時に、熱風が広島の街を襲いました。このたった一発で、約14万人の命と笑顔、当たり前に過ごしていた幸せな日々が奪われました。広島の街は、火の海となり、建物は崩壊し「75年間は草木も生えぬ」と言われていました。みなさんは、この時の広島の街を想像することができますか。今の平和な日常を守っていくために、私たちにできることはなんでしょうか。

 私たちは、これまで多くの平和学習を重ね、平和について考えてきました。そこで、戦争や原爆でどれだけ多くの人が悲しみ、辛い思いをしたのか、そして、平和な日常がどれだけ幸せであるのかを知ることができました。現在、被爆者の方の平均年齢が上がっており、当時のことを伝えてくださる方が減っています。だからこそ、私たちには世界中の人や次の世代へと伝えていく義務があるのです。

 7月の平和の取組で挙げてもらった、みんなの「願い」。
それは、一人一人が安心して暮らせる世界。誰もが嫌な気持ちをせずに生きていける世界。笑顔があふれる世界。相手の気持ちを尊重する世界。戦争や差別・核兵器がない世界。

「友達」「家族」「笑顔」「自然」など、自分たちの身の回りにある大切なものを守っていくためにできること、それは、一人一人が相手のことを思いやり、認め合うことです。そんな、一人一人の相手に対する優しい想いが、いじめや差別、争いのない平和な世界への第一歩へと繋がっていくはずです。
 
 世界には、現在でも内戦が続いている国があり、苦しんでいる人々が大勢います。世界中のみんなが笑顔で暮らすことができ、明日が来ることに、誰もが希望を持てる世界を目指して私たちは誓います。一人一人が相手を思いやり、認め合い、平和な世界を守っていくことを。過去の出来事を風化させないよう、後世へと語り継ぐことを。

 令和6年8月6日 
  吉島中学校生徒会

R06.08.06 「平和集会」

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平和集会

生徒会執行部より

碑前祭に参加して
「折り鶴献納報告」 


 私たちは昨日、第43回「原爆犠牲ヒロシマの碑」碑前祭に生徒会執行部で参加してきました。

 ヒロシマの碑は、元安川沿いの、星マークのついているところにあります。原爆犠牲ヒロシマの碑は、1982年に広島の高校生たちの呼びかけによって建てられた碑です。上部には、犠牲者の魂が天に昇っていく様子を表したブロンズ像が置かれ、碑の表には被爆した瓦がはめ込まれています。この瓦は、当時の広島の高校生たちが原爆ドームそばの川の底から掘り出したものです。碑前祭では、愉快バンド金管五重奏の演奏や、被爆体験者の方のお話、小学校、中学校、高等学校の各代表者1名による誓いのことば、折り鶴献納が行われました。

 また被爆体験者の方が、79年前の8月6日の朝におきたことを実体験とともに語ってくれました。また原爆が投下された後の街や人々の様子について見たまま、ありのままを話してくれました。そして、みなさんがつくり折り鶴作成ボランティアで完成させた、折り鶴を献納しました。

 みなさんの思いがこもった千羽鶴を平和の思いとともに届けることができました。被爆者の方のお話では、戦争で多くの命を奪い、たくさんの人を苦しめてきたということを聞きました。広島に生まれ、育った私たちに課せられた使命として、2度とこのようなことが起こらないように、次世代、そして広島以外の地域にも被爆者の思いを伝えていきましょう。

 以上で碑前祭の報告を終わります。

R06.08.06 表彰

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中国大会でも

 吉中の奏でる

  一音一音

響き渡らせてくださいね

  応援しています
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広島市立吉島中学校
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