最新更新日:2025/06/24
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 PEACE ORIZURU SCHOOL HIROSHIMA NOBORI 「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの母校

大きいとうがん登場!

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 給食でとうがんを使いました。とうがんは夏が旬の野菜ですが,漢字で冬瓜と書きます。これは,夏にとれて涼しい所においておくと,冬まで食べられる事からきています。ラクビーボールよりひとまわり大きいくらいの形で,皮は緑色,中は白い色をしています。皮は分厚くむきます。とうがんは,スイカ(西瓜)や,きゅうり(胡瓜)と一緒の瓜の仲間です。熱を加えると透明になりトロリとしてきます。給食室にきたとうがんは,長さ40cm,重さ7.8kgもあるとても大きい物でした。
 児童は,お汁の中のとうがんをさがしながら,おいしそうに食べていました。

5年生 平和学習講座

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 9月6日(水)平和記念資料館の方を講師にお招きし平和学習をしました。今まで実際に被爆された方の体験談を聞いたり,自分たちで調べ学習をしたりすることを通して,核兵器の悲惨さや恐ろしさを学んできました。今回の講座では,資料館の方がより厳選した資料や具体物を使って,8月6日に起きたことや現在の世界を取り巻く核兵器の状況などについて説明してくださいました。改めて広島の被爆の実相を知るよい機会となりました。

給食が始まりました

 夏休みが終わり,9月になって給食が始まりました。調理員は,久しぶりの調理に少しだけ緊張しながら作っていました。児童もまた同じ気持ちだったのではないでしょうか。1日目のメニューは,肉じゃがと野菜炒めでした。食欲の秋,味覚の秋。これからおいしい食べ物が給食にでてきます。給食を楽しみにしてほしいです。
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3年生 浅野間先生のお話をきく会 〜昔の幟町小学校について〜

 8月29日火曜日,総合的な学習の時間に,浅野間榮子先生をお迎えして,幟町小学校についてお話をききました。ねらいは,昔の幟町小学校を知り,住んでいる地域について興味を持つことです。
戦時中の幟町小学校では,空襲警報が鳴ると家まで走って集団下校したこと,学童疎開先での生活,戦後校舎がなかった時の授業の様子,新しい校舎が建てられた後の卒業式の様子など,子どもたちにわかりやすく話していただきました。
 子どもたちは,戦時中の学校生活に興味を持ち,地域の様子について調べたいという気持ちを高めることができました。

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こどもエコチャレンジ結果

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こどもエコチャレンジに430名の方にご協力いただきました。
皆様のご協力に感謝いたします。
ありがとうございました。

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広島市立幟町小学校
住所:広島県広島市中区幟町3-10
TEL:082-221-3013