最新更新日:2024/09/26 | |
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第120回卒業証書授与式「おめでとうございます」保護者の皆様には、時間を短縮して行った、今回の卒業証書授与式にご理解・ご協力をいただき、誠にありがとうございました。 おかげをもちまして、無事、卒業証書授与式を行うことができました。 贈る言葉では次のような話をしました。 【学校長贈る言葉】 やわらかな日差しに、桜のつぼみもほころび始め、春の訪れが感じられる季節となりました。 本年度は、新型コロナウイルス感染症対策のため、例年とは違う形の卒業証書授与式となりました。来賓の皆様や在校生の出席も叶いませんでしたが、こうして、保護者の皆様のご出席をいただき、第120回卒業証書授与式を挙行できますことを、心より感謝申し上げます。 来賓の皆様から、卒業生、そして保護者の皆様へお祝いの気持ちを伝えてくださいとのお言葉を賜っております。 先程、卒業生の皆さん一人一人に卒業証書を授与しました。皆さんのしっかりとした態度、はっきりとした返事、私はとても嬉しく、誇りに思います。 小学校の全課程を修了し、江波小学校を旅立つ皆さん、卒業おめでとう。 この卒業証書には、六年間の皆さんの努力とともに、これまで温かく見守ってくださったご家族や地域の方々、教え導いてくださった先生方の深い愛情が込められています。 また、この卒業証書は、平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられた、折り鶴の再生紙で作られた卒業証書です。広島で育ち、広島の小学校で学び成長した皆さんには、この「折り鶴再生紙」の卒業証書に込められた、多くの人々の平和への願いをしっかり受け止めてほしいと思います。 卒業生の皆さん、皆さんは、この学校で、友達と学び合い、認め合い、高め合い、そして、一人一人が素晴らしい力を身に付けながら日々努力してきました。 最高学年となったこの1年間は、新型コロナウイルス感染症対策を取りながらの学校生活となりました。期待に胸を膨らませて6年生となりましたが、4月16日から臨時休校となり、分散登校を経て、学校が再開されたのは6月でした。3密を避け、人との距離も取り、できないことも多く、様々な制約のある学校生活となりました。マスクをした顔しか見ることができない1年間でした。 そんな中でも皆さんは、たくさんのことを我慢しながらも、前向きな気持ちをもち、自分たちに今できることは何かを常に考え、学校のリーダーとして、運動会、クラブ活動、委員会活動をはじめ、様々な場面で、先頭に立って下級生をリードする、頼もしく、そして優しい最上級生でした。 また、日々の授業や生活の中での友達同士の関りもとても優しく、仲間思いでした。誰から見ても、お手本である素晴らしい6年生でした。 皆さんの言動、そして、身をもって示してくれた、江波小学校の最上級生としての姿は、この卒業式には参加できませんでしたが、5年生のみなさんがしっかりと受け継いでくれるはずです。 さて、みなさんが生きていく令和の時代は、どのような時代になるのでしょうか。令和という元号には、「一人一人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そんな日本でありたい」という願いが込められています。一人一人が大切にされ、自分の願いが叶い、自分らしく幸せに生きることができる時代になることを願って、これから2つのことを話します。 このお話は、3月の初めに、私が皆さんの教室に行って話したお話です。思い出しながら聞いてください。 1つ目の話は、「寛容」の話です。寛容とは、「人を受け入れる」「人を許す」という意味です。 中国新聞の投稿欄に載っていた、小学校3年生の男の子をもつ43歳の母親のお話です。このような内容でした。 「家族でマツダスタジアムにカープ観戦に行ったとき、小学校3年生の息子がうどんを食べ、器を返却する際、トレーごとひっくり返して、知らない人の服に汁がかかったと半泣きで戻ってきました。」と言う話です。さて、服に汁をかけてしまってどうなったのでしょうか。ひどく怒られたのでしょうか。クリーニング代を請求されたのでしょうか。続きの話です。 「息子に聞くと、汁がかかったその人が『器もトレーも片付けておくからいいよ。』と言ってくださったそうです。すぐに息子を連れてお詫びに行くと、その人は『大丈夫だよ。僕はちゃんとお母さんに報告する賢い子だな』と言ってくださいました。そして、その前の席に座っていた人も一緒に掃除をしてくださったと聞き、お礼を言うとその方も『とんでもない。カープ勝つといいね。一緒に応援しようね。』と笑顔で息子に声を掛けてくださいました。息子も笑顔になり、楽しく観戦できました。人の温かさを感じる事のできた、素敵な日になりました。」というお話です。 服に汁を掛けられた観客の人が許してくれなかったらどうなったのでしょうか。カープの試合を見に来ていたこの子どもや家族は悲しい一日になったかもしれません。楽しいはずの一日が、とても悲しい一日になったかもしれません。しかし、この人の優しい言葉で、人の温かさを感じる事のできた、素敵な一日になったのです。 では、なぜこの人は、汁をこぼした子どもを許すことができたのでしょうか。この人には「寛容」な心があったのではないかと思います。「寛容」とは先程も言いましたが「人を許す」「人を受け入れる」という意味です。「寛容」な心をもち、人の過ちを許すことができるということは、自分も過ちを犯すことがあると自覚しているからであり、自分に対して「謙虚」だからこそ他の人に対して「寛容」になることができるのではないかと私は思います。 2つ目のお話です。「人を信じる」というお話です。女優で、タレントの芦田愛菜さんは、「人を信じる」ということについて、次のように言っています。 「その人のことを信じる」という言葉を使うことがあります。それがどういう意味なんだろうと考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな」と思う。 信じていた人が、自分と違う思いをもった時、人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められる、「揺るがない自分がいる」ということが「信じるということなのかな」と芦田愛菜さんは言っています。 芦田愛菜さんが言っていることを私なりに解釈をすると、理想の人間、完全な人間はいない。その人の、これまで見えなかった部分、つまり、よいところや長所だけでなく、短所も含めて、その人を理解することが大切なことであり、丸ごと受け入れることができる「揺るがない自分がいる」ということが人を信じるということだと芦田愛菜さんは言っているのではないかと思います。 先ほど、「令和」に込められた意味を話しました。一人一人が大切にされ、自分の願いが叶い、自分らしく幸せに生きることができる時代にするためには、人を丸ごと受け入れて、人に優しい「寛容な社会」へ変えていく必要があります。 今、ここにいる卒業生の皆さんは、このコロナ禍で苦しい時期を一緒に過ごし、お互いに優しく支え合った仲間です。卒業後も、一緒に過ごした仲間を大切にし、「人を丸ごと受け入れて」人に優しい「寛容な社会」を作ってほしいと思います。 保護者の皆さま、本日は、お子さまのご卒業、誠におめでとうございます。長きに渡って、本校の教育にご理解、ご協力いただきましたことに、深く感謝申し上げます。手塩にかけて育てられたお子様の、今日の晴れ姿に、6年前の入学の日の幼い姿も重なり、お喜びや感激もひとしおのことと拝察いたします。 これまでの6年間、様々なことがあったと思います。どのような時にも、保護者の皆様は、必ず子どもの味方になり、励ましていただいたのではないかと思います。この安心感ほど、子ども達に勇気を与えてくれるものはありません。これからも温かく、時には厳しく、子どもたちの成長を見守っていただきますよう、お願い申し上げます。 卒業生の皆さん。皆さんの前には無限の可能性が広がっています。優しさを大切に、自信をもって堂々と歩んでください。 皆さんの未来が、光り輝くことを心からお祈りし、贈る言葉といたします。 令和3年3月19日 広島市立江波小学校長 阪田 淳二 ※中国新聞「広場」に投稿された方から、マツダスタジアムでの話を、贈る言葉の中で使わせていただくこと、また、ホームページに掲載することを快く承諾していただきました。心より感謝いたします。ありがとうございました。 |
広島市立江波小学校
住所:広島県広島市中区江波南二丁目2-53 TEL:082-232-6349 |