最新更新日:2024/04/17
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五日市小学校は「わくわくする楽しい学校」をめざします。

家庭科の授業5年

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5年生は裁縫の授業に入りました。
玉止め・玉結び・名前の縫い取り・フェルトの小物作りをします。
結構大変。できる子とできない子の差が大きいようです。
それはそうでしょうね。針を持つことも初めてという子も多数いますから。しかし、45分×2コマ。一生懸命しました。

被爆体験継承学習〜6年4組と5組に

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末政サダ子さん (当時大芝小学校の6年生)
 学校近くの文具店の前で被爆。建物の陰にいたために助かったが、校庭にいた友達は大やけどをして亡くなった。自宅にいた母親は、天窓から入ってきた閃光で半身を大やけどをした。疎開先で再会した母親のやけどの後にわいたウジを舌で取ってあげた。
 これまで誰にも体験を語ったことはなかったが、福島原発事故による放射能被害の拡大を見て、自分の体験を語っておかないといけないと思うようになった。
 かつての戦争では、2人の兄が戦死している。原爆のことだけでなく、戦争の真実を知ってほしい。戦争は二度としてはいけない。

被爆体験継承学習〜6年1・2・3組に

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 佐々木佐久子さん (被爆体験伝承者 戦後生まれ)
 祖父と夫が被爆者。祖父は、土橋の建物疎開作業中に被爆し全身おおやけどを負った。2日間歩き続けて家に帰り、3日目に亡くなった。夫は生後15日で被爆した。55才で原爆症による癌を発病し、8年半の闘病生活の末に亡くなった。
 同じ被爆体験継承者である東野真里子さんの祖母竹岡智佐子さんのお話も。竹岡さんは17才で被爆された。昭和58年国連軍縮会議で証言をされた方である。

被爆体験継承学習〜4年1組と2組に

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東野真里子さん (被爆体験伝承者、戦後生まれの被爆2世)
 戦後生まれの戦争を知らない世代だが、広島第一陸軍病院の看護婦長だった祖母が、広島市内で被爆して大やけどを折った体験と、外を探しに市内を歩きまわって被爆した母親(竹岡智佐子氏、当時17才)の被爆体験を語ることで、戦争の悲惨さや平和の尊さ、命の大切さを一緒に考えていきたい。2015年4月から伝承者として証言活動を行っている。
 ※東野さんは広島市被爆体験継承者第一期生。ピースボートに乗り東欧で被爆証言もされている、

被爆体験継承学習〜5年3組と4組に

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眞木淳治さん (被爆当時14歳)
 原爆にあった時は中学3年生で、今の舟入小学校高校の近くの軍需工場に学徒動員で出ていて被爆した。顔半分と腕など火傷追って、友達と一緒に、己斐から横川をまわって、その日のうちに牛田の下宿まで帰った。腕にウジがわいた。姉が看護婦をしていて、いい薬があったのと、親が迎えに来てくれて、すぐに田舎に帰って療養できたために、ケロイドのあとも目立たなくなった。
 当時は、学校に行っていても、ほとんど勉強することなく、工場や建物疎開作業に動員され、多くの学友が原爆の犠牲になって亡くなった。原爆は昔の話ではなく、今の問題だということを伝えたい。

被爆体験継承学習〜4年3組と4組

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中野秀子さん (己斐小学校6年生)

 小学校6年生の時に、己斐の自宅で被爆。市内中心部に建物疎開作業に出ていた父親は無事に帰ってきたが、8月20日ごろから下痢や嘔吐が始まり、髪の毛が抜け、斑点が体中にでき、9月2日に亡くなった。
 近くの己斐小学校には、たくさんの被爆者が逃げてきて亡くなり、校庭が火葬場になった。その時の情景は今でも鮮明に覚えている。
 父親を失った家族は、戦後大変な苦労をした。同じことが繰り返されないないように、命のある限り体験を語り伝えていきたい。

被爆体験継承学習〜5年1組と2組に

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多田野良治さん (当時己斐小学校の5年生)
 小学校5年生の時に、己斐小学校の校庭で直接原爆の閃光を浴び、右腕と右足を大ヤケドした。すぐに校庭にあった防空壕に入ったが、手で触ったらずるりと皮がむけた。
 己斐小学校は市内で被爆した多くの人が、運び込まれて荼毘に付されたところで、とても悲惨だった。そのことは今でもよく覚えている。戦争はしてはいけない。
 
 ※己斐小学校での様子が「絵で読む 広島の原爆」作:那須正幹に描かれています。
  高学年の「五日市小学校おすすめの本」にも選定しています。

参観懇談会の様子

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6年生の様子です。
栄養教諭と担任で行った「食育授業」と言語数理運用科「地場産物を使って給食献立を考えよう」のコラボ授業です。
献立をつくる場面のクラス、作った献立を発表するクラスと異なっていましたが、どのクラスも栄養バランスや地場産物を工夫して使うことや、調理法、ネーミングなどよく工夫していました。

参観懇談会の様子

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4年生の様子です。「漢字辞典の使い方を知ろう」という小単元です。
漢字辞典の引き方を学習して、今日は漢字パズルの問題づくりをする場面でした。
明日は、いよいよ漢字パズルをするのでしょう。

参観懇談会

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2年生の授業の様子です。
国語「まよい犬をさがそう」大事なことをおとさずに聞く。
言葉の力として
○何のために話を聴くのか、考えながら聞き、大事なことを見つける。
○大事なことを、短い言葉でメモに書く。
○聞いてわからなかったことは質問する。
これから、いろいろな場面で大切なことを聞き逃さずに受け取る。
ますます大切になってきます。
3つの「きく」があります。「聞く」「聴く」「訊く」
より主体的な聞き方は、「聞く」<「聴く」<「訊く」。
「訊く」とはたずねる。ASKです。

学校経営アドバイザーによる学校訪問

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なかよし学級もしっかりがんばっています。
集中できるようにしきりを立てたり、自主的に学習が続くようにプリント棚や学習の流れの確認できるボードが一人一人に用意されたりして、よく学ぶことができる環境づくりに工夫がされています。初めてお会いするアドバイザーの先生に挨拶も欠かしません。

学校経営アドバイザーによる学校訪問

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先生達も分かる授業のためにいろいろな工夫をしています。

学校経営アドバイザーによる学校訪問

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毎年一度、学校訪問を受けます。本校は6月17日でした。
落ち着いて学んでいる様子に感心しておられました。

こちらも朝の一コマ

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 1年生は教室に入る前に、扉に張り出してある内容を唱えて入るきまりになっているようです。こんなことが書いてあります。
 
   10のうた

  1と9の いっきゅうさんが
  2と8の にわで
  3と7の みなさんと
  4と6の むしあそび
  5と5で おててをたたいて
  ぜんぶこたえは10

これを初めて考えた人ってすばらしい!

朝休憩の一コマ

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小学生、特に低学年は好奇心がいっぱいです。それがいろいろなことにチャレンジする動機になるんでしょう。大事にしたいです。

四校会の授業観察の様子

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児童間の信頼関係づくりに配慮して授業を進めています。
児童が発言・質問・活動する時間を適切に確保しています。

四校会の授業の様子

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45分の授業のねらいの焦点化がされ、明確な発問や指示がされています。
授業内容を構造的に表現し、分かりやすく板書がされています。

四校会(五日市中学校区校長会)

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 五日市中学校区には、五日市中学校・五日市中央小学校・五日市東小学校・五日市小学校の4校の公立小中学校があります。
 私たち、校長4名は、毎月、会場持ち回りで互いの学校の授業観察と小中連携のための協議や情報交換を行っています。
 今月が五日市小学校でした。

避難訓練(地震⇒火災発生)

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「放送をよく聞いて、『おはしも』の合言葉でがんばろう。」
 「おはしも」とは、「おさない・はしらない・しゃべらない・もどらない」の意味です。「いかのおすし」と同じく、小学生の常識です。(笑)
 朝の会で、1年生の声がクラス全員で今日のめあてを確認している声が聞こえてきました。1年生は、初めての避難訓練でした。練習して臨んだことでしょう。お調子に乗る子もいません。大変立派でした。

 9:55「地震発生」「家庭科室から火災が発生」「避難開始」
教頭先生の放送が学校中に響きました。
誰一人、声を出す人はいません。1年生も写真の通り、机の中にもぐり、机の足をにぎりしめてじっとしています。
そして、避難。
運動場に900名を超える児童が集合しました。
静寂の中で、全校児童が動くことができます。すばらしいです。
これが、本校の自慢です。この校風はきちんと引き継がれています。

 

1年生特別支援学級の授業

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算数の学習でした。はりきって学んでいます。
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学校行事
11/9 土曜参観・ふれあい祭り・ハッピーコンサート
広島市立五日市小学校
住所:広島県広島市佐伯区五日市三丁目1-1
TEL:082-921-3288