最新更新日:2024/05/02 | |
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のぼり平和ウォーク6年生が中心となり,各ポイントでの説明を下学年にしていきました。下学年の子どもたちもしっかり説明を聞き,広島の平和に対する思いをより深めていきました。 子どもたちからは,「下学年に,原爆の怖さを知ってもらいたいだけではなく,未来に原爆の失敗を生かして僕達は生きていかなければならない」,「説明を聞いて,自分の心が傷ついても,他の人のために動ける人になりたい」と振り返っていました。 たてわり班で校外での活動でしたが,交通ルールやマナーを守って行動できていました。3,4,5年生は来年ののぼり平和ウォークに向けて,たてわりの団結力や平和について考える活動を受け継ぐことの大切さを感じたのではないでしょうか。 のぼり平和ウォーク リーダー会
12月15日に行われる「のぼり平和ウォーク」は,たてわり班で6年生がリーダーシップを,5年生がフォローシップを発揮して活動します。
5・6年生は本番に向けての作戦会議「リーダー会」を行いました。歩くルートを確認したり,時間を確認したりと,自覚と責任をもって打ち合わせを行っていました。 12月7日 のぼり平和ウォーク保護者説明会ご協力いただく保護者の皆様、当日はよろしくお願いいたします。 10月28日 折り鶴の寄贈
愛知県に住んでおられる方から,折り鶴を寄贈していただきました。
鶴の飾りや小物入れです。一つ一つがとてもていねいに作られています。のぼり平和資料室に置かせていただきました。 折り鶴に込められた平和への願いを子どもたちに伝えていきます。 10月27日 コスモス集会集会の最後には、校長先生から「折り鶴ノート」に掲載されている詩を紹介していただき、児童は自分たちの平和な日常のありがたみを感じていました。 集会後に学級にて振り返りをしていると、「今の幸せは、いろんな人のおかげなんだと分かった」「佐々木禎子さんが自分たちと同じ学校に通っていたことがすごいと思った」など、平和について考える貴重な時間になりました。 10月27日 コスモス集会
今日は,本校の卒業生「佐々木禎子さん」の命日(10月25日)に合わせて,「コスモス集会」が行われました。
平和委員会の「命や平和の大切さについて考える会にしましょう。」という言葉から始まり,佐々木禎子さんが被爆して10年後に後遺症を発症し,亡くなるまで折り鶴を折り続けたこと,その後折り鶴の子の像ができたこと,今もその像のまわりに世界から毎年10トンの折り鶴が届いていることなどについて話がありました。 最後に校長先生から「折り鶴ノート」に掲載されている詩から次のような紹介をしていただきました。 折り鶴ノートの表紙は,世界から届いた折り鶴から作成されていること, 今も戦争や紛争で友達と遊んだり,家族と過ごしたりできない子どもたちがいること, 何もできないと思わずに平和を願うことを忘れないこと, その願いは友達や家族に広がり世界に広がること そして,「佐々木禎子さんの後輩として,平和を願う思いを未来へと引きついでほしいです。どんな行動をしたらよいのか,しっかり考えていきましょう。」と話されました。 コスモス集会は,平和委員会の「平和な世界をきずくために,まずは幟町小学校を思いやりあふれる学校にしていきましょう」という言葉で締めくくりました。新型コロナウイルスに対応して,二回に分けての開催になりましたが,平和について考える時間を過ごすことができました。 8月6日 ヒロシマから平和への願い佐々木禎子さんの母校であるこの幟町小学校でも、今年は全校生徒が教室で平和記念式典を視聴し、原子爆弾により亡くなった方々に向け黙祷を捧げ、平和への願いを祈りました。 今年は、平和な日常が決して当たり前なものではないことに気づかされる年でもあります。そんな中だからこそ、互いに認め合う優しい心、相手の思いを受け止め寄り添い合う心を持つことで小さなことから平和が広がっていくのだと思います。 子どもたちも今日は落ちついた中で平和について考えられたのではないでしょうか。 防犯教室を行いましたテレビ放送で,万引きのことや,自分の身を守る「いかのおすし」のことなどについて,スライドを使って分かりやすく教えていただきました。「いかのおすし」の「お」,「大声を出す」のところでは,講師の先生の掛け声に合わせて,学校中に響き渡る声で「助けて〜!」と言うことができました。 被害者にも加害者にもならないために,大切なことをしっかり教えてもらい,大変有意義な時間となりました。 平和をいのる思いが一つの形に・・・各クラスで折った折り鶴を1〜3年生のクラス代表から大切に受け取り、リーダーたちだけですべての折り鶴を束ねることができました。全校児童の平和を祈る思いが一つの形になりました。 4年生 平和学習「広島のひばくと人々のくらし」原子爆弾が投下された頃の人々の暮らしについて,写真や資料を手がかりに読み取りました。 児童は,写真に出てくる子どもたちの気持ちを考えたり,現在と比べてみたりと,自分なりの考えを深めていました。 “こどもピースサミット2020”「平和の意見発表会」冒頭に,幟町小学校の出身である佐々木禎子さんの「原爆の子の像」の碑文を紹介し,ひいおばあさんの体験から学んだこと,平和を願う自分にできることなどを,気持ちを込めて発表しました。 佐藤さんの発表内容をご紹介します。 『平和な世界を願って』 「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」 このメッセージは,平和記念公園の中にある原爆の子の像の碑文です。原爆の子の像のモデルは皆さんがよく知っている佐々木禎子さんです。禎子さんは,私が今通っている幟町小学校の出身です。私たち,幟町小学校では,平和教育がさかんに行われています。 今年は,新型コロナウィルスの影響で,世界中が大変な状況になりました。どんなに文明や医療が発達しても,逃れられないこともあると私は知りました。しかし,この試練から,今一度,世界中の人々が安全や平和について考えるだけでなく,協力して,手と手をとりあうことの大切さを改めて意識した年になったと思います。 私のひいおばあさんは,現在93歳で,長崎に住む被爆者です。ひいおばあさんは,18歳の時に被爆し,大切なお父さんを亡くしました。幸い,ひいおばあさんには原爆症は出ていませんが,原爆投下直後から,三日三晩お母さんと一緒に亡くなったお父さんの遺体を探し続けました。探す間,貴重なお酒を含ませたガーゼタオルで口をふさぎ,長崎の町を歩き回ったのです。目が飛び出て,丸こげになって,一列に並んでいる人たち。背中がただれ,ウジ虫がわき,「助けてくれ。」と叫びながら防空壕に入って来る人たち。その時の,無惨な焼け野原の様子は,同じ世界とは思えない恐ろしさだったと話してくれました。ひいおばあさんのお父さんの遺体が,ようやく見つかった時は,鉄板の上で白骨になり,金歯と象牙の印鑑の一部だけが残っていたそうです。被爆したひいおばあさんは,どんなに苦しかったことでしょうか。私は,その話を聞いて,胸が締め付けられました。 幟町小学校でも,被爆者の方々から生の声で,言葉にならない程,恐ろしく貴重な体験を聞かせてもらいました。私は,その度に,もう二度と決して核兵器は使ってはいけないと強く思いました。そして,被爆者の方々がお年寄りになってこられている今,語り継がれたことを私たちが,どのように後世へ伝えていくかが,大切だと思います。これからは,私を含めたもっとたくさんの人々が,小さなことから平和を見つけ,小さな輪を大きな平和の輪に変えていきたいと強く思います。 私は,実際に被爆したひいおばあさんや,生の声を聞かせていただいた被爆者の方の苦しさは分かりません。しかし,わたしにもできることがあります。それは,わたし自身が,家族や友達,先生方,これから出会う全ての人々に感謝の気持ちを込めて,心からの言葉で,愛を持って接することです。温かく優しい言葉で相手を思いやる気持ちが,一人一人の命の尊さを改めて考える平和への第一歩だと考えます。 本当の平和とは何か。本当の幸せとは何か。その答えを見つけるために,私は,当たり前の豊かな生活に感謝しながら,戦争の事実を正しく学び続けます。そして,今まで学んできた平和について心に響くまっすぐな思いで発信していきます。 ひいおばあさんを含めた被爆者の方々や世界中の人々が,一日でも長く暮らせるように,私は,ヒロシマから平和を祈り続けます。 令和2年6月13日 広島市立幟町小学校 6年 佐藤 瑛衣 “こどもピースサミット2020”「平和の意見発表会」に向けて今日の1時間目に,体育館に6年生児童全員が集まり,代表児童の意見発表をききました。 「ひいおばあさんの実体験がえがかれていて,よく分かりました。平和への思いもすごく伝わりました。」 発表をきいた6年男子児童の感想です。先生方からも, 「(発表児童の)優しさが伝わってくる発表でした。」 「練習を積み重ねてきたことがよく分かります。言葉から気持ちが伝わってきます。」 という言葉をもらいました。 土曜日の本番には,さらに多くの方に思いを伝えられるよう,幟町小学校の代表として,意見発表に臨みます。 平和の象徴 折り鶴何十羽もの小さな鶴たちが,木々に舞う心のこもった手作りの作品です。 多くの子どもたちに見てもらいたいと思います。 |
広島市立幟町小学校
住所:広島県広島市中区幟町3-10 TEL:082-221-3013 |