りんじ休業になってから、1か月がたとうとしています。みなさんがとう校していない祇園小学校は、とてもさみしいです。
さて、今年も祇園小学校の「いのちをかんがえる会」の日をむかえました。
この会は、みなさんにとって、先ぱいにあたる3人のじどうが水のじこでなくなってしまうというかなしいできごとがあってから、はじまったものです。このかなしみをわすれないで「いのち」についてみんなでまなび、みんなでいのちを大せつにしていこうとずっとつづけてきた会です。今年は、HP上での「いのちをかんがえる会」になってしまいましたが、それぞれのかていから、先ぱいにあたるじどうのごめいふくを心よりおいのりし、もくとうをささげましょう。
かなしいじこにあっってしまった先ぱいがたは、楽しくあそぶこともしょうらいのゆめもすべてがなくなってしまいました。どんなにざんねんなことでしょう。かぞくのかたがたも大きなかなしみでいっぱいになりました。友だちも地いきのかたも、みんな、かなしみのなみだがいっぱいあふれました。
先ぱいたちは
・いのちは、たった一つしかありません。
・いのちは、一どきえてしまうと、もう二どとよみがえらないのです。
・いのちは自ぶん自しんのものですが、けっして自ぶんだけのものではありません。自ぶんのいのちには家ぞくの思いやねがい、きぼうがつまっています。たくさんの人が支えてくれているのです。
ということを教えてくださいました。
わ たしたちは、そのかなしみやいたみを けっしてむだにしてはいけません。そのためにも、いのちを大せつにしてしっかりと生きぬくことをちかいましょう。
今年は、新がたコロナウィルスにかんれんして「いのち」についてかんがえることが多いまい日です。新がたコロナウィルスにかんせんしてなくなった方々のニュースはほんとうにつらいですね。「学校にとう校しない。」「外出をひかえる。」「友だちと一しょに遊ばない。」などの、今、みなさんがやっている行どうは、まさに自ぶんのいのちも、まわりの人のいのちも大せつにする行どうです。今のがまんは、みらいをしっかりと強く生きていくためのがまんです。
ざんねんながら、祇園小のみんなで一しょに集まって「いのち」について学んだりかんがえたりすることはできませんでしたが、それぞれのかていで、かぞくの方と一しょに「いのちの大せつさ」についてかんがえ、「いのちをまもるこうどう」をとることをちかう一日にしてください。
祇園小学校長 上向井佳子